第78話 二人きりの放課後
当たり前だが、愛梨と二人で昼飯を摂ったところはかなりの人に見られていた。
だからなのか、放課後以降話しかけてくる人が露骨に増えた。とはいえ以前と同じく単に湊を羨んで話を聞きに来る人が殆どだ。
今もクラスメイトから質問を受けている。邪険に扱うつもりは無いし、今までと会話そのものは変わらないので特に問題も起きない。
申し訳ないとは思うが嘘と本当の事を混ぜつつ会話をする。
「なあ九条、二ノ宮さんと二人で昼飯を食べたんだろ?」
「ああ、一真とはタイミングが合わなかったし、あいつらも偶には二人きりで居たいだろ」
「よく二ノ宮さんが許可したなぁ。何か面白い会話はしたのか?」
「別に何も。俺も二ノ宮もあれこれ話すタイプじゃないからな」
「それでもあの二ノ宮さんと二人きりか、羨ましいなぁ……」
「まあ、それは否定しない。羨ましいなら二ノ宮と話せばいいだろ? 露骨に色目を使わなかったら大丈夫だと思うぞ」
「九条じゃないんだから二ノ宮さんに話し掛ける事なんて出来ん。俺には高嶺の花を遠くから眺めるだけでいいよ」
「……そう言うなら無理強いはしないけどな」
また、湊に話しかけてくる人は男子だけでなく女子もだ。
「ねえ九条、二ノ宮さんと話したんだよね? あの綺麗さの秘訣何か掴めない?」
「男の俺が聞けると思うか? 褒められるのは嫌みたいだから、外見に関して全く触れてないぞ」
「まあそうだよねぇ……。あの二ノ宮さんに対して外見を褒めないって言うのは凄いね。だからこそ九条が信用されたのかな?」
「さあ? 悪いが俺には分からん。綺麗さに関しては本人に聞いてみたらどうだ? 二ノ宮は女子とは普通に話すんだし」
「……無理、気後れしちゃう」
「後輩に気後れしてどうするんだ……」
そうやってクラスメイトや顔見知りと交流を深めつつ、夏休みが明けて二週間が経った。
「いいなぁ、湊は。二ノ宮さんと一緒に帰れるんだから。それに一真も」
この二週間、谷口の件や陰口こそあれ、それ以外は特に何も起きていない。
このまま順調にいって欲しいと思いながら、頬杖をつきつつ目の前の口を尖らせた男子を見る。
「あまり二ノ宮に興味は無さそうだったから、拓海に嫉妬されるとは思わなかったな」
「正直言うなら二ノ宮さんにはそこまで興味は無いかな。僕の不満は湊と二ノ宮さんが普段どんな会話をしてるのか聞けない事にあるからね」
どうやら拓海は以前一真から聞きそびれた、愛梨の湊に対する態度が気になっているだけのようだ。
その言葉に悪意が無いとはいえ、見られる側である湊に堂々と言える事に尊敬しつつも、呆れの目で睨む。
「……それを本人の目の前でよく言えるな」
「正面からは何もせず、ひっそりと聞き耳を立てて陰口を言う人よりは、まだマトモだと思わないかい?」
言われてみれば、本人に言う事もせず盗み聞きされるのは気分が悪い。陰口となれば尚更だ。
そうされるくらいならキッパリと言って欲しい気持ちはある。
「それはそうだが。……と言うかその言い分だと盗み聞きしている奴がいるのか?」
拓海の言い方を悪い方向に捉えると、湊達を影から見ている人が居るように聞こえてしまう。
一応愛梨と外で会話する時は内容に気を付けてはいるものの、一言一句注意するというのは不可能だ。
少しの会話内容で湊達がかなり親密な関係であるとバレる可能性もある。
なので拓海の言葉に渋い顔をしていると、首を振って苦笑された。
「僕の知る限り、湊達の後を追いかけ回して会話を聞くような人は居ないよ。学校内での会話は近くの人に必ず聞かれてると思ってもいいけど」
「それくらいなら気を付けてるから大丈夫だな」
偶に二人で会話しているうちにボロを出す時はあるものの、それは湊達の会話が聞こえる範囲に同じ高校の人が居ない場合である。
であれば、今のところ問題は無いと結論付けて話を戻した。
「それで、露骨に俺達の会話を聞きたいという、清々しいくらい真っ直ぐな事を言うのは良いんだが、拓海が居ると二ノ宮は警戒するぞ?」
以前谷口に言ったように、湊は別に一真と百瀬を含んだ四人でなければ行動しないと思っている訳では無い。それ以外の人が居ても良いと思っている。
