第52話 登校日
夏休みとはいえ登校日があるので、学校に行かなければならない。
花火大会にプールとあったので、湊が愛梨と親しくなったという噂が流れて酷い目に遭わないかと湊は内心びくびくしていた。だが、湊を問い詰めるような人はいないのでそこまで大きな話になっていないようだ。
おそらくプールの時は知り合いに見られていなかったのだろう。見られていたらもっと大きな話になっていたはずだ。
ただ、花火大会の件は雨宮だけでなく、一緒に居た愛梨の同級生にも知られている。
その時の事を知ったであろう人達からは『百瀬伝いでの知り合い』から『一番愛梨に近い男』という風に湊への認識が変わったようで、少なくない人から値踏みの目線を受けることはあった。
あの時の行動に後悔は無いし、今のところ直接被害はないものの、何かが起きる覚悟はしておいた方がいいかもしれない。
今もホームルームが終わってから視線を受けているし、一真の次に話す機会の多いクラスメイトから質問を受けている。
他のクラスメイトから問い詰められなかったのは幸いだろう。
「それで、二ノ宮さんを雨宮から守ったんだって?」
そう言って穏やかに笑うのは二年で同じクラスになった上村拓海だ。
一真とは違う穏やかなタイプで顔も整っている方だと思う。少なくとも湊とは比べるまでもない。
「流石にナンパからは守らなきゃ駄目だろ。というか雨宮のこと知ってたんだな」
「まあね、いろいろと有名だから」
「ちなみにどんな感じで?」
「可愛い子を見かけたらすぐにナンパする。見た目の良さとお金で女の子を釣るとかかな。それ以外にも訳ありだよ」
「……何というか、そりゃあ有名になるな」
愛梨からも聞いていたが、彼女から聞いていた話も合わせてそこまで女癖が悪ければ有名になるだろうと湊は溜息を吐いた。
拓海はその穏やかな見た目から人の話を聞くのが上手いので、色々な人から情報を得ている。
湊と一緒の場合はこちらが積極的に関わりに行かないので、聞くと話すが半々だがそれでも良いらしく、湊の方も特に気にしていない。
とは言っても休憩時間の時に偶に話しかけてくるくらいで一緒に行動したことは無いし、連絡先も知らない。
友達、というよりは単にクラスメイトという間柄だろう。
向こうは当然ながら湊以外に話す人が沢山いるので、下手をすると一日の中で挨拶だけという事も多い。
ふと湊に関しての噂が立っていないか気になった。拓海ならもう何か掴んでいるかもしれない。
「ところで、俺の噂は何か出てないか?」
「そんなに心配そうに聞かなくても大丈夫だよ。今のところは『二ノ宮さんをナンパから守った人』って感じだね。しかも相手があの雨宮だ、更に湊の株が上がったかな」
「……更にってどういう事だよ」
拓海の言い方だと元から湊の評判が良いと言っているように聞こえてしまう。
他人とあまり関わらない湊がなぜ高評価なのかと訝しむと、穏やかな笑顔を向けられた。
「学年で十位に入る頭を持っていて、それを鼻にかけることもなく聞いたら教えてくれる。なんだかんだ話すとしっかり対応してくれるし、意外と良い奴だなって思ってる人いるんだよ? まあ湊は僕と一真くらいしか普段話さないから知らないだろうけど」
「なんだそりゃ、質問にはしっかり答えるのは常識だろうが」
湊の頭が良い事はテスト結果が張り出されるので知っている人は多いし、テスト期間中になると質問してくる人もいる。
答えない理由はないので対応していたが、そんなにおかしいことだろうかと湊は首を傾げた。
「嫌味っぽく言う人が中にはいるんだよねぇ。……話を戻すけど、今は良くてもこれから気を付けた方がいいと思うよ。湊は二ノ宮さんと一番親しい人っていう立場になったんだ、湊をよく知らない人からすれば面白くない話だろうからね」
