第94話 一緒に登校
「そろそろ時間だけど、出なくていいのか?」
振り替え休日を終えた次の日の朝。いつもであれば愛梨が家を出ている時間だが、まだ彼女は居間にいる。
普段と違った行動なので尋ねてみると、ふんわりとした笑みを返された。
「前にちょっとだけ言ってましたが、今日から一緒に学校に行きませんか?」
愛梨にそう言われ、前に湊と登校したいと言っていたなと思い出した。
今までは一緒に居ると噂になるからと時間をずらして登校していたが、もうその必要は無い。
それにこの六ヶ月の癖でつい尋ねてしまったが、湊とて一緒に登校したいという欲はある。
「……悪い、確かに言ってたな。それじゃあ一緒に行こうか」
「はい。それと、私の服を見て何か言う事はありませんか?」
湊が許可した事が嬉しいのか、微笑を浮かべる愛梨の服装は冬服だ。
文化祭が明けて十月に入ると衣替えの時期なので湊も着替えており、当然ながら彼女の変化は気付いていた。
いつ褒めるのが良いのかタイミングが分からなかったが、ねだられているのでここで言うべきだろう。
「冬服も似合ってる、可愛いぞ。こんな褒め言葉しか言えないけどな」
湊達の高校の冬服は特に特徴の無いブレザーだ。とはいえ、なんの変哲も無い制服も愛梨が着ていると不思議と可愛らしく感じるし、目の保養になる。
やはり見目麗しいのはこういう時は良いなとは思うが、それを褒める湊の語彙が貧相なのを申し訳なく思う。
苦笑で皮肉を言うと、それでも満足したのか愛梨がへにゃりと笑った。
「いいえ。それだけでも他の誰の言葉より嬉しいです。湊さんも似合ってます、格好いいですよ」
「お世辞を言うなよ、特に特徴の無い男子高校生だろうが」
湊の冬服姿は不細工でも変な恰好でもないと思うが、かといって褒められるものでもない平凡そのものだ。
無理して褒めなくてもいいという気持ちを込めて言うと、彼女は穏やかな笑みを浮かべながら首を横に振った。
「確かに他人から見ればそうかもしれません。でも、私にとっては一番格好いいんですからね」
「……ありがとな」
真っ直ぐな気持ちをぶつけられて、湊の頬が熱を持ってしまう。
気恥ずかしくて愛梨の顔を見る事が出来ず、明後日の方を見ながらお礼を言うと、くすくすと軽やかに笑われた。
「貴方の照れた顔も見れましたし、行きましょうか。いつもなら湊さんも出る時間では?」
「からかうなよ。でも確かにいい時間だな、じゃあ行くか」
「はい」
二人揃って家を出る。扉を閉めて愛梨の方を振り返ると、真っ白な手を差し出された。
その意味はしっかりと分かっているし、その行動を咎める理由など無い。
女性らしい柔らかな手を握り、しなやかな指にしっかりと湊のものを絡ませると、彼女が満面の笑みになった。
「これからは特に理由なんて無くても、こうして手を繋ぐ事が出来るんですね」
「そうだな、俺も小言を言わなくていいのは有難いよ」
「あら? そんなに嫌だったとは思いませんでした。離しましょうか?」
湊の返事に納得がいかなかったのか、愛梨が意地の悪い笑顔を浮かべて首を傾げた。
その言葉とは反対に、指は離すまいというようにしっかりと絡まっているので、単に湊をからかいたいだけだろう。であれば負けっ放しではいられない。
「それは止めてくれ。愛梨の手は柔らかくて触り心地が良いからな、ずっとこうして触っていたいくらいだ」
「ひゃ!?」
湊と繋がった手を引き寄せ、反対の手で包み込むようにして撫でると可愛らしい悲鳴が上がった。
その顔は羞恥で赤く染まっており、もじもじと体を揺らしている。
「そんなに真っ直ぐに褒められると、その……」
「駄目か?」
「そうじゃなくて、恥ずかしいです」
「愛梨のそんな顔を見れたなら仕返しをした意味があったな」
「いじわる」
「離す気も無いくせに俺をからかうからだ。……でも、離したくないのは本当だぞ?」
「そんなずるい事を言わないでください! さっさと行きましょう、遅刻します!」
湊のストレートな好意に耐えられなかったのか、愛梨がぐいぐいと腕を引っ張った。
文化祭の時からそうだったが、これからは外でも彼女の可愛らしく照れた姿を沢山見れると思うと胸が弾む。
ほんの少しでもこの幸せな時間が続いて欲しいと思いながら、分かりやすく拗ねた愛梨を窘める。
「分かった分かった。時間にはまだ余裕があるから、ゆっくり行こう」
初めての二人一緒の登校とはいえ、相も変わらず湊達の会話は多くない。とはいえ隣の少女が露骨に機嫌が良い事は分かる。
上機嫌な笑みを浮かべているし、繋いだ手を子供っぽく軽く振っているのだから一目瞭然だ。
「俺も愛梨と一緒に登校できるのは嬉しいが、にしても凄く機嫌が良いな」
「そりゃあそうですよ、ずっと湊さんと一緒に登校したかったですから」
「ずっと? いつから思ってたんだ?」
