第77話 陰口
湊達四人が一緒に帰るようになって数日が経った。
それだけでも大事になるかと思ったのだが、一真達も一緒に帰っている事が大きいのか、湊の予想より遙かに穏やかな学校生活を送っている。
だが、あくまでも予想よりマシなだけで嫉妬の目は当然強くなっており、クラスメイトや顔見知りから話しかけられる事も多くなった。
とは言っても露骨に嫌悪感を見せるようなものでは無く、世間話ついでに単に羨ましいと言われるだけだ。
なので多少周囲と話す機会が多くなっただけで、今のところ平和に過ごせている。
そうしていつも通りに授業を終え、昼休みになった。
「外だと緊張しますね」
毎日では無いにしろ、流石に一真達に付き合わせ続けるのは悪いという事で、愛梨と二人で昼食を摂る事にした。
一真達を含めて初めて四人で食べた時のように、湊達を観察したいのか会話の内容が聞こえるような位置には誰も居ない。
なので、愛梨が少しだけ地を出して苦笑する。
「視線が凄まじいからな」
夏休みが明けて二週間と少しではあるが、今まで無かった愛梨と二人での行動なので、周囲からの興味と嫉妬の視線が多い。
とはいえある程度は慣れたので、特に気にせず家に居る時のように必要最低限の会話だけで昼飯を終える。
そして、湊達が食器を運んでいる最中、周囲の喧騒に紛れるように小さな声が耳に届いた。
「一人だけ二ノ宮さんと話せて良い身分だよな」
「全くだ、六連繋がりだからっていい気になりやがって」
誰が言ったのかは分からないが、それが湊を批判するものだというのは確かだ。
その言葉が愛梨の耳にも入ってしまったのだろう、彼女は最近ほぼ見なかった能面のような顔に、目の色だけを怒りに染めて周囲を見渡す。
犯人を特定出来ない以上その行動に意味は無いし、ここで問題を起こしたくは無い。
「二ノ宮、止めとけ。言いたい奴には言わせておけばいいんだよ」
「でも、見当違いの事を言って九条先輩を非難するんですよ? 黙ってはいられません」
諭すように言うと、愛梨は納得がいかないのか険しい表情で湊を見つめた。
愛梨の言う通り湊は彼女を独占するつもりは無いし、一真繋がりというのも本当のところは違っている。
だが、それを否定しようとすれば、湊達の事情を話さなければならない。
そうなってしまえば今以上の騒動が起きるのは確実なので、ここは大人しくしておいた方が良いだろう。
そもそも湊達がここで非難の言葉を言った人物を特定しようとすれば、他の昼飯を食べに来た人達に迷惑が掛かる。
周囲を巻き込んでまでする事では無いので、ここは愛梨に引いてもらうしかないと思って口を開く。
「俺の事はいいから。周囲の迷惑になるし、ここは我慢してくれ」
「……そうですね、すみません」
「いや、ありがとな。そう思ってくれるだけで嬉しいよ」
愛梨とてしっかりと周囲の事を分かっているのだろう、湊の言葉に渋々とだが頷いてくれた。
決して彼女を怒っている訳では無く、むしろその行動を嬉しいとすら思う。
けれど状況が悪いのでお礼だけを伝えると、愛梨は不快そうに顔を歪ませつつ湊と一緒に食堂を出た。
「全く、何なんですか。陰口を叩くくらいなら正面切って言えばいいのに」
このまま別れるというのは収まりが悪いので、人気の無い自販機で飲み物を買って話をしている。
やはり愛梨の気持ちは収まらないのか、ムスっとした顔で文句を口にした。
悪意を向けられて湊も気分は良くないが、彼女が怒ってくれているので落ち込んだり傷つく事は無い。
「まあまあ、そう怒るなよ。あれくらいなら気にしてないから」
「九条先輩が気にしないなら……。いえ、やっぱり納得いきませんね」
「肉体的な被害がある訳じゃないし、大丈夫だって」
