第90話 重なる想い
愛梨と帰る途中、何を話せばいいか分からず無言だったものの、繋いだ手から温かさが伝わってきて気まずさは感じなかった。
そして家に着き、言葉にする事無く座って向かい合う。
体育祭や花火大会はそうだったし、夏祭りの時だけは違って外だったが、あの時も含めて湊達が大切な話をする時はこうして向かい合っていたなと思い出す。
どうやって話を切り出そうか悩んでいると、ふわりと彼女が微笑んだ。
「文化祭、楽しかったですね」
「ああ、そうだな。本当に楽しかった」
二人で居られた時間は僅かだったし、そんなに沢山の場所を見た訳では無い。
それに周囲からの好奇の目は凄まじかったが、それでも楽しめたと自信を持って言える。
また、悪意を向けられたり谷口との話もあったが、それも今は一つの思い出だ。
しみじみと言うと、愛梨が笑みを深くする。
「何も気にする事無く外でも湊さんの傍に居られるというのが、あれほど嬉しいとは思いませんでした」
「俺もだ。ずっと愛梨の隣に立てたんだ、凄く嬉しかったよ」
今まで湊達はあれこれと理由を付けなければ、外で一緒に居る事すら出来なかったのだ。
だからこそ夏休み明けから頑張ったのであり、その集大成が文化祭だったのだから、傍に居られる嬉しさも今までより大きかった。
「本当に、ありがとうございました」
この二日間を思い返していると、唐突に愛梨が深く頭を下げる。
お礼を言うのはこちらの方なので、湊も態度で返した。
「俺の方こそ、この二日間ありがとうだ」
「それもありますが、今日までの事もでもあるんです。私は、貴方のおかげで穏やかに暮らせました」
「……最初、愛梨は俺を滅茶苦茶警戒してたから、どうなるかと思ったけどな。女の子が急に初対面の男と同居するんだから納得は出来るけど、何を話せばいいかなんて分からなかったよ」
この同居生活が始まった時はどうなる事かと本当に心配したのだ。その事を思い出して苦笑する。
愛梨は露骨にこちらを警戒しているし、何を話しても彼女の地雷を踏んでしまいそうで会話の内容に神経を使った時もあった。
出会った当初の事を愛梨も思い出したのだろう。湊と同じ苦い笑みを浮かべている。
「そうですね、あの頃は酷かったです。外見を褒めるのは駄目、人間関係に触れても駄目、趣味も特に無しなのでつまらない女と言われてもおかしく無かったですよ。……湊さん以外の人に褒められても嬉しく無いのは変わりませんがね」
「つまらない女って自分で言うなよ……。まあ、俺を受け入れてくれただけ良かったけどな」
実際のところ、愛梨はかなりとっつきにくい人だろう。湊もこの状況にならなければ彼女とこういう関係にはなれなかっただろうから。
外見を褒めるのは嬉しいどころか嫌で、人間関係は特に興味が無く、趣味は地雷である髪の手入れだけ。ここだけで判断するならつまらない女という自己評価も納得だ。
だが、一緒に暮らしていくうちに彼女は湊を受け入れてくれた。今浮かべている穏やかな笑顔はその証明だろう。
「受け入れますよ。湊さんは私をいつも気遣ってくれましたから。その温かさが私の凍った心を溶かしてくれたんです」
「俺に出来ることはそれくらいだったからな」
湊に出来ることは今も昔も変わっていない。愛梨を気遣い、精一杯寄り添うことだけだ。
運動が出来ればいいのか、勉強ができればいいのか、顔が良ければいいのか。
それは湊の頭をずっと悩ませている事であり、本当のところ答えは出ていない。
けれど、決して気遣いを止める事だけはしなかった。そして、それを続けていたらいつの間にか気安く、心地良い関係になっていたのだ。
いつぐらいから変化しだしたのだろう。ずっと一緒に居るのであまり分からないが、多分体育祭の頃からだったと思う。