だが、それは他の三人――特に愛梨が許可しなければいけないだろう。そうでなければ一緒に行動するつもりは無い。
昼飯の時も同じであり、最近は湊と愛梨の二人で昼飯を摂っているが、独占する意思など持っていない。だが、彼女が許可するかは別の話だ。
そう考えると、湊がいくら拓海を信用していても愛梨が認めなければならないので、先は暗いと言わざるを得ない。
その事を拓海も分かっているようで、苦笑いのまま湊の言葉に頷いた。
「分かってるさ。『二ノ宮が良いと言うなら構わない』だろ?」
「……その通りなんだが、微妙に俺の真似が出来ているのが納得いかないな」
拓海が謎に上手い物真似を披露したが、実際その通りの事を思っているので否定は出来ない。
「そのハードルが高いんだよねぇ……。いつか二ノ宮さんに許可を取ってみるよ」
「大丈夫だとは思うけどな。拓海とも一緒に行動するのも楽しそうだ」
湊達に配慮してか、今日まで拓海は愛梨に接触していない。
こちらの事情を配慮してくれる彼であれば、愛梨も拒否しないのではないかとも思える。
とはいえ、流石に二人が会う時は事情を黙ってくれているお礼として仲介するべきだろう。
湊の前向きな言葉に彼は穏やかな笑みになった。
「おお、意外と好印象だね」
「ちゃんと俺の事情を黙ってくれてるからな」
「それは守るに決まってるよ、友達を売るつもりは無いさ。湊達の会話を聞きたいのも単に僕の自己満足でしかないからね、言いふらすつもりは無いよ」
「頼む」
「それはそうと、こうしてゆっくり油を売ってていいのかい? 一真はもう帰ったよ? ……話しかけた僕が言うことじゃないけどさ」
今日から愛梨と二人で帰るので、一真と百瀬は一足先に帰っている。
本来であればさっさと帰った方がいいのだが、彼女が先生に頼まれ事を受けたとの事で、時間潰しがてら拓海と話をしていた。
荷物を運ぶだけらしく手伝おうかとも思ったが、今の湊が手を貸すと露骨な点数稼ぎと取られかねないので、非常に心苦しいもののそれは出来ない。
だが、割と時間も経ったし、スマホに愛梨の連絡も来たので頃合いだろうと席を立つ。
「ちょっと時間潰ししなきゃいけなかったんだ。ちょうど良いし帰るよ」
「はいはい、お疲れ様。二人きりでの放課後、頑張ってね」
拓海の軽く放たれた言葉にひやりとした。
教室に残る理由は一切説明していないし、今日から愛梨と二人で帰る事などただの一言も漏らしていない。
にもかかわらずあっさり湊の事情を当てたので、教室の扉に向かう足を止めてじっとりと拓海を見る。
「……なんでバレたんだ?」
「湊の事情を知ってるのなら予測出来ることさ。昨日まで二ノ宮さんと距離を詰める為に一緒に帰っていたのに、急にそれが無くなるとは思えない。だったら今日からは二人で帰る事にしたって言うのが筋じゃないかい? にしてもあの二ノ宮さんがよく許可したね。……それとも一真から聞けなかった話から察するに、元から結構仲が良かった可能性もあるかな」
「まあ、正解だ。詳しい内容は――」
「分かってるさ、聞くつもりは無いよ。いつか二人の本当の姿を僕の前で見せてくれたら、それをお詫び代わりにして欲しいな」
「はぁ、分かったよ。それじゃあな」
サトリかの如く湊の内心を見抜くが、きちんと一線は弁えてくれる。
その事を有難いと思いつつも、いつか愛梨に紹介しなければいけないなと苦笑で拓海に応えた。
拓海と別れ、待ち合わせ場所である下駄箱に着いたのだが、愛梨の表情が変だ。いつもの無表情に見えてその顔つきに影が見える。
湊を待たせた事に関して気に病んでいるのかもしれないと思ったのだが、こちら顔を見た瞬間にほんの少しだけホッとしたような表情を浮かべたので、おそらく違うだろう。
話をしたいとは思うが、下駄箱で立ち話をしてしまえば大勢の人の目に付くので、軽く挨拶を交わして外に出た。
校門を出てつかず離れずの距離を保って無言で歩き、湊達の近くに同じ高校の人が居ないのを確認してから口を開く。
「それで、どうした? 一応言うが誤魔化しは効かないぞ、バレバレだ」
