第91話 二人の距離
愛梨視点は入れません。
何か思いついたら挟もうかと思います。
愛梨と付き合ったからといって湊達の生活は変化していない。
先程まで抱き合っていたが腹が減ったのですぐに夜飯を食べ、風呂に入っていつものようにのんびりとしている。
飯を食べている際の会話の内容が変わる訳でも無いし、風呂も同じだ。
そして、くつろいでいる時には今までのように彼女が傍にいるのだから、本当に何も変わらないなと湊は苦笑する。
「……いつもと変わりませんね」
湊の表情から思っている事を読み取ったのか、それとも単に同じことを考えていたのか、愛梨が似たような表情で呟いた。
「冷静になると、この距離感って同居人に対するものじゃ無いからな」
「確かにそうなんですが、それに気付きつつも見ようとしなかったヘタレさんに言われるのは納得がいきませんね」
夏休み中――それこそ花火大会以降、湊達はこの距離感で過ごしていたのだから、それから目を背けていた湊への評価は否定できない。
意地悪な笑みを浮かべつつ、責めるような言葉を放った彼女にそっぽを向きながら応える。
「……それを言うなよ。悪かった」
「ふふ、私が原因なので怒ってないですよ。ちなみに、いつ頃から私が湊さんを好きだったと思います?」
「花火大会の時かな」
あれ以降急速に愛梨が距離を縮めてきたので、おそらく間違いでは無いだろう。
だが彼女はニヤリと笑い、指で×印を作った。
「残念、外れです。後で罰ゲームですね」
「罰ゲームはいいんだが、じゃあいつ頃からだ?」
恋人になったのだから今以上の触れ合いでも拒みはしない。むしろ、もっと触れたいとすら思う。
だが、愛梨が好意を抱いた時期が全く分からない。花火大会以前となると、残るは体育祭の時くらいだろうか。
しかし、あれは出会ってたった約二ヵ月しか経っていない時の事なので、警戒心の高い彼女が好意を抱くにしては早すぎる。
考えても答えが出ない以上、聞くしか無い。首を傾げながら尋ねると愛梨が呆れ顔になった。
「鈍感」
「鈍感言うな、否定出来ないから」
「……まあ、そんなことだろうと思ってましたのでいいです。体育祭の時ですよ」
「体育祭か、意外だな。あの件で多少愛梨と親しくなれたとは感じたけど、まさか好意を持たれるなんてなぁ」
一応は予測していたが、あまり期待しなかった事が当たっていた。なので目を見開きながら呟くと、愛梨の目がじっとりとしたものに変わる。
「あのですねぇ、こんなに狭い部屋で二ヶ月も生活していたら信用出来る人だって事は分かりますよ。個人の部屋が無いので隠し事なんて出来ないですし、同じ部屋でそんなに長い間、人は取り繕う事なんて出来ないと思います」
「確かに、言われてみればそうだな」
愛梨の言う通り一人きりになれる部屋など無いので、ずっと隠し事や誤魔化す事なんて出来ないだろう。もちろん湊は極一部を除いて隠し事などしていない。
おそらくそれが愛梨に信用される理由になったのだと思う。
これが普通の家だったら彼女は自室に引き篭っていただろうから、コミュニケーションも何も無かったはずだ。
ある意味この狭い部屋で良かったと安堵していると、愛梨が表情を変えずに口を開く。
「それに体育祭の時の言葉を言われたら、誰だって好意を抱くと思うんですが」
「あの恥ずかしいセリフだな……。出来れば忘れてくれると助かるんだが」
湊自身、よくあんな臭いセリフを言えたと感心してしまう。普通に暮らしていれば言う機会など無いし、恥ずかしすぎる。
あの時言えたのは愛梨を励まそうと必死だったからだろう。
後悔は無いものの、何度も当時の事でからかわれては堪らない。なので彼女にお願いすると、にっこりと満面の笑みを返された。
「嫌ですよ、絶対に忘れません。私を救ってくれた大切な言葉なんですから、ずっと、ずっと覚えてます」
「……だったら思い出すくらいにしてくれ。流石に言われるのは恥ずかしすぎる」
「はい、そうしますね」
湊としてはあまり思い出したくない言葉なのだが、愛梨がふわりと笑っているので余程大切なのだろう。
であれば本人の意思を尊重したい。頭の中で思い返すくらいなら湊が被害を受ける事は無いと結論付けた。