「はい。他の誰でもない、そんな貴方の優しい気遣いに私は救われました。体育祭の時には私の人付き合いの下手さに寄り添ってくれましたね」
湊と同じ事を振り返ってくれた事に、想いが繋がっている気がして胸が温かくなる。
あの時に初めて愛梨の本当の心を見れた。不器用で、でも優しい彼女を守りたいと思ったのだ。
「下手というか……まあ、不器用だな。そのくせ気を張ってるんだから、そりゃあ疲れもするさ」
「もう、はっきり言わないでくださいよ……。あの時の嬉しさは湊さんには分からないでしょうね。初めて私を見てくれていた人が居たと分かったんですから。涙が出そうでしたよ」
噓偽りの無い感想を述べると、愛梨は恥ずかし気に頬を染め、その後嬉しそうにはにかむ。
一応あの時も感謝を伝えられているし、湊が放った言葉は大したことないと思っていたが、それが彼女の心に響いたようだ。
あの頃から愛梨の助けになれたのだ。それはとても誇らしい事だと思う。
「そんなに愛梨の助けになれたのなら嬉しいよ」
「ええ、あの時の言葉は覚えてますよ、本当に救われたんです。『誰も二ノ宮を見てないなんて言うな、俺がちゃんと見てる。優しくて、しっかり者で、でもちょっとだけ抜けてるお前を、俺はちゃんと見てるぞ』って、一言一句覚えてます」
「……他人に言われると相当恥ずかしい事を言ってたのが分かるな」
愛梨に言われて湊がどれだけ恥ずかしいセリフを言っていたか理解出来てしまった。
あまりに恥ずかしくて頬が熱を持つのを自覚していると、彼女の手が湊のそれを包み込む。
細く、小さく、柔らかい手の感触は触れる事が増えたものの、未だに慣れる事は無い。
愛梨が微笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「でも、私にとってはその言葉は何よりも温かいものでした。改めて、本当にありがとうございます」
「……おう」
純粋で真っ直ぐな感謝の気持ちに短く相槌を打つことしか出来なかった。
湊の反応がおかしいのか、くすくすと笑いながら愛梨は口を開く。
「そして、あれから私は積極的になりましたね」
「確かに。あの頃からだったっけ、愛梨が明るくなったのは」
「はい。友人が出来て、湊さんを名前で呼ぶようになって、一緒の布団で寝るようになって……。いろいろな事がありました」
「代わりに俺は愛梨にからかわれまくったけどな」
ちょうどその頃くらいから、愛梨が悪戯っぽい笑みで湊の心を乱すようになってきたのだ。
不満や不快感など全く無かったし、湊が受け入れられているようで嬉しかった。それは今でも変わらない。
だが無邪気に、無防備になっていく姿に湊はどんどん惹かれていった。必死に庇護欲で誤魔化していたものの、一真に相談すらしたのだから。
湊がからかわれている時の光景を思い浮かべて苦笑すると、いつものように軽やかな笑顔を向けられた。
「だって湊さんはあれこれ文句を言っても、私を本気で止めはしないんですよ? そりゃあ調子に乗りますよ」
「衝撃の事実なんだが」
「ふふ、ごめんなさい。でも、私がもっと積極的になったのは花火大会以降ですけどね。私の見た目を初めて褒めてくれて、独りにしないでくれて、我が儘を言っても良くて、私の全てを知っても受け入れてくれたんですから。そんなの、甘えちゃうに決まってます」
「確かに甘えろとも言ったし、我が儘も言えとは言ったが、あの日から積極的だったからなぁ」
花火大会で愛梨の過去を受け止めて以降、彼女は露骨に湊に迫ってきた。
夏休み中はそれで結構悩んだ時もあったが、思い返すとあの時から愛梨は湊にアピールしていたのだろう。
だが湊は信用、信頼という言葉で必死に見ないフリをしていた。そうしているうちに、彼女はますます積極的になっていった。
