第88話 愛梨の行きたいところ
「本当にごめんなさい。今からは自由ですので、ゆっくりまわれますよ」
午後の自由時間に愛梨を迎えに行ったところ、そんなことを言われた。
湊とタイミングは合わせたものの、これまでの事からしてゆっくりと言えるほどの時間は無いのではないか。
そう思ったのだが、教室の前で客引きだろう女子生徒が「すみませーん! もう喫茶店は終了でーす!」と声を張り上げているので、おそらく何かあったのだろう。
時間があるのは嬉しいが、理由は聞いておきたい。
「何かあったのか?」
「もう出せる物が全て無くなったんですよ。今から臨時で揃える事も出来ないので、喫茶店は終了です」
どうやら愛梨が店員をしていたことで、予想以上という言葉も軽く思えるくらい繁盛したらしい。その結果、客に出せる物が無くなったのでお開きになったようだ。
恐るべきは彼女の見た目の良さだろう。あまりにも整い過ぎて人目を引いてしまう事がこんな結果をもたらすとは思わなかった。
「……何というか、流石愛梨だな」
「それ褒めてます? というか私の功績だなんて一言も言ってないんですが」
呆れ気味に褒めると、じっとりとした目で愛梨に睨まれた。
確かに言ってはいないが、喫茶店の食べ物等が無くなる事など普通はありえない。そして、原因など一つしか思いつかない。
「普通喫茶店の物って多めに買うはずだ。それが予想より大幅に売れる理由なんて、愛梨の見た目が綺麗すぎて、それを大勢の人が見に来たって事以外無いと思うんだが」
「……そんなに真っ直ぐ褒められると思いませんでした」
愛梨が頬を朱に染めると周囲がざわりと揺れた。
ここまで表情豊かなところは昨日まで見せていなかったので、他の生徒達はまだ見慣れていないようだ。
また、今日は一般開放の日なので当然ながら学校外の人もいる。
それらの人達が驚愕だけでなく訝し気にこちらを見てくるので、湊達のやりとりにどんな感情を持っているかは一目瞭然だ。
けれど昨日と同じく何も気にしないと、こんな視線に負けないと意気込む。
「駄目か? これくらいは許して欲しいんだが」
「いえ、嬉しいですよ。他の誰よりも、貴方に褒められる事が嬉しいです」
「なら良かった。でも大丈夫か? ずっと働きっぱなしで疲れただろ、どこかで休憩するか?」
愛梨が頑張ると言ったのでその意見を尊重したものの、疲れきっている彼女を連れ回すつもりは無い。
実際疲労が色濃く顔に出ているので、かなり心配だ。なので尋ねてみたが、愛梨はふるふると首を横に振った。
「いいえ、どうせ後数時間で文化祭も終わりですし、もう店も閉めました。なので目一杯楽しんで、後でゆっくりしますよ」
言われてみれば、愛梨が頑張らなければいけない事などあと一つを残してもう無い。
それに、最後の一つを今伝えて残りの時間を楽しめないのは嫌だ。であれば彼女の体調に気を付けつつ楽しみ、家に帰って休憩してもいいだろう。
「分かったよ。じゃあ行こうか」
「はい」
愛梨は湊の言葉に柔らかい笑顔で頷き、昨日と同じく隣に来る。
周囲からの視線が一層きつくなったが、もはや何も気にならない。
文化祭は後り僅かなのだ。それが彼女にとってかけがえの無い時間であって欲しいと願いながら、服を摘ままれた感触を確認して歩き出した。
(そういえば行先を聞いてないな)
教室を離れてから、愛梨が先導する形で廊下を歩く。
この様子だと行先は決まっているようだが、知らされてはいない。
別にこのままでも目的地には着くので何も問題ないが、昨日の午後はダーツ以外何も見に行かず体育館でゆっくりしていたので、今になって行きたいところがあるというのには疑問を覚えた。
「楽しむとは言ったけど、行きたいところがあるのか?」
「はい、どうしてもという所が一つあるんです」
「どこか聞いてもいいか?」
「お楽しみ……と言いたいですが、湊さんがよく知っているところですよ」
「おい、まさか……」
悪戯っぽい笑顔に嫌な予感がした。そもそも湊がよく知っている場所など一つしかない。
そこに行く事が駄目という訳では無いが、関係を見せつけてしまうようで気が重くなる。
湊の顔が引き攣っていると、愛梨が更に笑みを深めた。
「という訳で、行きましょうね」
「……はぁ、分かったよ」
後で昨日以上に問い詰められなければいいなと思いながら、溜息を吐いて目的地に足を向けた。