今までは一真達が一緒に居た事で周囲からは許されていたが、これから二人で行動するとなると、どうしても良い目では見られない。
それに谷口が「友達思いの人」と湊の事を広めてはいるが、やはり愛梨を独占していると判断する人は出てくると思っていた。
ましてや彼の頼みすら断ったのだ。正面から文句を言っても無駄だとなれば陰口くらいしか無いのだろう。
だが結局のところそれだけであり、学業に支障は出ていないし、クラスで仲間外れにされてもいない。
心配するなという気持ちを込めて笑顔を見せると、愛梨の顔が不安で彩られた。
「何かあったら言ってくださいね? 約束しましたよね?」
「分かってる、忘れてないさ。頼りにしてる」
今回は見当違いの事を言われたのでそこまで心には来なかったが、いざ湊の見た目を酷評されると傷つかないとは言い切れない。
その時は遠慮なく頼りにすると伝えると、愛梨はふんわりと微笑みを浮かべた。
「ええ、任せてください」
「結局こうなるんだな」
バイトを終えて家に帰り、いつものようにゆっくりしようかと思ったが、愛梨が頭を撫でてきた。
別に湊は今日の陰口で傷ついてはいないのだが、今の彼女の行動を止めると何が起きるか分からない。
それに、撫でられる事は嫌では無いというのもあるので、咎めはせずにされるがままだ。
溺れないようにというせめてもの抵抗として呆れ気味に言葉を放つと、「当然です」とでも言いたげににっこりと微笑まれた。
「ええ、湊さんの陰口を叩かれて傷ついた心を癒す為ですから」
「昼休みにも言ったが、あれくらい何ともないぞ。そもそも愛梨の隣に立つ以上、ああいう事はこれからいくらでもあるからな、いちいち気にしてたらキリが無いって」
「そうかもしれませんが、言われて気分の良いものでは無いでしょう? ですから、遠慮しないでくださいね」
「分かったよ、ありがとな」
いくらただの陰口とはいえ、本当に何も思わないほど湊の心は強くない。
不快感は感じるし、今回は言われなかったが湊の見た目を酷評されると気持ちがざわついてしまう。
あくまでも折れないように、逃げないように覚悟しているというだけなのだから。
であれば、こうして湊を気遣ってくれる愛梨に今だけは甘えてもいいだろう。
そう思って頭を撫でる細い指の感触を堪能していると、聞き慣れた綺麗な声が耳に届いた。
「湊さんの見た目を非難するつもりはありませんが、この約一週間で思ったより見た目の違いについて触れられませんでしたね。正直もっと湊さんの方に問題が起きると思ってました」
夏祭りでは相当湊の方にトラブルが起きると思っていたにも関わらず、谷口の件だけで済んでいる事を不思議に思ったのだろう。
おそらくあれが原因だとは思うが、その事を話すと愛梨が彼についての嫌な事を思い出すかもしれない。だからこそ彼女に詳しく聞くのを止めたのだから。
なので、多少誤魔化しておけば何とかなるだろうと口を開く。
「俺が様子がおかしい時があっただろ? あの時の事で周囲が俺に文句を言っても無駄だって判断したんだと思う。だからこそ陰口を叩かれたんだし」
「ああ、あの時ですか。因みに何があったか聞いてもいいですか? 私、何も知らないので」
湊の誤魔化し方が下手なのか、愛梨があの時の内容を知りたがってしまった。
確かに何も教えていなかったのでその気持ちは分かるが、あまり気が進まないので顔を顰めてしまう。
そんな湊の表情から彼女は聞いては駄目な事なのだろうと判断し、気まずそうな微笑を浮かべた。
「ごめんなさい、思い出したくない事なんですね」
「俺は別にいいんだが……。聞きたくないなら言ってくれよ?」
「はぁ……。分かりました」
「えっと――」
湊が愛梨の事を気にしたので、何が何だか分からないと彼女は小首を傾げた。
