4 失った記憶
目の前の男性が言うことには、自分は彼を買ってしまったらしい。
が、全く心当たりはない。
「全く心当たりがないんだけど…、何かの手違いってことは…?」
恐る恐る訊く。
「昨日、夕食に行って、二日酔いになるまで飲酒したあとの記憶は?」
「…」
当たり前だが、目が覚めてからの一連の動きを見られていたらしい。
しかも中途半端に呟いたせいで、かなりの飲酒をしたと思われていそうだ。しかし、恥ずかしいと思う前に、お酒に酔って記憶をなくすと言う事実が重くのし掛かる。
「家に帰った…」
「その間の記憶は?」
うつむいて首を横に降る。
地味に頭痛がした。
この返答に男性も驚いたらしい。
「…あの辺りはよく行く?」
「あの辺りって、奴隷市場?」
「…えぇ」
「…行ったことないです」
「鼻歌を歌いながら歩いていたけれど」
「鼻歌…」
だから、治安が悪いあの場所で、夜に女の子が一人歩きをしていても、怖がって誰も声をかけられなかったようだと言われ、ローズは膝から崩れ落ちそうになった。
奴隷市場で、鼻歌交じりに物色する若い女性は確かに不気味だろう。
覚悟を決めて、続きを促すと男性は説明してくれた。
「上機嫌で歩いていたあなたは、何故か俺の前に立ち止まると、いきなり俺を連れて帰ると言い出してね。店主と交渉していたよ」
「交渉…。なんで、誰も止めてくれなかったの…」
「まさか、記憶をなくすほど酔っていたとは…。酒のにおいもしなかったし、言動もどこもおかしくなかったからね」
そう言うと、男性はそっと手招きをした。
ローズが慎重に近付くと首の枷を指差す。
「あなたはこの枷に魔力を込めた」
「…はい」
確かに、ローズの魔力が感じられた。
それが証拠。
鈍い銀色をしたそれは、一人の人間の自由を奪い従属させるもの。かなり高度な道具で高価なものらしい。
「あれ、私、支払いはどうしてました?」
報酬はきちんとポケットに入っていたし、奴隷を帰るような金額はそもそも持ち歩いていない。
「上着から何かを取り出して、店主に渡していたようだけど」
「上着から。もしかしてブローチ?」
「さぁ…、黄色い石は見えたけど、それ以外は」
「黄色い石…」
ローズは天を仰いだ。
心当たりがあった。
きれいな黄色い石が中央に嵌められた、金細工に見えるブローチ。
「店主さんはあれで納得してました?」
「だから、俺はここに」
「そうか…。そうですよね…」