第44話 女子の恨み
一章での愛梨視点を更新しております。
湊視点で見たいと思った方は気にしないでください。
(はぁ……。またか)
朝起きたときに偶に起こる、片腕の感覚が無いことに湊は内心で溜息を吐いた。
あれから全く寝付けずに徹夜すら覚悟したのだが、いつの間にか眠ってしまったようだ。
隣を見ると愛梨が実に気持ち良さそうに寝ている。
今日は一真達に昨日の花火大会後の報告をする以外に特に予定は無い。
時刻を確認してもまだ大丈夫な時間なので、これ幸いと彼女の頭を撫でる。
好意を自覚したからなのか、いつにも増してあどけない寝顔が可愛く見えてしまう。
暫くやんわりと撫で続けていたが、撫でられる感覚が分かるのか愛梨がゆっくりと目を開けた。
「ぅん……?」
「起きたか?」
「……ふ」
何も映していない透き通る碧は湊の顔を見た瞬間にとろりと蕩けた。至近距離で無防備かつ無垢な笑顔を見て思考が停止してしまう。
湊が固まっていると、もぞもぞと愛梨が密着してくる。
「お、おい、離れろ」
「やぁ……」
湊が小さく声を掛けるものの、愛梨が嫌がって離れようとしない。
体を動かし、しっかりと湊の胸に顔を埋めてからまた寝息を立て始めてしまった。
少しの間ジッとして、完全に寝たのを確認してから布団から抜け出す。
「ぅ……」
「ごめんごめん」
「ん、ふ――」
しびれた腕に血が戻るのを待ちつつ、いつものように愛梨が不機嫌になったのであやすように頭を撫でる。
安心しきっているような安らかな寝顔になったのを見てから朝食の準備を始めた。
変わらない毎日の中に愛梨がいてくれることが嬉しいな、とくすりと小さく笑いながら。
「――こんな感じだ」
昼過ぎにファミレスに集合し、昨日の説明を一真達に行った。もちろん家での事は省いてだが。
話し終えると二人共不快そうに眉を寄せた。特に百瀬の顔が酷い、今にも喧嘩をしにいきそうな剣呑な顔だ。
「二ノ宮から聞いたが、あいつら評判が悪いらしいな。何とか二ノ宮にトラブルが起きないように出来ないか?」
「よし、わたしに任せて。あいつら、愛梨にちょっかい掛けた事を後悔させてやる」
「出来るのか? こう言うのはなんだが、百瀬は今大変だろう?」
百瀬は学校で『愛梨に一番近い人』という位置にいる為に、多少の嫌がらせを受けていると聞いていた。
そんな状態になっているのに任せても本当に大丈夫なのかと湊が見つめると、ニカッと百瀬が明るい笑みを浮かべる。
「大丈夫だって。嫌がらせをしてくる人ばかりじゃ無いし、夏休み前の時点でそういう人は結構減ってたよ。そもそもあいつらの被害にあった人は大勢いるからね。女の子の力を思い知らせてやる」
「……ごめんね、紫織さん」
愛梨が悪い事をしている訳では無いが、その原因の一端というのも確かなので彼女が顔を俯けて百瀬に謝罪した。
謝罪を受けた百瀬は一瞬だけきょとんとしたが、すぐに首を横に振って愛梨をフォローする。
「なんで愛梨が謝るの? 悪い事なんてしてないんだから全然気にしなくていいんだよ! ……という訳で被害にあった人と、あいつらを目の敵にする人をかき集めて粛清するから、任せて」
「なら頼んだ。ちなみに何をするんだ?」
自信満々な笑みを浮かべる百瀬を信用して任せた。友人が多い百瀬を敵に回したことで雨宮達は大人しくなるだろう。
とはいえ、どんな方法なのかは気になる。それで恨みを買って雨宮に報復されるのは勘弁して欲しいので一応百瀬に尋ねてみた。
すると、百瀬がニヤリと悪そうな顔になる。
「まあ大した事じゃないんだけどね。学校中の被害を纏めて、雨宮の素性を知らない女子含めて全学年の女子に知ってもらうだけ。とは言っても全学年の女子を敵に回すんだから、今までのような事は出来なくなる。だから愛梨達に報復が行くことは無いと思うよ。それと、他の高校に友達がいる子にはそこにも情報を流してもらうつもり。世の中顔と金じゃあ解決出来ない事もあるって教えてやる。女の子の恨みは怖いよ? それに……」
「それに?」
言いづらそうに百瀬が言葉を切った。
続きを促すと、百瀬は「愛梨、不快な思いをさせたらごめんね?」と先置きしてから話を続ける。
「愛梨は嫌だろうけど、愛梨と仲良くなりたいって人はやっぱり多いんだ。愛梨は男の人と仲良くないから、男の手から守ろうと意気込んでいる人もいるくらいにね。……そんな人気のある愛梨を傷つけたんだから、わたしが思ってる以上の目に遭うかもねぇ」
「……嬉しいような、悲しいような。というかそんな人がいたんだね」
外では壁を張って対応している愛梨は気付かなかったのだろう。言葉以上に複雑な表情をしている。
力になってくれる人がいるのは嬉しいが、仲良くなりたいという人に対してはこれまでの事もあり、肯定的にとらえる事が出来ないといった感じだろうか。
人目を引くというのは良い事では無いなと思っていたが、こんなところで恩恵があるとは思わなかった。
「まあ、愛梨は気にしなくていいよ。関わりたいと思ったらそうすればいいんだからね!」
「うん、ありがとう」
百瀬は無理に関わらなくていいと柔らかく笑う。愛梨の複雑な表情から微笑に変わったので、これで今回の報告会は一先ず終わりだ。
対策が見つからなかったらどうしようかと思ったが、何とかなったと湊はホッと溜息を吐いた。
「それで、なんだかお前ら距離が近くないか?」