「……湊さんはすぐに気付きますね、ありがとうございます。とは言っても大した事はありませんよ」
愛梨も周囲を確認したのだろう、無表情の仮面を少しだけ崩して眉を寄せた。
こういう場合、彼女は遠慮なく湊に甘えるはずだが、それすらしないのでやはり違和感がある。
今は外なので遠慮しているという事もあるのだろうが、それならば愚痴くらいは言って欲しい。
「そんな顔しておいて何が大した事無いだ、甘えると言ったのは愛梨なんだから遠慮するな」
「……では遠慮なく。あの、結構な事を言うので嫌わないでくれると嬉しいです」
「誰が嫌いになるか」
愛梨の本来の性格は割と感情豊かなので、相当溜め込んでいるのだろう。
それを吐き出してくれるのだ、嫌うというのは絶対に無い。
湊がきっぱりと断言すると、愛梨は大きく深呼吸をした。そして――
「ほんっと、何なんですかあの人! いちいち媚びを売るような目つきで『大丈夫? 手伝おうか?』とか言うんですよ? 誰がそんな見え見えの手に引っかかると思うんですかね? それでいて断ると、何が何でも私と接点を持とうと強引に奪おうとするんですよ? 誰もそんな事求めてないんですよ! というか別に大した量じゃなかったですし、誰が見ても平気な量でしたから、それを見た上で声を掛けてくるなんて私への点数稼ぎとしか見えませんよ、ねえ湊さん!?」
「お、おう、そうだな……」
どうやら愛梨は落ち込んでいる訳では無く、怒っているだけのようだ。
その口ぶりからすると、先生からの頼まれ事として荷物を運んでいる最中に、嫌いなタイプに引っかかったらしい。
しかも結構しつこかったようで、普段の姿からは想像もつかないほどの勢いで愚痴が出てくる。
あまりの勢いに引いた対応をしてしまったが、それでも彼女の口は止まらない。
「一人で運べる量だからと突っぱねたら遠回しなやり方は駄目だと思ったのか、『文化祭一緒に回らない?』って聞いてきたんですよ? 今までの会話の何処に一緒に回れるっていう要素があったんですか、私の拒絶してる空気を読めって感じですよ。そもそも私は湊さんと回るので誰の誘いも受けるつもりはありません。お断りです! そんな感じで今私は腹が立っています!」
話しているうちに思い出してまた頭に来たのか、愛梨が更にヒートアップした。
誰の誘いも受けないというのは嬉しいものの、今の彼女には何も言えないような威圧感を感じるので余計な口を挟めない。
「ハイ」
「癒しを要求します!」
「ハイ、なんなりと」
「帰ったら撫でてください!」
「……ハイ」
頭に血が上っている所為で、あまりに可愛らしいお願いをしている事が分かっていないのだろう。
頬が勝手ににやけてしまうが、それを見られると更に要求が上がりそうなので必死に頬の筋肉を抑える。
そうして愛梨が愚痴を垂れ流しつつ、最初の二人きりの放課後は過ぎていった。
「……なあ愛梨、もういいか?」
「駄目です、まだ私は満足してません」
「はいよ」
家に帰ると愛梨はすぐに湊の胸に顔を埋めてきた。
流石に抱き締めるのは止めておき、頭を撫でるだけにしているのだが、なかなか彼女が満足せず、割と長い時間頭を撫でている。
とは言え溜め込んだものをだいぶ吐き出したようで、言葉や態度はかなり落ち着いてきた。
「……我が儘ばっかり言ってごめんなさい」
「いいや、溜め込まれる方が困る。これくらい可愛らしいもんだ」
ここまで感情を露骨に出してくれるというのは信頼の証でもあるので、迷惑などとは全く思っていない。
むしろ、愛梨を慰める事が出来るというのは嬉しいのだ。
正直な気持ちを伝えると、彼女は胸により頭を埋めて羞恥に染まった声を漏らす。
「うぅ、あんなに愚痴を言ったのなんて殆ど無いですよ……」
「それだけ頭に来たんだろ? それに文化祭の件、ありがとな」
「当然じゃないですか、湊さん以外の誰ともまわるつもりはありませんよ。約束したでしょう?」
湊への信頼のこもった声に心が温かくなり、胸に顔を埋めている少女のご機嫌取りに勤しむことにした。
「ああ、そうだな。それじゃあ約束を守ってくれたお礼として、ゆっくり癒されてくれ」
「はい、ありがとうございます」