「それで、恋人になったからって俺達の距離感って変わらないんだよな」
随分話が逸れてしまったので元に戻すと、湊の言葉に愛梨が(うなず)頷きを返す。
「ですね。抱き着いたりもしてますし、撫でて、撫でられて、膝枕も互いにしてます。次は『これ』ですかね」
愛梨が悪戯っぽい笑みを浮かべ、自らの唇に指を当ててアピールしてきた。
その行動の意味は分かっているものの、あまりにもストレートな表現に湊の頬が熱を持ってしまう。
「……いつかな」
「ふふ、楽しみにしてますね」
からかいながらも顔を綻ばせて笑う愛梨から目を逸らす。
今この状況でするような度胸など無いので、ヘタレと言われても仕方ないなと思った。
「さあ、罰ゲームの時間ですよー」
「そんなに楽しそうに言われるのは複雑だ……」
夜も更けて寝る準備が終わったところで、愛梨がにこにこと機嫌良さそうに先程の件を持ち出してきた。
笑ってくれるのは良いが、内容には喜べないので渋い顔をしていると、彼女が先に布団に入っていく。
「さあ湊さんも入ってください」
「分かったよ」
毎日一緒に寝ているので、これが罰ゲームでは無いのは確実だ。
何かあるとすればこの後だが、かといって拒否するつもりも無いので布団に入って愛梨に背を向けた。
すると、拗ねたような声が耳に届く。
「そっちを向くのは駄目ですよ。こっちです」
「……なるほど、それが罰ゲームなんだな」
どうやら顔を見ながら寝るというのが罰ゲームの内容らしい。
これまで向き合う事は何回かあったものの、そんな体勢で寝る事は一度しか無かった。それに、あの一度も非難の言葉を言われて傷ついた湊を癒す為だったのでノーカウントだろう。
ともあれこれくらいなら問題は無いので愛梨の方を向くと、楽し気な笑みを浮かべながら身を寄せてきた。
「失礼しますねー」
「まさか腕枕か?」
「はい。罰ゲームですし、いいですか?」
愛梨がするりと湊の腕の中に入り、澄んだ碧の瞳が上目遣いで見つめてくる。
その表情は満面の笑みなので、罰ゲームというよりは単にそうしたくて口実を探していたようだ。
彼女が起きている時にするのは初めてだが、湊は既に腕枕そのものには慣れているので構わない。
とはいえ、薄着なので柔らかな身体をしっかりと感じるし、甘くて良い匂いも近すぎる。これは未だに慣れないので心臓が跳ねてしまう。
顔が熱くならないよう、必死に平静を装いながら言葉を発する。
「罰ゲームだからな、いいぞ」
「ありがとうございます。……ずっとこうしたかったんですよ、夢が叶いました」
互いの吐息すら聞こえる距離で、愛梨が美しく柔らかい微笑を浮かべる。
その言い方から察するに、朝は意識がぼんやりしていて、腕枕されている状況なのを理解していないのだろう。夢を壊した気がして罪悪感を覚えた。
そんな湊の内心を敏感に感じ取ったのか、彼女が訝し気な顔になる。
「どうしたんですか? もしかして嫌でしたか?」
「そういう訳じゃ無いんだ。けど、腕枕か……」
「……あの、本当に嫌だったら言ってくださいよ? 罰ゲームとはいえ湊さんが本当に嫌な事をさせるつもりはありませんから」
湊の反応があまり良くないので、嫌がっていると思ったのだろう。愛梨の顔が悲しみに歪んでいく。
嫌だとは欠片も思っていないし、そんな顔をされると心が痛む。
「嫌じゃないんだ、腕枕をするのは好きだぞ」
「でも、湊さんの反応が良くないですし……。あれ? 何で腕枕した事があるような言い方なんですか?」
ある程度ぼかして話したものの、察しの良すぎる愛梨は遠回しにした部分に気が付いてしまった。
きょとんとしているので、覚悟を決めて言葉を紡ぐ。
「朝起きたらなぜか腕枕してるんだよ」
「……はい?」
「だから、腕枕はほぼ毎日してるんだって。夢はずっと前から叶ってたんだぞ?」
「……」
湊の言葉に愛梨が呆けた声を出したので、ちゃんと説明した。
するとショックからか彼女が固まり、その後みるみるうちに顔が真っ赤になっていく。
「な、何で言ってくれなかったんですか!?」
「付き合ってもいないのに腕枕してるなんて言えないだろ。それに、朝弱くて気付いてないなら言わなくていいだろうと思って黙ってたんだ」
