第92話 寄り添い合って
「ふわぁ……」
文化祭後の休日の朝は、いつもと変わらない腕枕から始まった。
欠伸をしつつ、湊に体を寄せて気持ち良さそうに寝ている愛梨を眺める。
昨日責められはしたものの、結局許されたので遠慮はしない。
想いを伝えたからなのか、腕の中で眠る少女が一段と愛しく感じる。
(ホント、信じられないくらい綺麗だな)
半年間一緒に暮らしてきたが、現実離れした容姿には何度も見惚れてしまう。
綺麗すぎる整った顔に艶やかな銀髪。寝ていれば子供のようにも見える幼げな顔は、起きると清楚美人に変わる。
とはいえ、性格の方は外見通りとはとても言えず、普段は物静かだが湊をからかう時は人が変わったかのように明るくなる。そんなところも好きだと思えるのは愛梨に心底惚れているからだろう。
「……流石に起こさないとな。愛梨、起きろ」
このあどけない寝顔をずっと眺めていたいが、もう朝飯の時間だ。
すべすべしている頬を軽くつつきながら声を掛けると、ゆっくりと瞼が開いていき、濡れた碧の瞳が湊を映す。
「おはよう」
「……」
「愛梨、朝飯を作るから離れてくれ」
挨拶をしたのだが、愛梨は無言で湊の胸に顔を埋めてきた。
更に細い腕でぎゅっとしがみつかれてしまったので動けなくなる。
なので背中を軽く叩きながら声を掛けると、ぐりぐりと頭を押し付けられた。
「ゃ」
「うん?」
「ぃゃ」
「……離れたくないと?」
「ん」
話すのも億劫なのか、短い単語で愛梨が返事をした。そこから感情を読み取ると何が何でも離れたくないらしい。
嫌がる彼女を無理矢理引き剥がすのは忍びないし、必ず朝飯を摂らなければいけない訳でもない。
可愛らしい態度に頬を緩めつつ尋ねる。
「本当にいいんだな?」
「ん」
「じゃあ好きにしてくれ」
「んー」
湊の方からも抱き締めると、愛梨は嬉しそうに喉を鳴らしてすりすりと頬を擦り付けてきた。
ほぼ無意識でやっているのだと思うが、心の底から湊の傍に居たいのだと思ってくれているようで胸が温かくなる。
後で意識が覚醒した時にどうなるだろうかと一瞬だけ考えたが、それは脇に置いて彼女を撫で続ける事にした。
愛梨が甘えだして数十分。いつもであればとっくの昔に意識がハッキリしている時間だし、湊から見える小さい耳がうっすらと赤く染まっている。
「もう起きてるだろうが」
「……起きてません」
確実に起きているだろうと声を掛けると、先程までとはあまりに違うハッキリとした声色で、白々しいくらいの知らんぷりをされた。
惚ける事には若干呆れつつも、起きていても抱き締められたいという態度に胸が温かくなる。
「そうか。なら好きなだけ撫でていいんだな?」
「……どうぞ」
甘えたいという愛梨と甘えさせたいという湊。互いの望みが一致したので遠慮なく銀髪に触れた。
梳くように撫で続けると、気持ち良さから再び眠くなってきたのだろう。舌足らずの声が聞こえてくる。
「しあわせすぎて、おぼれて、しまいます」
「何も予定は無いし、いいんじゃないか?」
もう一度寝てしまえば朝飯という時間では無くなってしまう。
だが今日はバイトやそれ以外の用事も無い。であれば何も考えずに惰眠を貪る日があってもいいだろう。
湊が許可すると愛梨はふっと体の力を抜いた。
「こんなの、はなれられません……」
「好きなだけ寝てくれ」
「は、い……」
愛梨が再び寝息を立てだしたので、湊も目を閉じる。
随分と甘えたがりな抱き枕だなと思いながら、温もりと甘い匂いを堪能しているうちに湊も眠ってしまった。
「ふふ、可愛い」
ぼんやりとした意識の中、涼やかな声が耳に届いた。
目を開けると、二度寝したからなのか珍しく愛梨の方が先に起きたようだ。しかし、彼女は腕の中から離れようとしない。
至近距離から見つめてくる少女に声を掛ける。
「おはよう」
「おはようございます。というより、こんにちはですけどね」
気まずそうに愛梨が笑うので時刻を確認すると、寝坊もいいところで既に昼前だ。
