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第42話 アイリスの花

「大丈夫……じゃないよな」

「いえ、そんなことはないですよ」


 愛梨の手を引いて家に帰りつき、とりあえず座らせた。

 一真達には既に連絡しており、待ち合わせ場所から帰ってもらっている。

 事情は後で説明すると約束したのでしっかりと伝えるつもりだ。

 どうやって話しかければいいか分からず無言でいると愛梨が頭を下げた。


「すみません、思わずカッとなって荒れてしまいました」


 あの男子生徒の湊の見た目に対する言い分はごもっともだと思うので反論するつもりなど無かった。

 だが、あんなにも愛梨が怒ってくれたのは正直嬉しい。


「いや、それはいいんだ。怒ってくれてありがとな」

「そんなの当たり前じゃないですか」


 当然のように愛梨に言われて心が温かくなるが、湊が喜んでいる場合ではない。

 そもそも今回の原因は湊にあるのだから、こちらの方が謝らなければならないだろう。


「こっちこそごめんな、(はぐ)れなければこんな事にはならなかったのに」

「いいえ。さっきも言いましたが、湊さんは来てくれましたから」


 愛梨はほんの僅かに微笑むが、ぎこちない笑みだし、生気がこもっていない。

 こういう場合にどうすればいいか分からない自分が憎い。


「湊さん。私が氷の人形って呼ばれているのを知ってましたか?」

「……ああ」

「そうですか。……あの、面白くない話ですが、聞いてくれますか?」

「もちろんだ」


 氷の人形と呼ばれて過剰に反応したので何かしらのトラウマがあるのだろう。

 湊から尋ねないようにしていたが、愛梨が話したいというなら面白くない話だろうが聞きたい。

 湊が姿勢を正すと愛梨がぽつぽつと、平坦な声で語りだす。


「ありがとうございます。私がハーフなのは話しましたよね?」

「ああ、体育祭の日に聞いてる」

「ではそこからですね。私は母親の顔を知りません、父曰く私を生んですぐに居なくなったそうです。父は詳しい話をしてくれず、離婚という事だけは分かりました」


 愛梨の家族構成に母が出ないのは不思議だったが、そもそも知らないのであれば無理もないだろう。

 体育祭の後の話で母親の事を知らないような口ぶりだったのも納得がいく。


「私が物心ついてから、父は私に何度も言い聞かせました『お前は人形だ』と。おそらく母は元気な人だったのでしょう。母を思い出したくなくて、私に正反対の事をさせようとしたんだと思います」

「……酷い話だな」


 過干渉、という言葉も生温いくらいだ。

 なるべく柔らかい言葉で浩二さんの行動を批判するが、幼い頃から実の父に人では無いと言われるのは『酷い話』では済まされないと思う。


「そうですね。とは言っても実質的には放置されていましたよ。無表情、無感情であれば特に何も言ってはきませんでしたし、疎ましい目では見られたものの虐待される事は無かったんです。流石に父の手を掛けさせる事になると殴られましたが」

「それは十分虐待だろ」


 手が出なければ虐待じゃないというのは大きな間違いだし、手間を掛けさせたからと過剰に殴るのも駄目だろう。

 愛梨のように常に言葉によって傷つけられることも十分虐待なのだから。

 湊のフォローに彼女はうっすらと微笑みながら話を続ける。


「唯一命令されたのは髪です、伸ばせと言われました。母がショートだったのでしょう。母親に似たらしいので同じ雰囲気にさせない為だと思います。人形っぽくなるからという意味もありそうですけどね」

「なるほど、だからロングにしてるのか」

「はい。最初は命令されてやっていました、なので手入れもせずにボサボサでしたね。そしたらみっともない事をするなと怒られましたよ」


 ふふ、と自嘲気味に愛梨は笑うがその強要はあまりに酷すぎる。

 伸ばして手入れをするのがどれだけ大変か、一緒に生活している湊はよく見ている。


「怒られたくなくて手入れを頑張りました。長い銀髪を手入れをするのは私が人形である証になるとして。……ある意味での存在証明なんです」


 毎日毎日長い銀髪を手入れし、人形である事の存在証明を見続けるのはどれほど辛い事なのだろうか。

 おそらく湊には想像もつかない程の苦痛だろう。


「……でも、手入れをするうちに愛着が湧いてしまったんですよ。皮肉なものですよね、人形である証を手入れすることが私の唯一の趣味になってしまったんですから。もう、私の髪に対する感情は自分でも分かりません。手入れをしていて苦痛なのか、趣味を行えて嬉しいのか、ぐちゃぐちゃです」