「そんなの卑怯です! ずるですよ!」
「いや、まあ、すまん」
卑怯やずるという言葉の真意は分からないが、湊を責めている事は理解出来た。
やはり女性の寝ている姿を眺めるのは駄目だったなと思って謝ると、涙を滲ませて愛梨が睨んでくる。
「なんで湊さんだけ楽しんでるんですか、理不尽ですよ!」
「俺だけじゃないだろ、愛梨だって気持ち良さそうにしてくれてたから、悪くは無かったと思うんだが」
「そんな私の意識が無い時の事を言われても困ります! というか私の寝顔を眺めてたんですね!?」
「毎朝起こしてるし、腕枕してるんだから多少見てしまうのは勘弁してくれ。それと、凄く可愛かったぞ」
「――ッ!」
愛梨は羞恥や照れからか感情が振り切れてしまったようで、耳まで真っ赤にした顔を湊の胸に埋めた。
ぐりぐりと擦り付けてくるのでおそらく怒っているのだろう、宥める為に彼女の頭を撫でる。
「今まで言わなくて悪かった。それに寝顔を見た事も悪い、止めさせるべきだったな」
「……別にいいですよ。起こしてくれるのは有難いですので、それを怒りも、責めもしません。でも、納得がいかないのでお仕置きを受けてくださいね?」
撫でながら謝罪するとくぐもった声が返ってきた。その声色は震えつつも許してくれるらしい。
今回の件は全て湊が悪いので、お仕置きというのを拒否する権利は無いだろう。
「なんなりと」
「……これから寝る時はこうしてください」
「そんなこと罰にもならないさ。じゃあ今までの分、しっかり堪能してくれ」
「はい」
何の罰にもならない事を受け入れ、遠慮なく愛梨を抱きしめて頭を撫で続ける。
長い事そうしていると、ようやく落ち着いたのか彼女は湊の胸から顔を離し、潤んだ目で見つめてきた。
「こんな事ならもっと前にねだれば良かったです」
「愛梨にお願いされたら断れなかっただろうなぁ……」
あれこれ理由を付けてお願いされていたら、湊はあっさり腕枕をしていただろう。
苦笑気味にそう応えると、愛梨がムスッとした顔になる。
「やっぱり湊さんはいじわるです」
「悪かったって」
「……もしかして、私を撫でてる時って腕枕してたんですか?」
「そう言うって事は、撫でられてる感覚はあったんだな」
「はい、気持ち良くて幸せな気分になりますから。でも腕枕は本当にもったいないです」
残念そうに愛梨が呟くので、再び彼女を胸に埋めさせた。
「これからは何度でもするからさ。撫でるのも含めて気持ち良くなってくれ」
「そうします」
愛梨は体の力を抜いて、湊に撫でられるがままになる。
暗い中でも良く分かる銀髪の感触を飽きもせずに楽しんでいると、彼女が顔を上げて見つめてきた。
「貴方に撫でられて、貴方の温もりを感じて、貴方の腕に包まれながら眠る。幸せです、幸せすぎます」
「こんな事で幸せを感じてくれるならお安い御用だけどな」
「もっと、ずっと、してください」
おそらく眠くなってきたのだろう。愛梨の声がだんだんと舌足らずになっていく。
このまま寝てもらう為に、囁き声で返事をする。
「ああ、もちろんだ」
「……うれしい。みなとさん、すき、すき、だいすき」
「俺も好きだよ」
幼げな声で好意を伝えてくる愛梨をとても愛しく感じる。
湊が想いを返すと彼女は眠気からか、とろりと蕩けた笑みを浮かべた。
あまりに魅力的すぎて油断してると襲ってしまいそうになるが、今は癒されて欲しいので必死に我慢だ。
「しあわせ、です。ずっと、ずっと、いっしょ……」
「ああ、ずっと一緒だ。だからもう寝ろ。文化祭、お疲れ様だ」
「は、い。おやすみ、なさい……」
アイスブルーの瞳がゆっくりと閉じていき、すぐに寝息が聞こえてきた。
あまり撫ですぎると起きてしまうので愛梨の頭から手を離し、ほんの少しだけ柔らかな身体を抱き寄せる。
(これくらいはいいだろう)
距離が近づいた事で、愛梨の温もりと匂いをより近くで感じる。
彼女の言う通り、こうして寝る事が出来るというのは幸せ以外の何物でもない。
愛しい存在を堪能していると、すぐに眠気が襲ってくる。
抵抗する事無くそれに身を委ね、二人で身を寄せ合いながら眠りについた。