コーヒーカップ
「薬…?」
カルロスが呆然としていた。
「はい。…実は、私も、パルシェさんもここで食事をした後の記憶が曖昧なんです」
「記憶が曖昧だと?」
「はい。この傘も、それが原因でした」
「それは、ブランデーに酔ったからじゃ?」
「はじめはそう思ったんですけど、同じ日に、二人も記憶を失くすことなんてあるでしょうか?」
「…二人共、共通してるのは、うちでこのブランデーを飲んだって言うことだけなのか?」
「はい」
慎重にローズは話した。
場合によっては、店の評判を落としかねない話だ。
「薬なのか? 毒じゃなくて?」
「…私では判断できません。ですが、多分、強い毒性はないと思います。どちらかと言うと、気分が高揚するような…。麻薬に近い…?」
「十分、悪いな…。信じたくないけど、ローズさんだしなぁ。それに実際、味がおかしいし…。あっ、うちの従業員の怪我ももしかして!?」
突然、カルロスが大声を出した。
「新しく開けた割に、減りが早いと思ってたんだ。こっそり飲んでたな、あいつ」
「それで、足を挫いた…?」
「絶対、そうだな。そもそも、あいつがオーダーを間違えるなんて今までなかった。それに、足を挫いたってのに、妙に浮かれてた。…ってことは、やっぱり原因はこれか…」
カルロスはブランデーの瓶を振った。
杖をついた少年が歩く姿が描かれたラベルの瓶だった。
「でも、なんで俺の店に? なんか、恨みでも買ったのか?」
恨めしそうに瓶を睨む。
「この瓶と言うよりは、このブランデー自体だとは考えられませんか?」
「ん?」
「瓶につめている工程で何かがあって、薬が混入されてしまった」
「…まさか、薬入りはこれ一本じゃない?」
カルロスの顔がさらに青ざめた。
「薬局で、最近怪我する人が増えてるって」
「おいおい…」
カルロスがこのブランデーを開けたのは昨日だったが、他の店ではもっと早くに開けていたのだろう。
「まずは、商工会か? 製造元はこの事を知ってるのか?」
「…このブランデーを調べれば分かると思います」
「調べる…。…やることが山ほどあるな…。役所に持ち込んで…」
ガックリと肩を落とした。
その気持ちは痛いほど分かる。
調べている間は、店を開けられないのだ。
…だから、当たって欲しくなかったんだけれど。
でも、被害が少ないうちに手を打たなければ悪化するだけだと、ローズは自分に言い聞かせる。
「あの、私も何かお手伝いを…」
「いや、大丈夫。商工会か役所のやつが事情を聞きにいくかもしれないから、そのときは頼むな」
「はい」
「やることはたくさんあるが、それでも被害は最小限に出来たんだ。ありがとうな」
「いえ、こちらこそ。信じてくれてありがとうございます」
信じてもらえないかもしれないとローズは思っていた。その場合はこのコーヒーをなんとか持ち帰って検査するしかないかと、こっそりハンカチを忍ばせていた。
「いや、ローズさんだからな。…でも、ローズさんは大丈夫だったか? 記憶がないって」
半分以上残すことになったコーヒーに目を落とす。
流石にパルシェと同じように、記憶がないときに買い物をしたとは言えない。
「はい」
「そうか。でも、一杯飲んだパルシェは分かるけど、コーヒーに入れただけで…?」
「ちょっと、体質が合わなかったんだと…」
ローズはこの薬と相性が悪かったのだろう。だから、たいした量を摂取していないのに影響が大きく出てしまった。パルシェもローズ程ではないが、効きやすい体質だった。
きっとほとんどの人は、ほんの少しいつもより陽気になったりするくらいで済んでいたのだ。だから、怪我をしてもアルコールのせいだと勘違いしてしまった。
長く接種していたら、依存症となっていたかもしれない。
「そうか。悪かったな」
「いえ、カルロスさんのせいじゃないです」
カルロスも被害者なのだ。
「じゃあ、店を再開させたら来てくれるか?」
再開。
カルロスももう覚悟を決めたのだろう。
「もちろんです」
「ありがとうな! そのときは、腕を振るうから、助手と食べに来てくれ!」




