第63話 疑問はより深く
愛梨が湊に美しい銀髪を差し出してきた。
なんだかおかしな事になっているが、この行為は彼女が嫌ではないのだろうか。
そもそも女性が髪を好きに触らせるというのは普通起こりうる事では無い。
しょっちゅう頭を撫でたり腕枕をしているのは脇に置いておく。
「なあ愛梨、俺は本当に怒ってる訳じゃないし、罰を与えるつもりも無いんだ」
「それでは私の気が済まないんです。ですから、湊さんの好きにしてくださいとさっきから言ってるじゃないですか」
「言い方! その言い方は誤解を招くから!」
その言い方だと体すら委ねているように聞こえてしまう。
愛梨は単に銀髪が好きなら触ってはどうかと言っているだけなのだから。
湊が声を荒げて注意すると、彼女が頬を膨らませた。
「なんですか、銀髪が好きなくせに。目の前に湊さんの好みがあるんですよ? 据え膳食わぬはなんとやらと言うじゃないですか」
「それ俺のセリフだから! 女の子が言ったら駄目だろ!」
「私がいいと言ってるんです、触りたくないんですか?」
「……正直、触りたい」
愛梨には湊の趣向が完全にバレてしまっている。
ここまで来たらどう誤魔化しても無駄だろうと思って正直に言うと、彼女は蕩けるような笑みを浮かべた。
「でしたらどうぞ、湊さんの好きなように触ってください」
「……じゃあ、触るぞ」
湊の事をしっかり理解した上で許可を出されたので、遠慮なく好きに触らせてもらう。
愛梨の髪は頭を撫でる時に触ってはいるものの、今のように髪そのものの感触を確かめるような事は殆どしていなかった。
頭には触れずに湊の方に投げ出された銀髪の手触りを確かめ、髪の毛を数本摘まむと意外な事に気が付いた。
「銀髪って、数本だけだと銀どころか透明に近い白なんだな」
「そうですね、銀……というか白は単に髪の毛の色が抜け落ちてるだけなんですよ。それが集まって白、光を反射して銀に見えるだけです」
「なるほどなぁ……」
うっすらと白っぽくなった髪は束ねると確かに銀色になった。元々手入れがしっかりしており、艶があるということも理由の一つだろう。
湊とは違う細くて柔らかい髪は手触りが良く、いつまでも触り続けられる。
そうして暫く無言で愛梨の髪の感触を楽しんでいると、彼女が小さく言葉を発した。
「湊さんは私の髪を好ましいと言っていましたが、まさか本当にこの髪とこの長さが理想だとは思いませんでした」
「……嫌じゃないのか?」
「というと?」
「パソコンの中にあるってことは、愛梨をそういう対象として見ているって事だぞ」
パソコンの中のものは当然ながら他人には見せられないものだった。
だがそれを見られた以上、湊の一番の好みは愛梨のような子だとバレたに等しい。
彼女は異性からそういう対象として見られている事に嫌悪感を示すはずなのに、一切そういう素振りが見えない。
もちろん分かっていないはずがないだろう。なにせ愛梨は性の対象としてさんざん見られているのだから。
にも関わらず髪をこうして触らせている。その真意が見えてこない。
湊があえて意識させるような事を言っても、全く警戒心を持っていない穏やかな笑みで頷かれた。
「そうですね。分かっていますよ」
「本当に分かってるのか? 下手をしたら襲われるんだぞ?」
「分かってますって。湊さんは私の嫌がる事をしませんよ」
「俺も必死に抑えてるが限界はあるんだ。それを分かってくれ」
いくら愛梨が湊を信頼していても、こうして無防備に近づかれたら抑えが効かなくなりそうだ。
男なんてその程度のものなんだと注意すると、くすくすとこの場にそぐわない軽やかな笑い声が聞こえた。
「湊さん、私の嫌がる事って何だと思います?」
「手を出す事だ。愛梨は男に触れられることが嫌だろう?」
「まあ、そうですが……。では、今は何で湊さんが触れる事を許可したんでしょうね?」
「俺が何もしてこないって信用してるからだろ?」
「言ってるでしょう? 『何もしてこない』ではなく『私の嫌がる事をしない』と。さあ湊さん、私の嫌がらない貴方の行動は何でしょうか?」
そんな言い方をされれば湊に手を出して欲しいと言っているように聞こえてしまう。
銀髪から手を離し、ふらふらと愛梨の甘い言葉に誘われるようにして彼女の頬に触れる。
これは大丈夫だろう、頬を撫でられるのは気持ち良いと本人が言っていたのだから。
湊の手はもう自分の意志では止められない。いっそ彼女が嫌がって離れて欲しいとすら思う。
だが――
「正解です。でもそれだけですか?」
愛梨を理想の異性として見ている湊が触れても、彼女は柔らかな笑みを崩さない。それどころか湊の行動を肯定した。
両手で愛梨の頬を軽く押さえて顔を近づける。それでも嫌な顔一つせず、アイスブルーの瞳はとろりと蕩けた。