確かに文化祭後にそういう事は聞いていたが、それをいつから思っていたのかは分からない。
別に困るようなものでもないだろうと思って、遠慮無く疑問を口にした。
「夏休み明けからですね。とはいえ私達のこれまでの状況的に言えないのは分かっていたので、我慢してましたよ」
「これまではそうだが、これからは違うだろ? ずっと一緒だ」
「ええ、ずっと一緒です」
前に愛梨が言っていたように、学年が違う湊達は外で一緒に居られる時間が限られてしまう。
であれば、登校という僅かな時間ですら一緒に居たいという思いは共感できる。
これからは朝も隣に居られると互いに笑い合って歩いていると、学校に近づいてきた。
(まあ、そうそう視線は減らないよな)
当然ながら他の生徒も登校しており、周囲からは物珍しい視線を感じる。
先日の文化祭で、湊達が言い逃れ出来ないくらいに親密な関係であるという事は知られたが、まさか休み明けから一緒に登校してくるとは思っていなかったのだろう。
とはいえ、もはやそれらの視線は気にもならない。それは愛梨もなのか、微笑を浮かべている。
「視線多いですね。私達の事を見せつけちゃいましょう」
「もう俺達はそういう関係だからな。俺の彼女はこんなに可愛い子なんだと自慢するさ」
「でしたら、私の自慢の彼氏は貴方なんだと知らしめます」
愛梨が変わったことで以前の面影は殆ど残って無いが、彼女は冷たい人形などでは無い。そして、そんな魅力的な少女の隣に居られる事が誇らしい。
多くの視線を受け、けれど手は離さずに、湊達は歩いていく。
「じゃあ愛梨、後でな」
下駄箱を過ぎると湊達は離れなければいけない。
どうしようもならない事なので、寂しさを感じつつもそれを表に出さずに言うと、愛梨の顔が悲しみに歪んだ。
「……寂しいです」
「俺もだけど、仕方ないだろ? 代わりに今日の昼は一緒に食べような」
素直に感情を吐き出してくれた事は嬉しいものの、これは納得してもらうしかない。
昼飯に関しては愛梨と食べ始めてから毎日一緒だった訳ではなく、彼女がクラスメイトと食べる際はそちらを優先してもらっていた。
今日は特にそんな話を聞いていないので、少しでも慰めになれば良いと思って頬を撫でながら誘うと、ほんの少しだけ愛梨の表情が和らいだ。
「……そうですね。じゃあ今日のお昼は一緒に食べましょう。約束ですよ、絶対ですからね」
やはり、どうにもならない我が儘を言っている事は理解しているのだろう。あっさりと愛梨は湊の話に乗った。
代わりの約束を念を押して確認してくるので、そのいじらしさに頬が緩む。
「ああ、もちろんだ」
「私以外の女の子とご飯を食べに行かないでくださいよ? 泣きますからね?」
「残念ながら、そんな女友達は居な――いや、百瀬が居たな」
可愛らしい嫉妬心を見せてくるので、安心させる為にふにふにと頬を揉むと、愛梨は首を傾けて穏やかな笑みで頬擦りしてくる。
だが、湊の言葉を聞いた瞬間に複雑な顔になった。
「紫織さんなら、まあ……、私が居る時なら、なんとか」
「呼んだ?」
「ひゃあ!?」
百瀬すらも嫉妬の対象に入るのかと苦笑した瞬間、幼馴染の声が聞こえた。
突然の声に愛梨は相当驚いたのか、飛び上がりそうになっている。
湊はこっちに向かってくる百瀬と一真が見えていたので、そこまで驚きはしなかった。
「あちゃあ、驚かせちゃったか。おはよう愛梨、湊君」
「ようお二人さん、おはようだ」
挨拶をしてくる二人はいつもの明るい顔では無く、気まずそうな顔だ。
「おはよう、一真、百瀬」
「お、おはよう、ございます」
「で、なんでお前らはそんな顔なんだ?」
流石に彼らの表情が気になったので尋ねてみると、二人共がやれやれと呆れたような顔つきになった。
「あのなぁ、ここ下駄箱の近くなんだが。俺らも人の事を言える訳じゃないが、こんな人が多い所でいちゃつくな」
「二人共、流石にやりすぎだよ」
一真達は何とか意識出来たが、それ以外の人は愛梨との触れ合いに夢中だったので全く意識していなかった。
確かに人通りが多い場所で寄り添っていたら迷惑になるだろう。実際、周囲を横目で見ると視線の数が凄まじい。
愛梨も百瀬に言われてそれを自覚したのか、真っ赤な顔で挙動不審になっている。
「あ、あの、その……」
「はいはい、撤収だよ。湊君、これ預かっていい?」
「頼む。クールダウンさせてやってくれ」
「はーい」
これ以上湊が手を出してしまうと収拾がつかなくなりそうなので、幼馴染に任せる事にした。
愛梨の方も一杯一杯なのか、百瀬に大人しく従っている。
とりあえず移動しなければと思っていると、じっとりとした目の幼馴染が口を開く。
「下駄箱でいちゃつくの禁止だ、いいな」
「……ああ、悪い」
反論の余地が無い言葉には素直に謝罪した。