夏の記憶
夏は嫌いだ。
「ねえ、こっちにおいでよ」
空からいっぱいの光が降り注ぐ中で、白いワンピースを着た女の子が、頭にのせたぶかぶかの麦わら帽子を押さえ、黒くて長い髪をきらめかせながら、誰かを呼んでいる。
誰かな、と周りを見てみても誰もいない。
僕がもたれかかっているような、僕に比べてとても大きい木が何本も、距離を開けて並んでいるだけだ。
後で怒られるのはわかっていたけど、つい持ってきてしまった本をひざの上において、顔を女の子ほうに向けた。
そして、勇気を振り絞り、おそるおそる口を開く。
「もしかして、僕に言ってるの?」
女の子はびっくりしたのか、目をパッチリと開いた。
その様子を見て僕は、
……ああ、やっぱり僕じゃなかったんだな。
と、落胆すると、そこから離れるため、本に栞を挟んで、閉じる。
立ち上がろうと、芝生でおおわれた地面に手をついたところで、木の影の上から、別の小さな影が重なっていることに気がついた。
ふっと見上げると、そこにはさっきの女の子が微笑んでいた。
なにかしゃべろうと、一生懸命に口と、頭を動かそうとするけど、どっちも動いてくれない。
そうしているうちに、女の子が口を開いた。
「そうよ。あなたに言ってるの。いっしょにあそびましょ?」
その言葉を聞いて、僕の中に、いろいろと言いたいことや、聞きたいことができたけど、僕は、うなずくことしかできなかった。
そんな僕に、女の子は手を差し伸べる。
僕は、持っていた本を、汚れないよう気をつけながらその場に置くと、自由になったその腕で、女の子の腕をしっかりと握った。
それから僕らは、時間がたつのもわすれてあそんだ。
本を読んだり、あちこち歩き回ったり、草冠を作ったりもした。
空が真っ赤になるころ、次の日もあそぶことを約束して、僕は部屋に戻った。
僕の部屋は、真っ白な壁に囲まれていて、ベッドがぽつんと置いてあるだけだ。
たまにお母さんやお父さんが来るけど、夜はいつも一人で、こわくて、大嫌いだった。
白い服を着たおじさんやお姉さんに、早くうちに帰りたいと言ったら、もう少ししたら帰れるからね、と言われた。
次の日、お昼になると、約束していた場所に行った。
そこには昨日の女の子が、昨日と同じようにいて、僕は安心した。
そんな僕の様子をみた女の子が、
「どうかしたの?」
と、心配そうに聞いてきたけど、僕は、なんでもないよ、と、うそをついた。
それから、毎日毎日その女の子とあそんだ。
しばらくして、僕はうちに帰れることになった。
だけど僕は、女の子と離れるのがいやでしかたがなかった。
僕は帰りたくなかったから、こっそり部屋を抜け出して、いつも女の子と待ち合わせをしているところに行った。
いつも会っている時間より、とても早い時間だったのに、そこには女の子がいつものようにいた。
僕はおどろいたけど、同じように女の子もおどろいていた。
「どうしたの、こんなに早く? なにかあったの?」
そう聞かれたから僕は、うちに帰ることになったことを伝えると、寂しそうにわらいながら、
「よかったね、うちに帰れることになって」
と、言った。
その笑顔が僕には、泣いてるみたいに見えて、
「だいじょうぶだよ。うちに帰っても毎日あそびにくるから。だから、また明日もあそぼう?」
そう言ったら、女の子はすごくうれしそうにわらって、
「うん!」
と、答えてくれた。
その日はおとなしくうちに帰った。
次の日から僕は、女の子に毎日会いに行って、今までと同じようにあそんだ。
月日は流れて、僕と彼女はすこし大人になった。
だけど、僕らの関係と、日常はほとんど変わらなかった。
それは、僕が小学校を卒業して、中学に入学してもそうだ。
変わったことといえば、彼女が部屋からあまり出なくなったくらいだ。
そうして毎日を過ごしていた。
僕と彼女が出会って、ちょうど七年目の夏のことだ。
その日は、はじめて出会った日と同じように、日差しが強かった。
彼女は突然、今まで一度も口にしなかったことを話し始めた。
まるで、禁忌のように、触れてこなかったことを。
そして、最後に、彼女はこう告げた。
「わたしね、もし成功したら、あなたに伝えたいことがあるの」
その日から、僕はずっと悩み続けた。
だけど、彼女の前ではわらい続けた。
だって僕は、もう二度と泣きそうな笑顔を見たくないから。
それから数日がたって、彼女は僕に、
「あした、成功するかわからないけど――」
彼女が言おうとしたことは、なんなのかわからない。
いや、わかりたくない。
わかりたくないから僕は、それ以上なにも言えないように、抱きしめた。
彼女はびっくりしながらも、うれしそうに、
「あなたって、ときどきとても卑怯ね」
そのとおりだ。
でも、僕はそれでかまわない。
だから僕は、とても卑怯な僕は、彼女に残酷なことをお願いした。
「僕も、君に伝えたいことがあるよ。だから、必ず――」
夏は嫌いだ。
あのときのことを思い出させる、夏は嫌いだ。
あのときのことを思い出すと、僕はまだ、少し泣きそうになってしまうから。
「ねえ、こっちにおいでよ。……どうかしたの?」
手をつないで歩いた女の子が、今も隣を歩く奇跡に――