「あれ、九条君? まだ交代の時間じゃ……ってそういう事か」
愛梨が行きたかったところは湊のクラスのお化け屋敷だ。
入口に行くと、客寄せをしているクラスメイトの女子に訝し気な目を向けられる。
だが湊の横を見ただけで全て理解したようで、にんまりと面白そうなものを見るような笑顔に変わった。
まだ始まってすらいないのだが既に疲れを感じてしまい、苦笑気味に女子に応える。
「そういう事だ。二人、いいか?」
「いいよー。それじゃあお二人様ご案内ー!」
何かを言いたそうな笑顔には何も反応せずに教室の中に入った。
湊は企画側なので、当然ながらどこに仕掛けがあるか全て理解している。
お化け屋敷を楽しむという観点で言えばあまり満足は出来ないだろうなと思った瞬間、湊の指がしなやなかなものに捕まった。
「暗くて怖いですし、いいですか?」
「学生のお化け屋敷なんてたかが知れてるだろ。というか愛梨は怖いものって大丈夫だったっけ?」
「……どちらがいいですか? 男性的には怖がって抱き着いてくれる方が嬉しいんでしょうか?」
愛梨はホラー系が苦手なようには見えないし、本当に駄目ならばこうしてお化け屋敷に行こうとはしないはずだ。
にまにまとした笑顔で湊をからかってくるので、ここは仕返しをしてもいいだろう。
「ほう? 抱き着いて欲しいって言ったらそうしてくれるのか?」
「ではそうしましょうか? 湊さんがクラスメイトに後で何を言われるんでしょうかね?」
「そういう愛梨こそ、そんな大胆な事を本当に出来るのか? 恥ずかしいなら今のうちに言った方がいいぞ?」
「あのー、九条君。そろそろスタートしてくれると嬉しいなぁ……」
湊達がスタート地点で一歩も引かない煽り合いをしていると、案内役の女子が気まずそうに早く行けと促してきた。
確かにここで意味の無い論争をしては迷惑なので、さっさと進む事にする。
「悪い。じゃあ行くか」
「はい。それで、どっちが良いですか?」
「好きなようにしろ。俺はどっちでも構わん」
湊がそう言うと愛梨は顔を綻ばせ、改めて手を握ってきた。
「ふふ、では好きにしますね」
「はいよ」
「お願いだから早く行ってよぉ……。見せつけないでよぉ……」
扉の方から泣き言が聞こえた気がしたが、湊の記憶には殆ど残らなかった。
(疲れる……)
結論から言うと、愛梨はホラー系が全く問題無いタイプのようだ。
湊も同じなので、脅かす役のクラスメイトはさぞかしやりがいが無いだろう。
なので止まる事無く進めると思ったのだが、思ったより時間が掛かっている。その原因はにやりとした笑みを浮かべている隣の少女だ。
「きゃあ」
「……さっきも言ったが、引っ付くな」
「湊さんが冷たいです。私はこんなに怖いのに……」
「どの口が言うんだか。全く怖がってないだろ」
「では嫌ですか?」
「……嫌じゃない」
「ふふ、意地っ張りですねぇ」
何かあるたびにこうして彼女がワザとらしく引っ付こうとしてくるので、引き剥がすのが大変だ。そもそも棒読みの悲鳴を上げている時点で演技というのが丸わかりである。
なので疲労を感じつつ、なんとかお化け屋敷を終えたのだが、教室から出ると一真が苦笑いで湊達を待っていた。
「お二人さんに言いたい事があるんだが、いいか?」
「ああ、いいぞ」
「はい」
湊達が許可すると、一真が意を決したかのように息を吸い込んで言葉を発する。
「いちゃつき過ぎだ。お化け屋敷でお化け側をダウンさせてどうすんだよ……」
そう一真が言いながらスマホの連絡アプリを立ち上げて、クラスのグループを表示した。
そこには――
『なんだあのバカップル』
『二ノ宮さんが可愛すぎて無理』
『ウラヤマシイ』
『幸せだって感じが溢れてたねぇ……』
脅かし役のクラスメイトの文句がずらりと並んでいた。
そこまで甘い雰囲気を出したつもりは無かったが、どうやら駄目だったらしい。
「すまん」
「す、すみません」
クラスメイトに迷惑を掛けてしまったようなので、素直に謝罪した。
まさか自分がここまで言われているとは思わなかったのだろう、愛梨が羞恥心からか頬を真っ赤に染めつつ、湊と同じく頭を下げる。
「仲が良いのは嬉しいんだがな。まさか客に反撃されるなんて誰も予想してねえよ……」
途方に暮れたように頭を抑える一真に何も掛ける言葉が無かった。