「分かったよ。忠告ありがとな」
心配そうに湊を見つめる拓海にお礼を言って教室を出る。
多少の視線はあるし、先の事は分からないものの、愛梨の為ならこれくらいは問題無いと湊を観察する目に見られながら帰路についた。
「湊さん、学校では大丈夫でしたか?」
家に帰ると愛梨が真っ先に尋ねてきた。朝の時点で何度か心配そうに湊を見ていたが、心配するなと笑ってみせるとその時は大人しくなった。
だが、やはり心配だったのだろう。湊を伺う碧色の瞳は微妙に潤んでいて、どれほど大切に思われているかが分かる。
「ああ、今のところはな。愛梨の方は大丈夫だったか?」
「っ……」
湊の言葉に愛梨は壊れた機械のように固まった。おそらく当事者として相当話を聞かれたのだろう。
今回は湊も当事者ではあるが、やはり被害を受けた側は違うのだと思う。あるいはナンパの件ではなくもっと別の事かもしれない。
とはいえ愛梨がこんな態度を取るということは余程聞かれたくない事だと思うので、多少確認するくらいで留めておくべきだ。
「別に何から何まで話す必要は無いからな。愛梨は平気なのか?」
「……はい、大丈夫です」
「ならいいんだ。疲れたのなら頭を撫でようかと思ったけど、その必要も無さそうだな」
「い、いえ、疲れました! すっごく疲れましたよ!」
「お、おう、そうか……」
頭を撫でるくらいならいつでも出来るものの、特に何の目的も無くしては駄目だろうと思ったのだが愛梨に食い気味に否定された。
まさかそこまで食いつかれるとは思わなかったので、引いた声を出してしまった。
「という訳でお願いします、さあ!」
引き気味の湊の態度は気にならないのか、座りこんで今か今かと待つ愛梨ははしゃぐ子犬のように見える。尻尾があればブンブン振っているのではないだろうか。
撫でるというのは湊から言い出した事であり望むところではあるが、こうも露骨に喜びを表現されるとは思わなかった。
「分かった分かった。じゃあいくぞ」
「はい」
許可をもらったので遠慮なくさらさらの銀髪を撫でる。
最近距離感が狂っているなとは思うが、愛梨が心底気持ち良さそうにしているのでこれでいいのだろう。
蕩けた笑顔は湊の心に悪いが、愛梨の信用を裏切る訳にはいかないし、傷つけるつもりもない。
それに実際のところ、頭を撫でることで好きな子が癒されてくれるというのは嬉しさで胸が満たされる。
「そう言えばあの人、大変みたいですよ。自業自得ですね」
唐突に愛梨が脈絡の無い事をご満悦の表情で言い出した。
一瞬誰のことか分からなかったが、彼女が名前をあえて呼ばない人など一人しかいないのですぐに思い浮かんだ。
「あの人? ……ああ、雨宮か、どうなったんだ?」
そういえば拓海に雨宮がその後どうなったかを聞いていなかった。
おそらく彼は知っていただろうが、湊自身のことで頭が一杯だったのであえて拓海の方から言わなかったのかもしれない。
「私に暴言を言った人として女子全員の目の敵にされています。あの人のもともとの素行の悪さも手伝っていますがね。今回が決定的だったようです」
「当然の結果だな」
「ふふ、そうですね。いくら顔が良くて金持ちでも駄目という事ですよ。ねぇ湊さん?」
金も見た目も人から認められる決定的な要素ではないと愛梨は言いたいのだろう。
彼女の方からそう言ってくれるのは正直心強いが、湊の周りには美男美女が多すぎる。気後れするのは変わらない。
「残念ながら、俺の見た目は変わらんからなぁ」
「……ばか」
撫でられて気持ち良さそうにしつつも罵倒するという器用な事を愛梨がする。
おそらく機嫌を損ねたのだろうと思って、湊は必死に彼女を宥めた。