治療
そこそこ痛かっただろうに、ローズを試した彼はローズを離さなかった。
「っつ…、今、何を…」
ゆっくりと膝を着く彼から、難なく抜け出すと、ローズは今起こったことを説明した。
「魔術を使ったの」
「魔術…雷…?」
そんなに痛かったか、とローズは申し訳なく思う。
「いいえ。あなたの背中に落としたのは、これ」
座り込んだままの彼に見えるように持ち上げたのは、一本の液体が入った瓶。
「それは…」
「うん。消毒液」
呆然と見つめる彼の目の前で、チャプンとふる。
「拘束してるということは、拘束してる側も動けないということでしょ? そこで、こっそりと瓶の中の消毒液を、あなたの上に移動させて、ついでに体を曲げて広範囲で濡れるようにしてみたの」
この方法は、ガーゼで消毒するよりも多くの消毒液を使うことになるのだが、逃げる患者に確実に使えるのだ。
自信満々で説明するローズに、彼は複雑そうな顔をした。
「その技術は、国の最高位の魔術師が時間をかけて習得するものでは…?」
「やんちゃな弟を持つ姉の、苦肉の策だったんだけど…」
因みに、液体を親指の爪くらいの球状にして、複数打つという技もある。
そう伝えてみたところ、いぶかしげな顔をされてしまった。
「戦場にでも行くつもりかな」
「おでこの消毒を嫌がった弟に向かって、消毒液を打つために開発した魔術よ」
大体、この国ではもう長い間戦争はしていない。戦が絶えない国もあると聞くが、それは国交を結んでいないここから遠い国の話だ。
「ごめんなさい。かなり染みたでしょ」
予告なしの消毒液は驚いたはずだ。
未だに立ち上がらない彼を見て、ローズは屈んで頭を撫でた。
ピクリと肩が揺れたが、そのまま動かなかったことをいいことに、綺麗な金髪を何度も撫でる。湯上がりでまだ少し湿っていた。
「弟にはここで、頑張ったご褒美として好きなお菓子をあげるのだけど…」
さすがにそこまで弟と同じ扱いは嫌だろうか。
奴隷の主として命令しろと言われていたのを忘れたわけではないが、それでもこうして膝をついているままの姿をみていれば心配になる。
「ご褒美ね…。俺にも与えてくださると?」
皮肉げな顔をしたので、すかさずローズはつけ加えた。
「明日も消毒をするって、約束してくれるのなら」
「…これは、抜け目ないご主人さまだ」
やっと体の力を抜いたようで、床に座り込んだ。
「えぇ。多分、あなたが思ってる程、私は優しくないの」
さっきまでの試すような、挑発的な雰囲気は息を潜めたようだ。
それならばと、彼にもう一度椅子に座らせる。
狙った通り、話している間に消毒液も乾いていた。
「包帯を巻くから少しの間、じっとしててね」
もちろん、この指示に魔術は使っていない。
一番大きな傷口にガーゼを当て、包帯を巻く。ローズよりも大きい人の背中から腹部にかけて、その上落ちにくいように肩にもかけるから、彼の回りをくるくると回らないと、慣れていないローズはうまく巻けない。
「この端っこ持ってて」
また、挑発的になるかなとちらりと考えたが、今度は大人しく従ってくれた。
本当に消毒液が嫌いなだけだったりして…。
まさか、とそんな考えを打ち消す。
「ご褒美、特に要望がないのなら…」
昼食のあとにデザートにプリンを食べるとかはどう?
そう続けるつもりだった。
「名前」
「ん?」
「名前をつけてほしいと言ったら、怒るかな?」
ちょうど包帯を持って彼の前に来た時だったので、驚いて顔をあげる。
「それがご褒美?」
「そう。番号や犬のような名前ではなく、人間の名前を…」
その目は真剣でそして、熱をはらんでいるかのように少し赤い。
切実そうな顔をしていたので、ローズもそれに応えようと真面目な顔をした。
「それは、ごめんなさい…」
「…はい?」
包帯を巻く作業に戻りつつ、理由を説明する。
「だって、名前をつけるのは主になった人の権利…うーん、義務…。とにかくそういうのなんでしょう?」
さっきの説明では、そうだったはずだ。
多分、権利ととるか義務だととるかは主の考え次第だろう。
「だから、あなたのお願いを叶えるためにつけるのではいけない。私が勝手につけなくちゃ」
なんて傲慢なのだろう。
でも、人間に鎖をかけるというのはそういうことだ。
奴隷店の店主に、どうする? と訊かれた時、ローズはこの人を連れて帰ると覚悟を決めたのだ。
「これでも一応、主になるつもりなので」
話しているうちに、包帯は巻き終わった。包帯を切って両端を止める。素人が巻いたにしては、良い出来だろう。ついでに、近くにかけてあった服を着せた。
「あなたの役目は、私の助手をすること」
帰り道、ずっと考えていたことを伝える。
なるべく堂々と、出来れば傲慢な感じに見えると良い、そう願いながら。
「期間は二年間。よろしくね、レオン」
「(不意打ちで消毒液をかけることになるけど)ごめんなさい」
でした。




