第69話 言葉に表さない好意
一真達と結構な時間話したが、今日は学校が昼までだったのでまだ夕方だ。
お開きとなった際に「また今度遊ぼうね」と拓海が言っていたので、近いうちに三人で出掛ける事になるだろう。
とは言っても、全くと言っていいくらい嫌な感情は抱いていない。
一真は言わずもがな湊の性格を知っているし、拓海はきちんと踏み込まれたくない範囲を弁えてくれている。
大勢の人と遊ぶのは苦手だが、三人でなら問題は無いと思う。
今日のなんだかんだと楽しかった時間を思い返して、帰りながら小さく笑ってしまった。
「ただいま」
「おかえりなさい……」
家に帰ると挨拶はされるものの、愛梨が玄関まで迎えに来なかったし、いつもの鈴を転がすような声に元気が無かった。
疑問が半分、納得が半分の思いで居間に行くと、彼女がぐったりとしている。
夏休み中は彼女のそんな様子をほぼ見なかったが、その前に見た事はあった。
その時と今日のこの姿の理由は同じだろうなと思い、とりあえず手洗いとうがいを済ませて彼女の傍に座る。
すると、すぐに湊の膝に頭を乗せてきた。
「湊さぁん、もう疲れましたよぉ……」
「はいはい、お疲れ様だ」
遠慮無く甘える愛梨の頭を労わるように撫でる。
言葉では表さないものの、疲れたから癒して欲しいというストレートな好意を態度で表現されて心が温かくなった。
彼女は体の力を抜いて、疲れきった声を漏らす。
「言葉は違えど『二年の先輩とどういう関係?』って皆して聞いてくるんですよ。もうほんっとうに大変でした……」
「予想通りだな。それで、何て返したんだ?」
「……大切な友人です、と返しましたよ」
そう言いながら、湊の膝からこちらを見上げる愛梨の顔はほんのりと不満気だ。湊にいつも伝えている「大切な人」と言えないことに拗ねているのだろう。
彼女が恋人関係をうかがわせるような爆弾発言をしないとは思っていたものの、その発言だけでも十分問題だろうなと湊は苦笑した。
とはいえ責めるつもりは無いし、言わせてしまったのは湊なので素直に謝る。
「ごめんな、俺がもうちょっといい顔をしてれば良かったのにな」
「別に顔の良し悪しを責めている訳では無いですし、この状況は私達二人の所為だって納得したじゃないですか。単にここまで詰問されるとは思わなかっただけですよ。……そもそも私と湊さんが夏休み前から知り合いだったのは皆知っているでしょうに」
「それでも、まさか俺と愛梨が親密な関係になるとは予想して無かったんだろうな。『皆の憧れの二ノ宮さんが百瀬の幼馴染とはいえパッとしない先輩に!?』っていう一大スキャンダルみたいなもんだろ」
愛梨の言い分は分かるし、湊としても百瀬の知り合いだからと皆が納得してくれればそれが一番だとは思っているが、現実はそう甘くない。
湊が何度も考えた事であり、彼女も分かっているように、当人達が良くても第三者が批判する部分はあるのだ。
アイドルの不祥事っぽく冗談めかして言うと、愛梨が露骨に顔を顰めた。
「……もう既に突っ込み所が多すぎるんですが」
「遠慮なくどうぞ」
「誰が憧れですか。別に私は憧れて欲しくてこういう見た目をしている訳ではありません」
「知ってるよ。俺が一番知ってる」
「それに、湊さんが自分の見た目を酷評するのは駄目ですよ」
「分かってる、あくまで赤の他人からの評価だよ、そう見られてもへこたれないさ。こんな俺でもいいんだろ?」
「当たり前です。そんな貴方が良いんですよ」
愛梨がご機嫌な笑みになり、頭を撫でている方と反対の手を軽く握る。
この温かさが、彼女の存在があれば悪意に耐えられると改めて実感した。
「そう言えば、俺達が買い物に行った際に会った時の、愛梨の知り合いとは話したのか?」
ふと気になった事を尋ねてみると、湊の手をにぎにぎしていた愛梨が固まった。