一真が訝しげに湊達を見てくる。
湊も話しながら思っていた事だが、妙に愛梨との距離が近い。
湊と愛梨はテーブル席のソファ側に座っており、既に膝が何度か当たってしまっていたのだが、当の彼女は全く気にしていないようだ。
ちなみに湊がそれとなく逃げてもすぐに距離を詰めてくるので、逃げることは諦めている。
「……さあ、気のせいじゃないか?」
「絶対気のせいじゃ無いと思うんだが」
「あ、湊さん。飲み物取ってきますね。何がいいですか?」
「お茶」
「はい、分かりました」
追及される事が嫌だったのか、愛梨が逃げるように湊のコップを奪っていった。
なぜあれほど距離を詰めてくるかが分からず湊が思考を巡らせていると、一真達がニヤニヤしながらこちらを見てきた。
「何だよ」
「愛梨って普段『湊さん』って呼んでるんだね」
「じゃあ湊は普段二ノ宮さんの事を何て呼んでるんだろうなぁ」
冷や汗が背中を流れる。湊への呼び方が家に居る時と変わらないのに気がつかなかった。
タイミング悪く愛梨が帰ってきてしまい、いいネタを見つけたというように百瀬達が追及してくる。
「ねえ愛梨、なんで湊君を名前呼びしてるの?」
「え? ……あ」
「お前、自覚無しだったのか」
どうやら自分ですら気付いていなかったようで、急におろおろしだした。
顔もリンゴのように真っ赤になっている。
「もしかして、昨日何かあったの?」
「あの、昨日は何も、そう、何もなかったの」
「なら何で名前呼びなの?」
「名前は、前から呼んでたの、期末考査前から。だから昨日は、本当に、何もなかったの」
「おい、二ノ宮。余計な事までバラしてるぞ」
「え! あ、ごめんなさい!」
完全に混乱してしまって、言わなくて良い事まで言ってしまっている。
というか愛梨の反応だと『昨日何かがありました』と言っているようなものだ。
一真達の目線がニヤニヤを通り越して生暖かい目線になっている。
「へぇ、なるほどねぇ。じゃあ湊はなんて呼んでるんだ?」
「二ノ宮」
「なあ、二ノ宮さん。湊の言ってる事は本当か?」
「……違います」
「おい」
一真達であれば言いふらすことはないとは思っているが、愛梨があっち側に付くなんて想像していなかった。
一真が笑みをより深くして湊を問い詰める。
「なあ湊、もう一度聞くぞ。普段何て呼んでるんだ?」
「黙秘権を行使する」
「湊さん、呼んでくれないんですか?」
湊の裾をくいくいと引っ張りながら上目遣いで見てくる。
そういうのは狡いと思う、好きな子にそんな頼み方をされれば断れない。
仕方がないと溜息を吐いて覚悟を決める。
「……愛梨」
「ふふ、ありがとうございます。湊さん」
本当に嬉しそうにはにかむのは心臓に悪い。
百瀬達が呆れた風な目でこちらを見てくる。
「……こういう時なんて言うんだっけ。爆発しろ、だっけ?」
「紫織、やめとけ。馬に蹴られるぞ」
「……お前ら」
「いちゃついたのは湊達なんだけどなぁ」
百瀬達を睨んだが、ニヤニヤとした笑顔で仕返しが飛んできた。
断じていちゃついてなどいないが、話を蒸し返すと碌な事にならないだろう。
「うるさい、ほっとけ。で、話さないといけないのはこんなもんか。後は何かあるか?」
「あ、湊君って水着持ってるよね?」
「持ってるが。……まさか行くのか?」
「その通り! 今度はプールだよ!」
「お前ら二人で行ってこい。愛梨は人の目線が嫌だから行かないし、愛梨が行かないなら俺も行かん」
「え、私行くつもりでしたよ?」
「は?」
「何か変な事を言っただろうか」と言いたげにきょとんと首を傾げられた。
てっきり愛梨は人が多い所は嫌なので行かないと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
まさかとは思うが、人が多い事を知らないのだろうか。
「愛梨、分かってるのか? 人が多いんだぞ、じろじろ見られるんだからな?」
「はい、分かってますよ」
「なら何で行くんだ? そういうの嫌だろ?」
「私が行きたいからです。という訳で湊さんにお願いがあります」
意地の悪い笑顔を向けられた。
もう何度も向けられたので既に慣れているが、せめてトラブルが起きませんようにと心の中で祈る。
「プールの時、私とずっと一緒に居てくださいね」
「……俺は男避けにならないぞ?」
「なりますよ、自信を持ってください。というか他の人なんてどうでもいいです。……とは言っても相当視線を浴びると思います。嫌、ですか?」
信頼されているのは分かるが、「他の人なんてどうでもいい」という言い方をされると勘違いしてしまいそうになる。
愛梨は単に一番信用している湊以外なんて気にしない、と言っているだけなのだから。
また、我が儘を言っている自覚はしっかり持っているようで、心配そうに眉を寄せるその顔からは「湊が嫌であれば行かない、無理しないで欲しい」という考えが透けて見える。
愛梨の望みは叶えてあげたいし、凄まじい嫉妬の視線を浴びるだけなら大丈夫だろうと思い、溜息を吐いて湊もプールに行く旨を伝える。
「はぁ……。どうなっても知らんぞ、覚悟しろ」
「はい、ありがとうございます」
結局のところ、好きな子にお願いされたら断れないんだろうな、と穏やかに笑う愛梨を見ながら湊は再び溜息を吐いた。
「なんでわたし達置いてけぼりになってるんだろうね……」
「知らねえよ、ああ、胸やけする……」