第66話 辛くても、苦しくても、傷ついても
申し訳ありませんが、二話前の内容の一部を変えています。
話の流れには特に関係ありませんが、違和感があったら教えていただけるとありがたいです。
一真の言っていた通り、夏祭りとはいえ逸れる程の人の多さではない。
だからなのか、イベントは会場の中心にあるステージでこの地域の子供達や年配の方が何かの催し物をやっているだけだ。
昔は湊達も参加していた。あの頃は父が居て、一真や百瀬と遊んでばかりいたなと思い出す。
今は毎日遊んでいる訳では無いし、時間の流れとはこういうものなのだろう。
そして、この盛り上がり方だと数年後には祭りが無くなっているかもしれないと少しだけ寂しさを感じた。
「夏祭りってこんな感じなんですね。もっと盛り上がるのかと思ってました」
屋台も物色し終わり、会場の隅でステージをぼんやりと眺めつつ愛梨がぽつりと呟いた。
「一真も言ってたが少し時期が遅いし、隣町で盆前に大きな祭りがあるからそっちに流れてるんだと思う。退屈か?」
「いいえ、これくらいがちょうどいいです。あんまり多すぎると疲れますし」
「違いない」
二人共人が多すぎる所はあまり好きではないので、愛梨の言う通りこれくらいがちょうどいいのかもしれないと苦笑する。
夏休みに入って彼女は妙にアクティブだったが、それは外に遊びに行っている時くらいで家ではいつも通りだった。とは言っても花火大会以降どんどん距離が近くなるので、何度も意識させられたが。
そして今日。短い時間だったが、しっかりと愛梨が湊に向ける感情について確証を得られたと思う。
(愛梨の気持ちは分かった。だけど、これまでと変わらない日々で良い)
だが、それでも湊は現状維持を選ぶ事にした。外での関係を変えない以上、家での関係も変化させない。
決して愛梨の所為では無く、彼女が守りたい平穏を湊も守りたいというだけだ。どれほどの思いで愛梨が周囲から距離を取り、自分自身を守ろうとしているか。湊は既に知っている。
なので、彼女が「外では多少親しい人、家では恋人にしたい」と言うならまだしも、湊の方からそれを強要するつもりは無い。そうしてしまえば湊はただ愛梨の立場に甘えるだけの存在になってしまうだろうから。
自らの気持ちを整理していると、鈴を転がすような声が湊の耳に届く。
「湊さん、もうすぐ夏休みが終わりますね」
「ああ、これ以降特にイベントも無いからな。どうだ、楽しめたか?」
夏のイベントはほぼ全て行ったと言ってもいいだろう。去年は殆ど参加しなかったので大違いだ。
久しぶりに参加して楽しかったと湊は胸を張って言える。
愛梨はどうだろうかと思って確認すると、柔らかな笑顔が向けられた。
「はい、楽しかったです。湊さんはどうですか?」
「楽しかったよ。こんなに楽しい夏休みは久しぶりだ」
「なら良かったです。私の我が儘でいろんな所に連れ回しちゃいましたから、結構心配だったんですよ」
「我が儘というか強硬手段が何回かあったけどな」
「ふふ、ごめんなさい。でも、湊さんはなんだかんだ言って私の望みを叶えてくれました」
湊が冗談めかして言うと、その時の事を思い出したのか愛梨が楽しそうに笑った。
我が儘を言えと言ったのは湊であり、彼女の願いは叶えてあげたいと思う。それは今も変わらない。
「愛梨が楽しんでくれるのが一番だからな」
「……そんなに優しくされると、もっと我が儘を言いたくなります」
愛梨は楽しそうな笑みを艶やかなものに変えて湊を見つめる。
ステージの光にうっすらと照らされた彼女の顔が色っぽくて、湊の心臓が跳ねた。
「……俺が本当に困らない範囲で頼む」
「それは湊さん次第だと思います」
「なら、取り敢えず言ってくれ」
