うさぎ好きなの?
資格の本を取ってはぱらぱらとめくり、棚に戻す。それを何回か繰り返した。しんと静まり返った室内には椅子を引く音や誰かの咳払いが聞こえる。
俺は学内の図書館に来ていた。
進級に必要な単位は去年にほぼ取り終えており、登録を忘れていた必修の単位だけを今年に取れば四年生に無事に進級できる。
つまり、俺はものすごく時間ができたのだ。
何なら夏休みが始まるまでの春学期は講義を一つも受けなくても良い。まさに金を払って時間を買っているとはこのことだ。留年が決まった時は親に泣かれ、さすがに資格の勉強でもしようかなと思ってはみたものの、目の前の本棚の半分は埋めている資格本の多さに既にやる気を無くしていた。
試しにと、何も考えずに取った本は行政書士の本だった。パラパラとページをめくると小難しい専門用語が並び、読んでみようという気すら起きない。
とりあえず何冊か借りて、家のリビングのテーブルの上にでも置いておけば親に小言を言われなくなるかもしれない。顔を合わせればため息をつかれるのはさすがに滅入る。まぁ、自分が全て悪いのだが。
適当に簿記やら宅建やらの参考書を数冊手にしたところ、ズボンの後ろのポケットに入れているスマホが鳴った。やけに音が大きく聞こえた。
誰だよ。こんなタイミングで……。
少しイラつきながら画面を見ると小早川さんからだった。
いや、小早川さんは悪くない。図書館に来るのにマナーモードにしていなかった俺が悪い。慌ててスマホをマナーモードに設定し直してから小早川さんの連絡を見た。
『今週、どこかでご一緒しませんか? 部活動についてお話したいことがあります。よろしくお願いします』
サークル活動の連絡だった。そう、サークル活動の連絡だ。
もう一度文面を見たがサークル活動の連絡であることに何の疑いもない。
それでもほんの少し気持ちがそわそわとしてしまったのは、女子からの連絡だからだろうか。ただの事務連絡で少し浮ついた気分になるのが情け無い。ただのサークル活動の連絡なのに。
すぐさま返事をしなければと文字をタップしようとしたところでふと考えた。即レスすれば小早川さんに暇な人間だと思われやしないだろうか。俺は確かに時間を持て余している。だが即レスはやめておこう。
俺は持っているスマホを再びポケットに戻した。
参考書を手にしたまま、室内の中央にある読書テーブルに向かった。参考書をテーブルに置き、椅子を引くとキィと大きな音が響いた。一瞬どきりとした。隣りのテーブルで調べ物をしているらしい男子学生がふと顔を上げてこちらに視線をよこしてから再び調べ物の作業に戻っていった。
そろそろ昼時だな……ぼんやりと考えた。
自然と手は後ろのポケットに伸び、スマホを取り出した。
椅子に座り背もたれに背中を預けると、視界に入った時計が12時過ぎをさしている。
こちらの返事を求めている場合はやっぱり早く返信をした方が良いな。それが当たり前のマナーだもんな。
『良いですよ。急ですが今日とかはどうでしょうか?』
さっそく小早川さんに返信をすると、すぐに既読になった。俺からの返事を待っていたと見える。
『大丈夫です。何限なら大丈夫ですか?』
さすがに今日は急過ぎて難しいかと思いきや、色良い返事だった。小早川さんはなかなかフットワークの軽い子なんじゃないか?
しかし、逆に俺の都合を聞かれている。講義のない今日は何時でも大丈夫だった。今日だけではなく、明日も明後日もひとつもコマをとっていない。ただ、新一年生の小早川さんに暇人だと思われるのは不本意だった。
『今日は何限でも大丈夫です。合わせます』
我ながらあざとい返事をしたもんだと呆れてしまう。正確には「今日は」ではなく「今日も」が正しい。ただし、嘘はついていないのだから良いだろう。
隣りのデーブルにいる学生は熱心に書き物をしていた。レポートだろうか。
その時ふいにスマホが震えた。小早川さんからの返事だ。
『3限はどうですか? お昼がまだでしたらご一緒しませんか?』
『わかりました』
そして「よろしくお願いします」の文字と共にうさぎが正座をして頭を下げているイラストが送られてきた。
彼女、この前の連絡も同じうさぎのイラストだったな。そんなどうでも良いことを思い出しながら再び室内の時計を見た。3限まであと50分ほど。それまで図書館で何をして時間を潰そうか。勉強をする気はすっかり失せた。
隣りのテーブルにいる学生はシャーペンを動かし、熱心にまだ何かを書いていた。かりかりかりかりかりかりかりかり。筆圧が強いのかシャーペンを紙に押しつける音がやけに耳障りだった。時々、芯が紙にこすれるキュッという甲高い音がしている。この音苦手なんだよな。
俺はおもむろに席を立ち、持って来た参考書を元の棚に戻すことにした。もう今日は勉強はやめだ。なぜだか気分が乗らないし。そんなことをしている場合ではない。
同じ棚のほんの少し隙間が開いていたスペースに参考書を滑らせるようにして戻すと俺は図書館を後にした。