一応の許可をもらったので話すと、愛梨は表情を不快そうに歪める。
「ああ、あの人が原因だったんですか。そのおかげで大事にならないのは嬉しいですけど、湊さんにそんな事を言ったのは許せませんね」
「別にいいさ。喧嘩になった訳でもないし、愛梨が癒してくれたからな。けど大丈夫か?」
「大丈夫とは?」
「前に谷口から接触されたんだろ? 嫌な事を思い出してないか?」
愛梨に言った通り、谷口の件はとっくの昔に乗り越えている。
だから彼女の方が心配なのだと伝えると、呆れの目を向けられた。
「私の心配だったんですね。……全く、湊さんは優しすぎますよ」
「愛梨を気遣うのは当たり前だ。それで、平気か?」
「全然大丈夫ですよ、ありがとうございます。谷口先輩ですよね、私に話しかけてくる人の中では変わった人でしたね。薄気味悪かったですし、変な事を言われたので完全にお断りしましたが」
「変な事?」
てっきり愛梨に近づこうと外見を褒めたのだと思ったのだが、彼女が「変な事」というくらいなのだから余程の事なのだろう。
そこまでは予想していなかったので湊が訝しむと、愛梨は接触された時の事を思い出しているのか、首を傾げて話し出す。
「はい。『見た目が整ってるのは大変だよね、その気持ちは良く分かるよ。多分君の気持ちは俺が一番知ってる』だそうです。何だか嫌な感じでしょう? というか私の気持ちを知った風に言うなって思いましたけど」
「初対面でそれを言うのは凄いな。愛梨とあいつはかなり違うだろうに」
確かに愛梨は見た目が整っている事で苦労している。しかし、谷口はその意味合いが違うような気がするのだ。
彼女は周囲からの視線と勝手な期待が嫌だというものだが、彼はどうも見た目の違いに拘っているように感じる。
そもそも初めて会話した人にそんな言い方をしてしまえば、警戒されるのが当たり前だろう。
呆れ気味に言うと、愛梨も同じ気持ちなのか苦笑を浮かべた。
「そうですよねぇ、何を言ってるのか分からなくて不気味でした。なので、近付かないで欲しいとお願いしたんです」
「なるほどな。まあ結果的に陰口で済んでるんだからいいじゃないか」
どのような経緯であれ、湊達にトラブルが起きないのが一番だ。
多少の悪口であれば構わないと言うと、なぜか頬を摘ままれた。
どうしてこんな事をされたのか分からないでいると、不満気な顔をした愛梨が口を開く。
「一応言っておきますけど、悪口を言われるのが当たり前、傷つくのが当然だと思って苦しさに慣れるのは駄目ですよ。誰だって悪意には傷つくんです、それに湊さんは何も悪い事などしていないんです。なので、自分を悪口を言われて当然の人なんて思わないでくださいね」
「……ありがとな」
湊の心を支える温かい言葉に胸が軽くなる。いつかこの苦しさにも慣れて何も感じないようになると思っていたのだから。
けれど、耐える事はしても慣れてはいけない事なのだと教えられた。
感謝を伝えると、ふわりと微笑まれる。
「どれだけ苦しくても、傷ついても、私が癒しますからね」
「……もしかして、陰口を言われるたびにこうするつもりか?」
先程の言葉で湊は随分と救われたし、そもそも陰口程度では心が折れはしない。
だが愛梨の口ぶりからすると、今日のような事があるたびに撫でられそうだ。
少し引き攣った笑みで尋ねると、彼女は湊を駄目にする艶やかな笑みを浮かべた。
「ええ、そうですよ。何度でも、何回でもしますからね。拒否は許しませんから」
「……物好きなやつだな」
「ふふ、そうですね。嫌ですか?」
「いいや、全く」
結局いつになっても湊は愛梨の掌の上なのだろうなと思いながら、湊を労う柔らかな指に身を委ねた。