湊がそう言うと愛梨は意を決したような表情になる。
その口から紡がれる言葉は、きっと湊達のこれからに関係する事だとなぜか予想できた。
「……休みが明けたら私達は話題になるでしょう。貴方は私に一番近い男だと、私には男が出来たかもしれないと」
「まあ、そうだろうな」
登校日の時ですら少なくない視線を受けたのだ。これから更に噂が広がっていくだろう。
そして買い物に出掛けた際には数人の女子に愛梨の本来の姿を見られている。それにあの時、他にも湊達の姿を見た人が居るかもしれない。
あれくらいの視線なら耐えられるものの、前までのような平穏な学校生活は望めないというのは湊でも分かる。
「まずその事について、本当にすみません。私の我が儘で湊さんを連れ回した結果が招いたことです。貴方の平穏を壊してしまいました」
「……否定は出来ないな」
後悔している訳では無いものの、愛梨と一緒に行動したことで湊の学校生活は慌ただしくなる。
それを「愛梨の所為では無い」とは言えないので、苦笑で彼女の言葉を肯定した。
「そして、次はお礼です。先程も言いましたが、本当にありがとうございました。今まで生きてきた中で一番の、最高の夏でした。終わって欲しくないと、ずっと続いて欲しいと思えるくらいに」
「ああ、俺もだよ。……けど、それも終わりだな」
朝起きて、これといって大きな出来事の無い日常を愛梨と過ごすこの夏休みは、かけがえの無いものだった。
もちろん色々な場所に出掛けたのもいい思い出だ。湊も彼女と同じく、こんな日々がずっと続いて欲しいと願ったくらいなのだから。
けれど時間は戻らない。夏休みは終わり、学生の本業が始まる。
それを示す湊の言葉に彼女がゆっくりと頷いた。
「そうですね。そして、ここからが本題です。ここまで来ると今更ただの知り合いには戻れません。ですので、外でももっと近づいていいですか?」
「……そうなると愛梨の平穏が崩れる。それは大丈夫なのか?」
男を近づけなかった愛梨が夏休みが明けたら二年の先輩と仲良くなっているのだ。
百瀬伝いで夏休み前から知り合っていたという事はある程度知られているはずだが、それでも話題になる事は避けられないだろう。
今ならまだ間に合うのだ。夏休み明けから全く近づかないようにすれば、最初こそ大変かもしれないが、いずれ噂は無くなっていく。そうすれば湊達の平穏は取り戻せるのだから。
だが、愛梨はそれを選ばなかった。そして、その結果として彼女の望んでいた穏やかな日常は崩れてしまう。
本当にいいのかと確認を取ると愛梨は苦笑を浮かべた。
「構いませんよ、むしろそれは私の責任ですから、湊さんは気にしないでください。誰とも関わろうとしなかった結果、私にそのツケが返ってきたというだけです」
「それは愛梨だけが悪い訳じゃないだろ」
決して「愛梨は何も悪くない」とは言えない。そのごく僅かな原因は本人も言った通り、周囲との――特に男子と――関りを拒絶していた事なのだから。
だが、そうしなければ愛梨は壊れてしまっただろうし、それを気に病む必要は無い。
その思いを込めて声を掛けると、苦笑いが一層濃くなった。
「ですが、湊さんも分かっているように、私にも原因の一端があります。そして、私の都合でこれから貴方を振り回してしまいます。……正直に言ってくださいね、嫌じゃないですか?」
「嫌な訳無いだろ。言ったはずだ、独りにしないって」
それは湊が愛梨に約束した事であり、愛梨が湊に約束した事でもある。
多少違えど孤独を知った似た者同士だ、今更約束を破るつもりなど無い。
湊の言葉に愛梨が瞳を潤ませて、おずおずと言葉を紡ぐ。