ここまで寝たのは初めてであり、しかもこの状態から察するに彼女はだいぶ前から起きていた可能性がある。
「……いつから起きてた?」
「一時間前くらいですかね」
「起こしてくれよ……」
おそるおそる伺うと、まさかの時間が愛梨の口から出てきた。
そんなに前からこの体勢なのは申し訳ないが、さっさと起こせば良かっただろうと苦笑を向けると、柔らかな笑顔が返ってくる。
「こうして横になりながら湊さんが目を覚ますのを待つのは楽しかったので、起こしたくなかったんです」
「でも一時間もこの体勢って辛くないか?」
「いいえ、全然。こんなに近い距離で貴方の寝顔を見れるんですから、いつまでもこのまま過ごせますよ」
どうやら愛梨はずっと湊の寝顔を眺めていたようだ。
彼女には既に何度か寝顔を見られてはいるが、ここまで近い距離からジッと観察されるというのは結構恥ずかしい。
熱くなった頬から意識を逸らしつつ、目を合わせずに口を開く。
「見るな」
「その気持ち、私が昨日感じたんですからね。……まあ、私の場合は朝が弱いせいなので、怒る筋合いは無いんですけど」
「身をもって実感したよ」
「でも、私も逆の立場になって分かりましたが、これは堪りませんね。なので、機会さえあれば湊さんの寝顔を堪能したいです。代わりに私の寝顔を見ても絶対に怒らないので、いいですか?」
寝顔を眺めていた事は昨日の時点で許されてはいたものの、条件を出された。
本人が改めて許可をしてくれるというのなら是非とも見たい。湊の寝顔など安いものだ。
「じゃあお相子ってことで。それにしても、愛梨のならまだしも俺の寝顔なんて見て楽しいか?」
「楽しいですよ、可愛いです。あと――」
「待った、感想は無しで頼む」
あれこれと愛梨が寝顔を褒めようとしたので、その先の言葉を封じた。
寝顔を可愛いと褒められて嬉しくなる男はそう居ないと思うし、それ以外の事を言われるのも恥ずかしすぎる。
眺めても良いという決まりにはなったものの、感想は個人の胸の中に留めておくべきだろう。
そう思ったのだが、愛梨が不満気な顔になった。
「でも、湊さんだって昨日感想を言ったじゃないですか」
「もう言わないようにするから、互いに内緒にしないか?」
「嫌です。湊さんが照れる姿は可愛いので」
どうやら湊の思いは伝わらなかったらしい。
であれば、そんな言葉など発せないようにするしかない。
「なるほど、じゃあ俺も褒めて良いんだな?」
「ええ、構いませんよ。まあ湊さんですし、大した事は――」
「寝ている時は幼げで可愛らしいし、撫でると気持ち良さそうに喉を鳴らすのも可愛いな。ほんの少しだけだと起きないけど、しっかり撫でると愛梨って一度目を開けるんだ。その時の目が宝石みたいで綺麗でな、ずっと見ていたいくらいなんだ。それと――」
「あの、もういいです。私が悪かったですから、それ以上言わないで……」
ここまで褒めるとは思わなかったのだろう。愛梨は頬を羞恥で真っ赤に染め、湊の服を引っ張ってきた。
ようやく分かってくれたのかと呆れながら尋ねる。
「それで、感想を言い合いたいか? 俺は恥ずかしすぎて遠慮したいんだが」
「……いえ、思うだけにしておきます」
「そうしてくれ」
なんだか変な事になってしまったが、二人共の願いが叶っているのでこれでいいのだろう。
そう納得していると愛梨の腹が鳴った。確かにもう昼前なので湊も腹が空いている。
湊の耳にばっちりと音が届くほどの音だったので、恥ずかし気に彼女は呟く。
「お腹空きました」
「じゃあいい加減離れるか。このままだと動けないからな」
「……もうちょっと、いいですか?」
愛梨の優先するものは空腹よりも湊の温もりらしい。
上目遣いで見つめてくるその顔には一度も勝った事が無く、今回も負けてしまった。
「もうちょっとだけな」
「はい」
再び抱き着いてくる愛梨を腕の中に入れる。
少しだけと言いつつも、結局昼までだらだらと布団の中で過ごした。




