02:巨体狼
「我の名はシヴォリ。巨体狼という種族の魔物なり。小娘、貴様の名は何という?」
おしぼりみたいな名前だな。なんていう感想は、口が裂けても言えるわけがない。
こんなところで餌になるのはごめんだ。
そもそもおしぼりという概念がこの世界に存在するのかどうか怪しいところでもある。
巨体狼というのは、種族の名前なのだろうけれど、名付けた者は本当に見たままを名付けたようだ。
このテニスコート二面分の体躯の大きさが、そのまま種族名として付けられたらしい。
この呼び名をつけたのは、その昔いたという魔王だろうか。
だとしたら、ネーミングセンスを疑ってしまう。
せめて、こういう世界なのだから横文字にしてやればそれなりに格好がついたものを。
「──私の名は、ホマレ」
正確には、生前の名前は北雪 帆稀という。
しかし苗字まで魔物に紹介したところで、この世界に存在するかわからないファミリーネームなど必要ないように思うから省略した次第である。
「そうか、ホマレか。美しい名だ」
犬──もとい狼に褒められても、喜んでいいのかよくわからない。
「普通のヒトという生き物は魔物を忌み嫌い、そして恐れる。魔物の話す言葉がわかるヒトなぞ、聞いたこともない。まず関わろうともしない。この森にヒトはそなた一人だ」
魔物と人間の関係が、この世界の歴史においてどういうやりとりを経てきたのかは詳しく知らないけれど、おとぎ話などでの基本的なセオリーに則ってこの世界でもやはり敵対関係ないし、お互いを忌み嫌う存在として生きてきたのだろうことは察せた。
生前の世でも、同じ人間でありながらにして、人種間や性別の壁を築き争いをしてきた生き物なのだから、それがシヴォリのような姿かたちの異なる生き物──魔物相手なら、争いにならない方がおかしい。
人間はいつだって、どの世界だって、醜く愚かな生き物なのだ。
私自身がその人間の一人というのが、皮肉でもあるのだけれど。
「シヴォリは私を人間の一人として嫌ったりはしないの?」
会って間もない相手──しかも魔物に対して、そんな疑問を投げるのもちょっと変かもしれないけれど。
私に対してあまり強い殺意を感じないのに、ヒトという生き物のくくりの話をするときだけ少し殺気立っていたシヴォリ。ヒトにあまり良い思い出はないのかなと推察するが、それなら私だって同じではないか。
隙を狙って餌にされても困るし、私だって安心して会話したい。
これは確認である。私を殺す気があるのかどうかという、重要な確認事項だ。
「さっきも言ったろう。ヒトは我らの言葉を理解していない。そこでまず最初の軋轢が生まれるのだ。知らない、わからないということは、魔物からしても人間からしても同じように恐怖であり、敵と見なすきっかけになってしまう。それがお前はどうだ?我らの言葉を流暢に話しているではないか。コミュニケーションが取れる時点で、そちらに敵意がなさそうであれば無駄な殺生はしないよ」
意外とというか何というか。
魔物と喋るのは私の人生においてシヴォリが初めてなのだけれど、私の思っていた魔物というイメージとだいぶ違うように感じた。
下手な人間よりも理知的で冷静に見極められる能力がありそうだ。
それにしても、敵と見なされなくてよかった。
私の身体の大きさでこのテニスコート二面分のクソデカ狼に勝てるはずもないのだから、私から攻撃するなんてまずありえないのだが、仮に敵と見なされていたらと思うと少し鳥肌が立つ。
こうして私は、シヴォリという友人を得たのだった。
シヴォリよりも背の高い木々に囲まれて、ふと私は考える。
私はこれから自分がこの森をスタート地点にどう動いて生きていくのか、決めないといけない。
シヴォリという友人はとても心強いし、もちろんこの森にシヴォリに会いに定期的にこようとは思うけれど、それでも私の身体はヒトの子なわけで。
この森で野宿をずっと繰り返すわけにもいかないし、きちんと人間として生活出来る場所は欲しいところだ。
何のアテもないけれど、生前を思い出して後悔する時間よりも、この世界に飛ばされてきた戸惑いよりもまず、衣食住を確保することを当面の目標とすることにした。
「シヴォリ、私人間の街に行きたいのだけれど。もし忙しくなければ、案内してくれる……?」
私のお願いに対して、シヴォリは少し寂しそうな顔をして了承してくれた。
「せっかく出会えた縁だというのにな。やはり人間と暮らした方が生きやすいか」
彼は私を背に乗せて、人間の街があるという西の方角へと走り出した。
街の名前はヴーヴ。
私にはこちらに来てから時間の感覚がほぼないのだけれど、もう三時間ほどすれば日が沈んでしまうらしく、夜になる前に街に着かないと夜行性の質の悪い魔物たちが起きてくるという。それを見越して、シヴォリは出来る限りのスピードで私をヴーヴまで連れて行ってくれるとのことだった。