第84話 大胆な発言
「湊さん、ヘアピンを着けてもらっていいですか? 元気をもらいたいんです」
九月の終わりであり文化祭当日の朝、準備をしている愛梨にそうお願いされた。
元々派手な物ではないので校則違反にはならないとは思っていたが、普段全くアクセサリーを着けない彼女がおしゃれをすれば多少話題になるだろう。
だが、湊と一緒に文化祭を過ごす時点で大事になってしまうので、些細な事なのかもしれないと納得してヘアピンを受け取る。
「分かったよ。それじゃあ失礼するぞ」
「はい、お願いしますね」
柔らかく微笑む愛梨の髪にそれを着けると、笑顔が一層濃くなった。
「ありがとうございます。ふふ、湊さんが近くに居るみたいで安心します」
「愛梨が忙しくなるのはほぼ確定だからな。自由時間以外一緒に居られないし、そう感じてくれるのは嬉しいよ」
一真達に調整してもらったものの、自由時間はそう多くない。
愛梨は喫茶店の華であり、負担が一番多くなるのは仕方ないので文句は言えなかった。
そもそも彼女がそれを納得している以上、湊が口を挟むべきではない。
だが、少しでも力になれればとそっと頬に触れる。
「月並みな言葉だけど、喫茶店頑張れ。自由時間は一杯楽しもうな」
「……ん。はい、それを楽しみにして頑張りますね」
愛梨は湊の手に頬を擦り付けてご満悦の表情だ。
ふにふに、すべすべとした頬はどれだけ触っても飽きることは無い。
励ましているつもりなのに湊が元気をもらっている気がするが、彼女が喜んでくれているのでこれでいいのだろう。
暫く極上の感触を楽しんでいが、そろそろ準備を再開しなければならないので、名残惜しいが手を離した。
愛梨が物足りないというような表情を浮かべるが、彼女も時間が無くなってきているのを分かっているので、もう一度とせがまれることは無い。
「今日は大変な一日になる。一緒に頑張ろうな」
「はい!」
湊の高校の文化祭は二日間行われ、初日は生徒とその関係者のみ、二日目は一般公開と分けられている。
湊のクラスの出し物がメジャーなお化け屋敷という事もあり、それなりに人は多いものの、大賑わいで人手が足りないという事も無く順調に進んでいる。
そして午前中の休憩時間になった。愛梨を迎えに行かなければならないので、持ち場を代わって彼女の教室に向かう。
(さて、どうなるかな)
もう少しすれば学校の話題をさらうことになるので、緊張で胸の鼓動が落ち着かなくなる。
だが、引くつもりは無いのでしっかりと覚悟を決めると、ちょうど目的地に着いた。
愛梨がウェイトレスをしていることが広まっているのだろう。大勢の人が並んでいる。
その大半が男子なので、露骨すぎやしないかとひっそりと溜息を吐くと、客寄せをしている女子と目が合った。
どこかで見た事があるなと思ったら、夏休みに出会った女子の一団の一人だ。
湊を見て用件を把握したのか、にっこりと元気な笑顔を向けられた。
「どうも九条先輩! 二ノ宮さんですね、ちょっと待ってください!」
「ああ、頼む」
特に問題が起きずスムーズに事が進むのは有難い。
彼女が隣のクラスに入り、愛梨を呼んでいる。どうやら喫茶店は二クラス合同のようだ。
「二ノ宮さん、九条先輩来たよー」
「うん、すぐ行く」
どうやら愛梨も既に休憩の準備をしていたようであり、待っていると制服姿の彼女が出てきた。
衛生面の問題があるので、ウェイトレス姿から着替えたのだろう。
そんな愛梨は湊の目の前に来て、覚悟を決めた瞳と、家で過ごしている時の穏やかな笑みでこちらを見つめた。
「よろしくお願いしますね、湊さん」
はっきりした言葉が周囲にも届いたのか、ざわりと騒がしくなる。
喫茶店に並んでいた客、客引きをしていた店員、廊下をたまたま通った生徒等、さまざまな視線が湊達に集まった。
「なあ、さっき二ノ宮さんがあいつの事を名前呼びしなかったか?」
「九条だろ? 仲が良いのは知ってたけど、ここまでとは思わなかったな」
「二ノ宮さんのあんな表情初めて見たよ、ああいう顔もするんだね」
「噂には聞いてたけど、二年の先輩とホントに仲良いんだ」
この衆人監視の中でまさか家に居るような態度をするとは思わなかったが、これが愛梨の決意なのだろう。
であれば、それを否定はしない。ここからが湊の頑張りどころだ。
「ああ、よろしくな。愛梨」
湊が愛梨の名前を呼んだことで更に周囲が騒然となる。
「嘘だろ……」
「あいつ、二ノ宮さんを名前呼びするとか身の程知らずだな」
「でも受け入れてるみたいだぞ」
「クソっ、なんで九条なんだ……」
唖然とする人や湊を睨んでくる人などさまざまだが、それがどうしたと思える。彼女が居れば何も怖くは無い。
愛梨が柔らかく笑って隣に来る。そしていつものように湊の服の裾を摘まんだ。
鮮やかな花のように笑む愛梨を一番近くで見れることが誇らしい。
「それじゃあ行くか」
「はい」
午前中の休憩とはいえ、まだ昼飯には早すぎるが露店巡りをしている。
愛梨は昼時に喫茶店の仕事に入るので、今のうちに食事を済ませなければならない。
「食べたいものはあるか?」
「そうですねぇ……。やはり家で食べられないものがいいですね」
