第50話 ビーチバレーのご褒美
「いやー楽しかった! 愛梨はどう? 楽しめた?」
「凄く楽しかった。誘ってくれてありがとね」
「そう言ってくれて良かったよ。また来ようね」
「うん。それじゃあ紫織さん、またね」
「じゃあねー!」
夕方、プール施設からの帰路で、一真達と別れて愛梨と二人きりになった。
プールに行くときは愛梨が湊の服の裾を掴んでいたが、プールでの距離の近さが抜けないのか、すぐに湊の手を掴んできた。
「今日くらいはいいですか?」
「……そうだな、今日くらいはな」
プール上がりだからか、それとも更衣室で手入れをしたのか、愛梨の手はしっとりしていて触り心地が良い。
今日は男避けとして愛梨の傍にいたのだ。既に目的は達成しているので今手を握る必要は無い。
それどころか、仮にこの状況を誰かに見られた場合、言い逃れが出来ないだろう。
本当はもう止めなければいけない、だがその言葉を口に出すことができない。
代わりに別の言葉が口から出る。
「百瀬も言ってたけど、今日は楽しかったか?」
「はい、とても。湊さんのおかげです、ありがとうございます」
「俺は大したことはしてない。一緒にいただけだからな」
「ナンパ避けですから、十分ですよ」
「それなら良かった」
愛梨が楽しめたのなら今日は行って良かったと思える。湊が体を張った甲斐があるというものだ。
実際のところは嫉妬の視線が偶に強かったくらいで、実害も特に無かった。
こんな見た目でも愛梨の役に立てたと誇らしい気持ちになっていると、彼女が上機嫌に湊を見上げてきた。
「じゃあ湊さんへのご褒美をあげないといけませんね」
「は? ご褒美って何だよ」
「私に付き合って大勢の視線を受けてくれたご褒美ですよ。失礼しますね」
愛梨が繋いでいるだけだった手の向きを変え、楽しそうに湊の指と自分の指を絡ませた。
恋人繋ぎをするのはプールの中だけという約束だったはずだ。
手を繋ぐだけでも駄目なのに、流石にこれはやりすぎだ。
「おい、愛梨」
「家に帰るまでですから。……もう少しだけ、いいですか?」
ご褒美という建前なのに、愛梨がお願いする立場になってしまっている。
縋るような、期待するような目を向けられて、湊の心は甘く疼いてしまった。
「……勝手にしろ」
「はい、勝手にしますね」
突き放すように言ったが、湊の内心を見抜いたのか愛梨はふわりと柔らかく笑う。
好きな人とまるで恋人みたいな事が出来ることが嬉しくて、結局何も言う事が出来なかった。
「ふわぁ……」
一日プールで遊んで疲れたのか、いつもよりかなり早い時間に愛梨が欠伸をしている。
「流石に疲れたか?」
「そうですね、はしゃぎ過ぎました。もう限界です……」
「俺はもうちょっと起きてるから、先に寝てていいぞ」
「いいえ、湊さんが寝るまで起きます……」
「俺の事はいいから気にすんな」
「起きます、起きるんです……」
話している間にも眠気が襲ってくるのか、愛梨の体がふらふらと横に動きだした。
それでも目を擦って起きようとするので、何とか彼女を寝かせる為に考えを巡らせると、とりあえず一つの案が思いついた。
「愛梨、布団を敷くからちょっと退いてろ」
「分かりました」
「でだ。布団に寝転んで俺の膝に頭を乗せてくれ」
「……え、いいんですか?」
湊の言葉に愛梨が眠たげな目を見開いた。
今まで湊が自分からこういう接触をしてこなかったので意外なのだろう。
とはいえこれにはきちんと理由がある。
「ビーチバレーのご褒美だ。何でもいいと言っておきながら俺の方から指定してるがな。嫌なら別のものにするけど――」
「いえ、むしろこれでお願いします!」
「お、おう」
湊の方から愛梨へのご褒美を指定すれば、こちらにダメージが行かないと思っての行動だ。
流石にやりすぎかと一瞬思ったし、これがご褒美になるかは疑問だったが、食い気味に否定されたのでこれでいいらしい。