今では寄り添うことが当たり前で、触れ合う事が当然で、近くに居なければ落ち着かなくなってしまうほどだ。
「頑張ったんですよ、本当に。でも湊さんは気付かないフリをしてました」
「……悪かったよ。愛梨との生活が心地良すぎて、それを万が一にでも壊したく無かったんだ」
拗ねるような目で見つめられれば、謝罪と言い訳以外の言葉は出てこない。
けれど、湊とて悪気があってそうしていた訳では無いのだ。
あまりにも心地よくて、穏やかで。そんな生活を壊したくないと思うのは普通の事ではないだろうか。
湊の情けない良い訳に愛梨はやれやれと首を横に振る。
「私の態度を見ればすぐに分かるでしょうに……。でも、湊さんがそう判断してしまう原因は私にありました。他に行くところも、頼れる人も居ないのであれば、信頼している人に縋るしかありませんからね。なので、夏祭りのあの日に私は思い切って踏み出したんです」
「ああ、愛梨のおかげで俺は傷つく覚悟が、前に進む勇気が出たんだ。本当に感謝してるよ」
一真には注意されたものの、愛梨の言う通り、湊は単に信用されているだけ、信頼されているだけと思考を停止させてしまっていた。
なのであの時彼女が踏み出してくれなければ、湊は今日までずるずると夏休み中の時のように現状維持のままだっただろう。
へたれと言われてもおかしくないが、独りで頑張れる強さなど湊には無い。
感謝の言葉を伝えると、愛梨は安堵の表情を浮かべた。
「それなら良かったです。単に私の欲望もあったので、頑張った甲斐がありました」
「欲望?」
「ええ、家の中での生活が不満な訳ではありませんが、私は外でも貴方と一緒に過ごしたいと思いました。一緒に登校し、お昼ご飯を食べ、帰る。私達は年が違う以上、どうやっても同じクラスにはなれませんから。ほんの少しでも一緒に居たい、その為にやった事ですよ」
「ありがとな。そのおかげで今日まで頑張れた」
そこまで愛梨が想ってくれていたとは思わなかったし、彼女に引っ張ってもらったからこそ今日まで湊は前を向くことが出来たと改めて感じた。
愛梨の気持ちを嬉しく思っていると、彼女はなぜか顔を曇らせる。
「けれど一つだけ、湊さんを試したんです」
「……俺が悪意を受けても愛梨の隣に居るかどうか、かな。もしくは俺が他の人と同じようにならないかってところか?」
「はい、正解です」
先程の話と矛盾しているようにも感じるが、それはある程度湊も予想していた。
そもそも愛梨は周囲の視線――特に悪意に人一倍注意を払っている。
であれば、いくら湊を信頼しているからといって、いつか悪意に負けて自分を突き放すのではないか、視線に参って傍から居なくなるのではないかという、心の中にある疑念はそう簡単に晴れはしない。
湊が正解を言い当てると、彼女はますます顔を悲しそうに歪ませた。
「……その結果、私は湊さんの平穏を崩してしまいました。本当にす――」
「待った、その先の言葉は言わないでくれ」
互いに頑張ろうと約束したのだ。後ろ向きな言葉は聞きたくないし、そもそも悪意を耐えられるようにならなければいけないと思ったのは湊なので、愛梨は何も悪くない。
謝罪の言葉を遮ると、彼女は目をぱちぱちと瞬かせる。
いつも愛梨には引っ張ってもらっていた。家で距離を近づける時は彼女からだったし、それは外でも同じだった。
であれば、ここくらいは湊が引っ張りたい。
今度は湊が愛梨の手を包み込み、しっかりとアイスブルーの目を見つめた。その瞳の奥には期待が揺らめいているように見える。
「愛梨、俺は平凡な見た目で、運動も並みで、勉強が少し出来るだけの男だ。でも、それでも、誰に何を言われても、愛梨の隣に立ちたい。それをこの一ヵ月で示せたと思う。だから――」
