第71話 湊が忘れていた事
昼休みが明け、ロングホームルームが行われている。教卓に立って一真が指揮するものは――
「さて、夏休みも明けて文化祭まで後一ヵ月になったし、出し物を決めるぞ。早くしないと準備出来ないからな」
湊達の高校は九月の末に文化祭が行われる。
夏休み中に何か案を考えてくれと以前言われていたが、すっかり忘れていた。
おそらく夏祭りの日に一真が忠告したのはこの事だろう。これは確かに湊が悪い。
正直なところ文化祭の出し物には興味が無いので、多くのクラスメイトが手を挙げて案を出し合っているのを他人事のように眺めつつ、考えるのは別の事だ。
(一ヵ月だと愛梨との距離を縮めるのは難しいかもな)
愛梨と文化祭を楽しみたいという気持ちはもちろんある。だが、一ヵ月というのは距離を縮めるにはあまりに短い時間だ。
そして、おそらく彼女は大勢の人から誘われるだろう。外では一番愛梨に近い友人というだけの湊ではそれを止める事など出来ない。
なので、これからの事を彼女と話し合う必要がある。
(夏休みが明けて一日で予定が崩れるなんて、前途多難すぎるだろ……)
暗雲の立ち込める先の事を一人考えながら、ロングホームルームは過ぎていった。
「なあ愛梨、相談したい事があるんだが」
早速帰ってから愛梨に相談を持ち掛けると、彼女も湊の心配事が分かっているのだろう。苦笑が返ってきた。
「文化祭ですね、タイミングが悪いというか何というか……」
「出し物は脇に置いておくとして、自由時間をどうするかだな。といっても選択肢なんて多くないけど」
「思いつくものとしては、私達が急に距離を縮めて文化祭を一緒にまわる。もしくは私が全員の誘いを断って一人になるくらいですかね。後は紫織さん達と一緒に行動するって手もありますが、そこまでお世話になるのはちょっと……」
愛梨が申し訳なさそうに眉を下げる。
実際のところ湊も同じ考えを持っている。だが、前二つはどちらも彼女に負担が掛かってしまう。
一つ目は湊達が相当な話題になるだろう。今のところ外ではあくまで友人だが、これからたった約一ヵ月で親密な関係になるのだから当たり前だ。
二つ目に関しては、どんな結果になるにせよ愛梨には文化祭を楽しんで欲しいと思っている。なので、この選択肢は絶対に有り得ない。
大切な人に人気の無い場所で文化祭を終えろというのは鬼畜どころの話では無いだろう。
そして、一真達についてはあの二人にそこまで迷惑を掛けられないし、邪魔したくないという思いがある。
そうなると必然的に一つ目の案に絞られてしまう。
「一真達については俺も同じだ。となると後の二つなんだが、俺個人の意見としては距離を縮める方にしたい、いいか?」
「……大丈夫ですか? 少しずつ距離を詰めるどころの話では無くなりますよ?」
湊の意見を聞いて、愛梨の目が驚きに見開かれた。
おそらく彼女としては湊が選びそうに無い選択肢だったのだろう。
だが、愚痴を言っていられる状況では無くなっている。
「その件だが、まず謝らせてくれ。あれだけ話し合っておいて、結局強引な手段を取る事になった。本当にごめん」
夏祭りの時に頑張ると言っておきながら、その方法すら思いつかずに文化祭を理由にするなど情けなさすぎる。
深く頭を下げると、頭上から負の感情など全くこもっていない、穏やかな声が聞こえてくる。
「いいえ、それは湊さんの所為ではないでしょう?」
「それともう一つ、愛梨に相当な苦労を掛ける。ごめんな」
「別にそれは構いませんよ。その覚悟はしてますし、後一ヵ月あるんです。その間にある程度距離を詰めることが出来るじゃないですか」
「……本当にいいのか?」
話題になるのは覚悟をしているとは聞いていたが、かなり前向きな思考をしているのには正直驚いた。
思わず呆けたように質問すると、愛梨は花が咲くような笑みを浮かべる。
「何を水臭い事を言ってるんですか、もっと頼ってくださいよ」
「……ありがとう」
明るい彼女の笑みに元気づけられて湊が笑うと、反対に愛梨の顔が曇った。
「むしろ私は湊さんの方が心配です、相当の悪意を受ける事になりますが、本当に良いんですか?」
それは湊も危惧していた事だ。
僅か一ヵ月という期間で距離を縮めるのだから、かなりの悪感情を向けられるのは当然だろう。
だが、それを嫌だと言うつもりは無い。それよりも受け入れたくない事があるのだから。
「いいさ、頑張るって言ったからな。……それに、愛梨が大勢の男子に言い寄られる光景は見たくない」
もちろん愛梨が他の男に靡くとは思っていないが、だからといって大勢の男子に話しかけられる彼女を遠くから見たい訳ではない。
情けない独り善がりで醜い感情ではあるが、愛梨と距離を詰めようとしているくせに、文化祭で尻込みしているようではこの先何も出来なくなるだろう。
あまりこういう感情を向けたくなくて、そっぽを向きながら言うと、くすくすと軽やかに笑われた。
「ふふ。でしたら、前にも言ったように二人で苦しんで、二人で頑張りましょう。目指せ文化祭、です」
「湊さん、お疲れ様でした」
夜飯と風呂を終えると、愛梨が「昼間のお礼をしたいです」との事で頭を撫でてきた。
慰められるような事では無いし、これからああいう視線はいくらでも受けるので否定しようかと思ったのだが、細くしなやかな指が湊を撫でるのが心地よくて好きにさせてしまっている。
本当に甘やかす気なんだなと理解し、溺れてしまいそうで少しだけ怖いものの、圧倒的に安らぎの方が大きい。
「やっぱり視線凄かったですね。これからもあんな感じになると思いますが、本当に大丈夫ですか?」
「心配するなって。疲れはするけど、これは必要な事だからな。頑張るさ」
「でしたら、疲れた貴方を私は癒しますね。いっそ膝枕とかどうですか?」
湊を見上げるアイスブルーの瞳が細まり、小首を傾げながら微笑まれた。
やって欲しいとは思うが、この調子だと毎日される事になるだろう。
そうなれば湊は確実に愛梨に溶かされてしまうので、嬉しさを顔に出さないようにしながら口を開く。
「そういうのは軽々しくするんじゃない」
「軽くなんてありませんよ。湊さんを癒せるのならいつでも、いくらでもやりますよ?」
「……また今度な」
「ええ、また今度ですね」
露骨な誤魔化しに愛梨はふんわりと笑みを浮かべる。
これから先、湊が疲れた時にはあまりにも魅力的な誘惑を何回もされるのだろう。
その時の光景を思い浮かべつつ、癒される事への期待と、離れられなくなる恐怖を混ぜこんだ苦笑を彼女に返した。