「じゃあ遠慮なくどうぞ」
「し、失礼しますね」
軽く膝を叩くと愛梨がおずおずと湊の膝に頭を乗せてくる。
湊のすぐ横で銀色の髪が広がり、幻想的な光景を作りだした。
何度見ても慣れる事の無い光景を意識から外しつつ声を掛ける。
「頭の高さは大丈夫か? 寝辛くないか?」
「はい、大丈夫ですよ。とはいえ、いつもの枕より硬いですね。男の人の太股って感じです」
おかしそうに愛梨が笑うので、振動が湊の膝に伝わってしまってくすぐったい。
笑いながらではあるものの言葉の内容は批判であり、やはりこういうのは男がやるようなものでは無いのかもしれない。
「それ寝辛いってことだろうが。やっぱり止めとくか?」
「これでいいです。いえ、これがいいんです。さあ湊さん、枕替わりなだけですか?」
「……分かったよ。じゃあ失礼して」
いつもの枕の方が良いかと尋ねたが、満足そうに微笑んで否定したのでこれでいいらしい。
そして、暗に頭を撫でろと催促されたので、滑らかな銀髪に触れた。
そのまま梳くように撫でると、すぐにとろんと目が蕩けてくる。
「気持ち良いか?」
「はい、たまりません。ずっとやってて欲しいくらいです」
「普通に撫でてるだけだがな。満足してくれるなら良かったよ」
手の平全体で撫でたりまた梳くように撫でたりと、撫で方を変えたが梳くようなやり方が一番気持ち良いらしい。
愛梨の瞼がだんだん重くなり、今にも寝てしまいそうになっている。
別に寝てしまってもいいというか、むしろ寝て欲しいと思っているのだが、必死に起きようと瞼を閉じては開けてを繰り返している。
「眠かったら寝ていいんだからな?」
「いいえ、おきます。いま、ねるのは、もったいない、ですから」
「勿体無いって何だよ。こんなのでよければ何回でもやってやるから、もう寝ろ」
「……ほんとうですか?」
潤んだ目をしながら笑いかけてきた。
湊の膝枕など需要は無いとは思っていたが、彼女がそれで喜んでくれると言うのならいくらでもできる。
愛梨の方は眠気が限界なのか、幼げなゆっくりとした口調になっており、庇護欲をそそられる。
ただ、可愛らしさに反して蕩けた表情をしているので、可愛さの中に色っぽさを感じてしまった。
早くなってしまう胸の鼓動を抑えつつ、必死に平静を取り繕う。
「ああ、だから気にせず寝ろ」
「ありがとう、ございます。みなとさん、てを、ぎゅっとしてくれませんか?」
「分かった、ほら」
頭を撫でている手と反対の手を愛梨の前に差し出すと、宝物のように彼女の両手に包まれた。
余程眠かったのだろう。そのまま愛梨の瞼が閉じると、すぐに寝息が聞こえてきた。
不安など全く無いような、安らかな表情をしている。
いつも見ている寝顔だが、今は大事な物を取られまいとしている幼い子供のようにも見えてしまった。
「みなと、さん。わたし、がんばり、ます、から……」
「もうお前は十分頑張ってるよ。ゆっくり休め」
「ふふ。みなと、さん。みな、と、さん」
寝言でしきりに湊の名前を呼んでいる。一体どんな夢を見ているのだろうか。
頑張るという愛梨の言葉に少しだけひやりとする。
彼女は今まで一人きりで頑張ってきたのだ。これ以上何をそんなに頑張らなければいけないのだろうかと心配になった。
だが、表情は気持ち良さそうなままなので辛い夢ではなさそうだ。
(……愛梨が喜んでくれたのは良かったけど、流石にやりすぎたな)
頭を撫で続けたまま今日の事を振り返り、自分でも大胆な事をしてしまったと頬が熱くなった。
プールでの湊達の行動はいくら男避けだとしてもやりすぎだったかもしれない。
そして愛梨との距離感が狂ったまま膝枕までしてしまっている。
彼女が喜んでくれているので良いものの、軽率すぎたと溜息を吐く。
けれど、撫でる手を止めようとは全く思えず、穏やかな寝顔を眺め続けた。