この熱く、大きく、大切な想いを伝える為に頑張ってきたのだ。
誰に、何を言われても折れる事は無いと、彼女の湊への不安など杞憂だと示せたと思う。
受け入れられるだろうと思っていても緊張で声が震える。ほんの少しの言葉を伝えるだけの行為がこんなに大変だとは思わなかった。
だが、もう覚悟は決めている。逃げるつもりも、目を背けるつもりも無い。
大きく息を吸い、その想いを形にする為に口を開く。
「二ノ宮愛梨さん、好きです。付き合ってくれませんか?」
「……」
愛梨は湊の言葉を聞いた瞬間に硬直してしまった。
「愛梨?」
「……本当に、いいんですか?」
まさか駄目だったのだろうかと不安になっていると、いつもの涼やかな声はどうしたのかと思うくらい震えた声が耳に届いた。
「いいも何も、さっき言っただろ?」
「私は捻くれた女です。嫉妬深くて、面倒臭くて、重い女なんですよ。こういう風になるように湊さんを誘導した部分もあるんです」
「それがどうした。捻くれてるのなんて知ってる。嫉妬も、面倒なのも、重いのもそれだけ俺の事を想ってくれてる証拠だろ? 誘導に関しても、俺に近づこうとしてくれたんだから嬉しいさ」
愛梨は今更何を言っているのだろうか。そんな事などとっくの昔に分かっている。
後ろ向きな言葉をいくら述べたところで湊の意志は絶対に変わらない。
「それにな、これは誘導されていても俺が自分の意志で選んだんだ。それは愛梨にも否定させない。そういう所もひっくるめて好きになったんだから」
愛梨の言葉を論破すると、みるみるうちに彼女の瞳に涙が溜まっていく。
頬は上気して薔薇色になり、その表情は花が咲き誇るかのような鮮やかな笑顔だ。
「好き……です。好きです、大好きです。優しい笑顔が、貴方のくれる温かい空気が、ちょっといじわるな所も含めて大好きです」
「……悪気があったわけじゃないんだ、勘弁してくれ。じゃあ改めて――」
何度でもこの想いを伝えよう、もう互いの間に壁は何も無いのだから。
「二ノ宮愛梨さん、好きです。付き合ってくれませんか?」
「はい、九条湊さん、好きです。私の方こそ付き合ってください!」
感極まったのか、愛梨が湊に抱き着いてくる。
彼女の言葉を聞いて安堵が胸に満ち、視界がぼやけてしまう。
しっかりと受け止めると、至近距離から涙を零している美しい顔が湊を見上げてきた。
「やっと、やっと言えました……。好きです、大好きです、本当に大好きなんです! ですから、私を離さないでください、独りにしないでください」
「俺の力なんて些細なものだ。けど、そう出来るように愛梨の傍に居るよ。必ず」
「はい! よろしくお願いしますね、湊さん!」
この腕の中の小さく、温かい存在がとても愛おしい。
失いたくないと、傍にずっといて欲しいと思う。
だからこそ湊は改めて決意する。
(やっと思いのままに抱き締める事が出来たんだ。離すもんか)
互いに笑いながら涙を流して抱き合い、ようやく二人の想いは重なった。
四章はこれで終了です。
こんな拙くありきたりな話を読んでくださって、本当にありがとうございました。
ここまで沢山の方のブックマーク、評価ポイント、感想等に励まされました。
まさか月間100位に入れるとは思っていなかったですし、途中で折れていたかもしれません。それでも続けてこられたのは読者の皆様のおかげです。
この後もまだ話は続きますが、書き溜めが少なくなったことで更新頻度を二日に一回に落とします。
湊達が付き合った事、更新頻度が落ちる事で読まなくなる方もいると思いますが、出来れば最後までお付き合いいただけたらと思います。
もう一度になりますが、本当にありがとうございました。