「……下手をしたら私以上に湊さんの平穏が崩れるんですよ? おそらく悪意が沢山降り掛かると思うんです。私は心底どうでもいいですし、気にしませんが、見た目が釣り合わないという視線が、そして言葉が向けられます」
「ああ、そうだろうな」
「きっと辛くて、苦しいと思います。本当に良いんですか? 後悔しませんか?」
何度も何度も愛梨は質問してくる。
今まで自分が味わった以上の悪意を湊が受けてしまう事を気に病んでいるのだろう。
一真と百瀬は美男美女と言ってもいいが、はっきり言って愛梨は桁が違う。そんな人と見た目が釣り合わない男が仲を深めるのだから、幼馴染達と一緒に居た時の比ではない量の視線が向けられる事は容易に想像できる。
そして、その視線の意味は当然ながら嫉妬や値踏みであり、酷い時は不快感すら示されるかもしれない。非難の言葉を言われる事もあるだろう。
そんな恐怖すら感じる先の事を想像したが、先程からの彼女の言葉を聞いて、既に気持ちは固まっている。
傷つきたくないと他人から距離を取っていた彼女が変わろうとしているのだ。であれば、湊も変わらなければならない。
しかし、申し訳ない事に湊は弱い人間だ。見目麗しい愛梨に対して劣等感は感じるし、卑屈にもなる。非難の言葉など独りでは耐えきれないだろう。
だが、こんな湊でも良いと言ってくれる彼女が居れば大丈夫だ。そして、居てくれるという確信がある。
「俺一人だったら嫌だな。でも、愛梨が居てくれるんだろ?」
「当然じゃないですか。独りになんてしませんよ」
そう言ってくれるのなら怖くは無い。
これから口に出す言葉の意味は、おそらく察しの良い愛梨には伝わってしまうはずだ。だが、それでも何も問題無いだろう。
たった約五ヵ月だが、そう思えるだけの信頼と時間を積み重ねてきた自信がある。そして、愛情も。
深呼吸を一つして、覚悟を示す。
「……なあ愛梨。俺は辛くても、苦しくても、傷ついても、それでも愛梨の隣に立ちたい」
「湊、さん、それって……」
こういう雰囲気は愛梨がよく経験しただろうから、やはり伝わってしまったのだろう。驚きに見開かれたアイスブルーの瞳が潤んでいく。
予想通りそこに悪感情は無く、喜びが満ちている。
「隣に居られるように、俺なりに頑張ってみせるよ」
どのように頑張るかなど今は思いつかない。どうすれば胸を張って隣に居られるかなど分からない。
けれど、逃げていては駄目だという事は分かる。
湊の言葉を聞いた彼女が満面の笑みを見せた。その表情を見れたことで安堵の気持ちが心に満ちる。
「分かりました。代わりと言うのもなんですが、私から三つあります。お願いが二つと、最後は……お礼、ですかね」
湊の覚悟を受け入れてくれるという確信はあったものの、お礼というのは予想外だった。
その言葉の理由が分からずに驚いて固まっていると、彼女がくすくすと心の底から嬉しそうに笑う。
「大したことではありませんよ。ではまず一つ目。私は、周囲と線を引くことで自分が傷つかないようにした弱い人間です。ですから、弱い私を支えてくれませんか?」
「そんなの当然だ、いくらでも支えるよ」
「二つ目。これから私を支えてくれる貴方が苦しむ事になるでしょう。ですから貴方の一番近くで、貴方を支えさせてください。先程も言いましたが苦しむ時は一緒ですよ」
「俺からお願いしたいくらいだ。……俺の見た目が釣り合わない所為で苦労を掛ける。ごめんな」
「でしたら、二人の所為と言うことで恨みっこ無しですよ。そして三つ目。貴方に支えられて、そして貴方を近くで支える。とはいえ平穏な日常を私が壊し、それを貴方は受け入れてくれました。ですからそのお礼をしようと思います」
「……何を、するんだ?」
自然と問い詰める声が震えた。
負の感情など何も入っていない、湊を見つめる意地悪そうに、蕩けて、艶やかな笑顔。