あの女子生徒達の事は良く覚えている。彼女を守ろうとしたし、その為に湊に牙を向いたのだ。
おそらく今日彼女達も愛梨に話しかけたと思っているが、この態度を見るにあまり良い結果にはならなかったのだろうか。
「話したというか、からかわれたというか……。あの時に完全にバレたんですからね、もう恥ずかしかったですよ」
「あの子達の前で思いっきり愛梨の仮面が剥がれてたからなぁ、悪意を向けられなかったなら良かったじゃないか」
今になって思うと、あれは嫉妬だったと思う。
別に初対面の女の子に色目を使っていた訳ではないが、愛梨は納得が出来ずにあっさりと地を見せてしまった。
おそらくその瞬間、彼女達に愛梨の感情がバレてしまったのだろう。とはいえあの反応を見るに、そこまで問題になるような事は無いと思う。
今までのように悪意を向けられなくて良かったと慰めると、申し訳なさそうに湊を見つめてきた。
「それはそうですし、今日も紫織さんと一緒になって詰め寄ってくる人をある程度整理してくれましたから、感謝はしてますよ。ただ、その関係で放課後に遊びに行くかもしれません。本当にすみません……」
「どうして謝るんだ? 行ってくればいいじゃないか」
いくらここまで近い距離に居るとは言っても、愛梨を縛り付けるつもりは無い。
むしろ、今まで友達なんていらない。と言っていた彼女が変わる切っ掛けになるというならそれは喜ばしいことだ。
なので、家事が出来ない事を気に病まないで欲しい。それは愛梨の厚意でやってもらっていただけであり、義務ではないのだから。
彼女を安心させる為に笑顔を向けると、ますます顔が曇った。
「でも、家事が出来ません」
「家事なんて俺に任せればいいだろ、愛梨が絶対にしなきゃいけない理由は無いんだ。……俺が言うのは説得力の欠片も無いがな」
「いいえ、私がします。だって、貴方に喜んで欲しいですから」
「……俺、感謝を言ってない気がするんだが、もっと言った方がいいか?」
愛梨がそこまで家事を大切にしているとは思っていなかった。
これからは夜飯と風呂だけでなく、他の家事のお礼も言った方がいいだろうかと言うと、彼女は微笑みながら言葉を発する。
「別にいいですよ、湊さんが私の傍に居てくれるだけで嬉しいですから。ですから家事は私がします、別に毎日遊びに行くわけではありませんので。……でも、今まで以上に買い物をお願いするかもしれません」
「そんなのお安い御用だ、もっと頼ってくれ」
「もう十分頼っていますよ。ありがとうございます」
「いいや、こちらこそだ。それと、くどいけど――」
「『無理して遊びに行かなくて良い』でしょう? ふふ、貴方がそう言う事は分かってますよ。大丈夫です、心配しないでくださいね」
湊の言葉を遮って、穏やかな笑みを浮かべながら、言いたいことを完全に把握された。
今まで何度も言ってきたので流石に分かるのだろう。
であれば、湊もこれ以上しつこく言いはしない。
「分かったよ」
「ところで、湊さんは大丈夫だったんですか?」
愛梨側の話が落ち着いたので、今度は湊の状況が気になったようだ。
「大騒ぎする事は無かったな、拍子抜けだった」
嘘をついている訳ではないが、本当の事も言っていない。
これからトラブルが起きるかもしれないなど愛梨は知らなくていいことだ。
だが、彼女は湊の隠した事をうっすらとだが把握したようだ。眉を下げて心配そうに湊を見上げる。
「約束、忘れてないですよね。苦しむ時は一緒ですよ?」
「……悪かったよ」
「もう、湊さんは優しすぎるのがいけませんね。罰として今日は私をたっぷりと癒してください」
「はいよ」
湊が気負わないで良いように、ワザと罰とは言えそうに無いものを与えたのだろう。
優しいのは愛梨の方だと思いつつ、晩飯時になるまで頭を撫で続けた。