湊の好きな甘い匂いが近づき、思考すら奪っていく。
瑞々しい唇に目が釘づけになった。きっと触れればとても気持ち良いのだろうな、と誘蛾灯のように湊を誘うそれに自らの唇を近づけようとしたところで、至近距離から鈴を転がすような声が聞こえてくる。
「みな、と、さん」
ゆっくりと名前を呼ぶその声に脳を揺さぶられ、ようやく湊の頭が冷静さを取り戻した。
明らかに今やろうとした事は常識の範疇から外れてしまっていた。当然ながら許される行為ではない。
すぐさま彼女の頬から手を離して頭を下げる。
「ごめん! 俺、何やってるんだろう、本当にごめん!」
「……それだけですか?」
「謝って済む話じゃないよな。ホント、ごめん……」
愛梨の顔色を窺うと、ジッと湊を見つめるその瞳には嫌悪感は浮かんではいないものの、責めるような感情が浮かんでいる。
取返しのつかない事をしてしまったと後悔していると、呆れた風な声が耳に届いた。
「そうじゃありませんよ、全くもう、これだから……。一応言っておきますけど、怒ってるわけでもないですし、嫌いにもなってませんよ」
「いや、だとしてもあれは無い。最低だ……」
じっとりした目で愛梨はこちらを見つめている。内心では傷ついたのかもしれないし、今まで信頼していた人が強引に迫ってきたのだから恐怖を感じてもおかしくは無い。
だが、そんな事があるはずが無いのに、愛梨は先程の湊の行動を求めているような気がした。
何を勘違いしているのだろうと自己嫌悪に陥って項垂れていると、衣擦れの音を立てて彼女が立ち上がる。
どうやら本格的に嫌われたらしい。一層気持ちが沈んでいく。
「もう、そんなに落ち込まないでくださいよ、仕方無いですねぇ……。よいしょっと」
呆れが含まれた声が頭上から掛かり、立ち上がった愛梨が湊の目の前に来る。
嫌われた訳ではないのかと顔を上げた瞬間、愛梨が可愛らしい声を上げながら、するりと湊の胸に潜り込んできた。
先程髪を触った時より更に近い距離からアイスブルーの瞳が湊を見つめる。
「何度でも言いますが、怒っても、嫌ってもいませんよ。そうだったらこんな事しません、それは分かるでしょう?」
「まあ、分かるが……」
嫌いになった人に対してここまで接近するのは有り得ないだろう。
一応の納得を示すと、綺麗すぎる顔に苦笑が浮かんだ。
「とはいえ私が煽りすぎましたね、すみません。という事でこれはお詫びです」
そう言いながら愛梨は湊の胸に顔を埋める。暫くもぞもぞと動いていたが、ちょうどいい場所が見つかったのか大人しくなった。
お詫びにしては笑顔を浮かべているし、何か違うような気がしたが、それを指摘すると彼女が湊との接触を望んでいるかもしれないという考えを口に出してしまう。
口は開けず、どうすればいいか分からないので身動きも出来ないでいると、愛梨が不満そうな顔つきで見上げてくる。
「まだ気にしてるんですか? これはお詫びなんですから、好きに触っていいんですよ。それが私の嫌がらない貴方の行動です」
「分かったよ、ごめんな。それとありがとう」
体を委ねてまで湊を慰めようとしてくれるのだ。であれば今くらいは好きに触ってもいいだろう。
とはいえ手で触るのは頭と髪くらいで、他の場所には一切触れるつもりは無い。
こうして愛梨が体を委ねているのは花火大会の時以来だろうか。慰める側と慰められる側が逆転しているが、体勢は全く変わっていない。
細く、小さく、とても柔らかい体に温かさを感じる。頭を撫でると気持ち良さそうな声を漏らした。
「んぅ……。湊さんの体はあったかいですね。撫でられるのも気持ち良いですし、ずっとこうしていたくなっちゃいます」
「……とりあえず今だけだ」
「けち」
完全に立場が逆転しているが突っ込むような事はせず、拗ねながらも顔を埋める愛梨を放置して物思いにふける。
先日も彼女の態度を疑問に思ったが、今日の態度も明らかに過剰なものだ。
(理想の異性として見られていると理解した上で、普通こんなに触れ合うか? ましてや、いくら俺を信用しているとはいえ警戒心の高い愛梨が?)
ここまでくると、もはや信頼や信用という言葉では片付けられず、湊にとって都合が良い感情が浮かび上がる。
そして、それは先日以降ずっと頭の中から離れない疑問に対して、一応の答えを出したものと同じだ。だが、本当に合っているのだろうか。
ぐるぐると思考が迷っていると、愛梨が悪戯っぽい笑みを深くする。
「忘れてました。私の髪を触った感想はどうですか?」
「……最高だった、出来れば何度でも触りたいくらいに」
「ふふ、いいですよ。貴方が望むなら」
上機嫌に微笑む愛梨が、湊の心をざわつかせる。