透き通った綺麗すぎる碧色の瞳と合わさって、ゾッとするくらい魅力的なその顔から目が離せなくなる。
彼女が湊に近づく。互いの吐息すら肌に触れる距離で、宝物に触れるかのように、湊の頬を細い指がなぞった。
「貴方が苦しい時はいっぱい甘やかしますから、遠慮せず溺れてくださいね?」
ぞくりと背筋が震えた。それが恐怖なのか、歓喜なのかは分からない。
どうやら、湊はとんでもない人を好きになってしまったらしい。
夏祭りも程々にして帰り、一真の家で浴衣から着替えて庭で愛梨が来るのを待っている。
着替えている間「溺れてくださいね?」という彼女の言葉とその時の表情が頭から全く離れず、ボーっとしてしまって何回か注意された。
お礼にしてはあの言葉は湊の心臓に悪すぎる。
とはいえ、夏休み明けから頑張るのは確かだと納得していると、真剣な表情をした一真の声が掛かる。
「湊、二ノ宮さんの態度の答えは見つかったか?」
「ああ、見つかったよ」
「なら良かった。さて、二ノ宮さんが来るまで互いに彼女の惚気話でもしようぜ?」
すぐに一真がいつもの明るい調子に戻るが、その発言には誤りがあるのでそこはしっかりと訂正しなければ。
頑張るという約束をしただけで付き合っている訳でもないし、彼女でもない。
「いや、付き合ってないぞ?」
「……は? 何で?」
「約束しただけだ、これから頑張るってな」
呆けたように固まった一真に説明すると、その顔がみるみるうちに呆れ顔に変わった。
「いやまあ、お前達の状況を考えたら納得は出来るけどさぁ……。生憎だがそんなにゆっくり出来るものでも無いぞ? なんたって――いや、やめとこう」
「言葉を切るなよ、気になるだろうが」
一真の言い方からして夏休み明けから慌ただしくなるようだが、その理由を聞く前に言葉を引っ込めたので何が何だか分からない。
少しだけ睨むと、生温い視線を返された。
「忘れてるお前が悪い。心配すんな、協力するから」
「だから、ちゃんと言えって」
「嫌だね。俺、夏休み前に言ったのになぁ……」
「え、全然覚えてないんだが」
どうやら一真は夏休み前に何かを湊に言っていたらしい。だが完全に忘れてしまっていて、記憶からは何も出てこない。
「それならそれでいいさ。頑張れよ、応援してるぜ」
「……ああ」
そうして、一真と夏休みの間のくだらない話で盛り上がっていると、愛梨達が到着した。
「すみません、遅くなりました」
「気にすんな、帰ろうか」
「はい。それでは六連先輩、紫織さん、また」
「またねー!」
「じゃあなー」
彼女の帰る準備が終わったので、一真と百瀬の親にお礼と挨拶をして自分の家に帰る。
当然ではあるが手を繋ぐ事は無い。だが、もう少しで肩が触れてしまいそうなくらい近い距離にいるし、服の裾を引っ張られている感覚がある。
湊は何も聞かず、愛梨もこの状況について何も言わない。これは理由も無しに手を繋げない二人が、せめてもとお互いに望んでいる事だろうから。
「湊さん、お願いを忘れないでください。それと、これから頑張りましょうね」
「……分かってるよ、ありがとな」
少し身を寄せれば触れ合えるほどに近く、互いの心は分かってはいるものの、薄い膜を張っているかのように最後の一線は越えられない。
けれど、いつか自信を持って愛梨の隣に立てたら、彼女の湊への心配など杞憂だと示せたら――
その時は、この胸の中の熱く大きく、とても大切な想いを伝えよう。
三章は終了となります。
相変わらずの拙い文な上に、何度も話の内容を変更するなどで本当に申し訳ありません。
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