こういう時の愛梨の基準は家で作れない、もしくは作るのが面倒くさすぎて作っていないものだ。
であれば何が良いかと周囲を見渡すと、ちょうど家で食べていないものが目に付いた。
「ならあれはどうだ?」
「いいですね、あれにしましょうか」
選んだのはたこ焼きだ。家で食べるには冷凍、もしくは専用の道具が必要なので全くと言っていいくらい食べていない。
湊達が寄り添っていることが異常なのか、変な物を見たかのように店員の男子生徒が目を見開いてこちらを眺めていたが、文句を言われなかったので特に気にしない事にした。
そして、二人分のたこ焼きを持って中庭のベンチに座る。
「そういえば、たこ焼きって食べた事が無いかもしれません」
「家では作らないし、夏祭りと花火大会の時は食べて無かったからな」
それでも一度も食べた事が無いというのは驚きだが、愛梨の事情を鑑みれば当然だろう。
別にそれでどうなるという訳でも無いので、この状況を楽しむ事にする。
「お先にどうぞ。熱いから気をつけろよ」
「はい、それじゃあいただきますね」
「あ――」
愛梨がふうふうとたこ焼きを冷ましたが、明らかに不足しているようだった。
注意するつもりで口を開こうとしたのだがもう手遅れであり、彼女が口にそれを含んだ瞬間、驚きに目が見開かれた。
「!?!? ーー!」
「あちゃあ、またベタな事を……」
「んー! ん―!」
「はいはい、水だ」
愛梨がたこ焼きの熱さに慌てだし、湊の肩をタップしてくるので先に買っておいた水を渡す。
大急ぎでそれを飲んで口の中を冷やすと、潤んだ目で睨んでくる。
「熱かったです。注意してくださいよぉ……」
「一応熱いって言ったんだが。それに注意しようとしたけどもう遅かったんだよ」
「ここまで熱いとは思わなかったんです」
「俺は愛梨がここまでベタベタな反応をするとは思わなかったがな」
「いじわる」
「理不尽だ……」
文句こそ言われたがじゃれていることは分かるので、睨まれても何も怖くは無い。
食べ終わって休憩していると、改めて周囲の視線が凄まじいことが分かる。
愛梨が普段全くしていない、明るく人間味のある表情をしている事。そしていくら湊達が親しくなったとはいえ、かなり親密なやりとりをしている事。それらが合わさって、突き刺すような視線が集中している。
とはいえ今のところ文句や邪魔をする人が居ない事は有難い。
愛梨もこの視線の多さは予想外なのだろう。呆れと驚きを含んだ声が聞こえてくる。
「にしても視線凄いですね、正直ここまでとは思いませんでした」
「愛梨が家に居る時のような態度になってるからな。普段のお前の姿から考えると意外を通り越して異常なんだろ」
「まあ私が招いたことですし理解もしているつもりですが、私が誰と一緒に居てどんな表情をしてもどうでもいいでしょうに……」
「そう思わないのが人間なんだろうな。俺も愛梨が名前呼びした時は驚いたぞ」
愛梨の言う通り、今まで他人を――特に男子を拒絶していた彼女の招いた事ではあるが、その原因の一旦は湊にもある。
今更それを気に病みはしないが、流石に湊の名前を呼んだのは衝撃だった。
その時の事を思い出したのか、申し訳なさそうに愛梨が眉を下げる。
「強引な事をしてすみません、先に相談するべきでした。……嫌でしたか?」
「いいや、むしろ覚悟が決まったさ。引っ張ってくれてありがとな」
怒るつもりなど全く無い、むしろ湊の背中を叩いてくれたことに感謝すらしている。
気にするなと頭を撫でて慰めようとしたのだか、今は外に居るので必死に自制した。
愛梨も普段なら頭を撫でられているはずなのに、それを湊がしなかったので意外そうな顔をしたのだが、その理由が分かったのか悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふ、撫でてくれてもいいんですよ?」
「今は駄目だ、また後でな。さて、飯の続きだ。あれだけじゃあ午後の休憩まで持たないぞ」
「はぁい、次は何を食べましょうかねぇ」
そうして午前中の楽しく、かけがえの無い自由時間は過ぎていった。
自由時間が終わって愛梨を教室に送り届けた後、客寄せをしていた女子に話しかけられた。
彼女にも見覚えがある。確か女子の一団の一人だったはずだ。
「九条先輩、あんなに二ノ宮さんと仲良かったんですね」
「まあな。もう隠すのは止めたんだ」
「私が言うのは何ですが、良いと思いますよ。応援してますね!」
「ああ、ありがとな」
こうして認めてくれる人も居るのだ。何も不安になる事は無い。
そして湊のクラスに戻ると、クラスメイトにも話を聞かれた。
「なあ九条、お前あんなに二ノ宮さんと仲良かったのかよ!?」
「二ノ宮さんあんな顔するんだな……。意外というか、何と言うか」
「可愛かったなぁ二ノ宮さん。こう、熱々だったね」
「詳しく、詳しく話を聞かせてくれ!」
「……分かった分かった。順番にな」
湊達のやりとりと見ていたか、噂が耳に届いたのだろう。
我先にと問い詰めてくるので話すのは本当に大変だったが、悪感情を向けてくる人はおらず、湊達の関係を受け入れてくれたように感じて胸が温かくなった。