「だから俺が最初に髪に(こだわ)ってるのかと聞いた時に誤魔化したんだな」

「はい」


 愛梨が口の端を釣り上げて、ぎこちない笑みの形を作る。

 髪に関して義務と拘りがごちゃ混ぜになってしまっているのだろう。

 湊にどうこう言える権利は無いが、その笑顔があまりに痛々しくて声を掛けようとするものの、愛梨の方が先に口を開いた。


「そうして家では極力人形でいました。そして、湊さんも知っている通り、学校でも人を遠ざける為に人形のようになりました」

「……」


 愛梨はまるで今にも消えてしまいそうな儚い笑顔を浮かべる。

 先程からそうだが笑顔が出来る話ではない。ましてや愛梨は当事者だ。

 その表情は笑う事しか自分には許されないというように見えてしまい、胸が苦しくなって声が出なかった。


「湊さん、私の名前の由来はアイリスからなんですよ。幼い頃に父が言っていました」

「……アイリスって言うと、俺がプレゼントしたヘアピンの花か」

「はい」


 急に話が変わってしまって面食らったものの、湊が初めて物品をプレゼントした時のことだろうと確認をしたが間違っていないようだ。

 あの時の愛梨の表情はかなり複雑だったので、しっかり覚えている。


「二ノ宮アイリス、なんて笑っちゃいますよね。もうちょっとマシな名前にして欲しかったです」


 自分の名前を自嘲気味に言う愛梨の目は淀んでいる。

 名前を嫌うだけのよほどの理由があるのだろう。

 一瞬尋ねてもいいのかと思ったが、ここでその話を愛梨から持ち出したという事は聞いて欲しいのかもしれない。


「……そんなに自分の名前が嫌なのか?」

「嫌いですよ、大嫌いです。知ってましたか? アイリスの花言葉は花の色で変わるんです」

「……すまん、花言葉には詳しくないんだ」

「普通はそうですから。……アイリスの中でも、黄色のアイリスの花言葉は『復讐』なんです」


 あまりにも物騒な花言葉にゾッとする。綺麗な花にそんな言葉があるなど想像していなかった。

 しかし、黄色いアイリスと愛梨の関係性が見えない。彼女の髪の色である銀や瞳の色の碧からは想像の出来ない色だ。


「なんで黄色なんだ? 愛梨のイメージは銀か碧なんだが」

「私には日本人の血が流れています。日本人――つまりアジア人種を別名で何と呼ぶか。……答えは黄色人種です。ほら、黄色いアイリスでしょう?」

「無茶苦茶だ。それはあまりにこじつけすぎだろう」

「そうかもしれませんね。でも私はこう感じたんですよ。『黄色人種の愛梨(黄色いアイリス)』は誰かの復讐心によって存在している、と」

「……違う」

「違いませんよ。私は誰かの復讐心によって生まれた『人形』なんです。母が父への何かしらの復讐のために私を生んで捨てたのか、父を捨てた母への復讐、もしくは腹いせのために人形として育てられたのか。どちらにしても変わりません」

「……それは違う」

「今日言われましたね、氷の人形と。結局、私は無感情で無表情な、復讐のための人形なんですよ。この髪も、目も、顔も、感情も、私という人形を作るパーツなんです」

「違う!」


 (うつむ)きながら乾いた声を出す愛梨を見ていられなくて、湊は声を張り上げた。

 びくりと愛梨の体が跳ねたが、無視して彼女の肩を掴んで湊の方を向かせる。

 薄っすらと涙の滲んでいる碧眼に目を合わせ、伝わってくれと願いながら言葉を紡ぐ。


「愛梨は人形じゃない。俺は知ってるぞ、楽しそうな笑顔も、悪戯っぽい笑顔も、嬉しそうな笑顔も知ってる。そんな表情をする人が人形な訳ない」

「私には何にもありません、空っぽなんです」

「空っぽなわけ無いだろうが。空っぽな人はそんな泣きそうな表情なんてしない」


 湊と一緒に生活してきた中で見た笑顔はとても人形とは思えないほど魅力的だったし、今にも泣きそうな表情をする人が空っぽであるはずが無い。

 湊の言葉を否定するように、愛梨が勢いよく首を横に振る。


「何も楽しい話なんて出来ません、私には見た目しかないんです」

「じゃあ俺と一緒に生活してどうだった? 確かに俺達は馬鹿みたいに笑う事なんて無かった、楽しい話って言うなら俺だって出来ないからな。でもな、俺は楽しかったぞ。お前はどうなんだ?」


 初めて会った時のように無表情のままだったら違うかもしれないが、愛梨は明るくなった。

 明るい表情をしている裏で本当は楽しくなかったなど認めない。湊に見せる愛梨の表情が作られたものではない事くらい見抜ける。


「それは……」

「それに見た目だけって言ったな。愛梨みたいな優しいやつが、見た目だけしかないとか笑わせるなよ」

「でも私は、人形で、そうするしかなくて――」

「ふざけるな。俺を気遣ってくれる優しい人を人形だなんて馬鹿にするな! 何度でも言ってやる、お前は人形なんかじゃない!」


 自分の言葉で自分を傷つけ続ける愛梨を見ていられなくて、思わず抱き締めた。

 暖かい体温が湊に伝わる、こんなにも暖かい人が人形であるはずが無い。

 愛梨は何が起きたのか分からなかったのか最初は体を強張らせていたものの、力を抜いて体を湊に委ね、胸に顔を(うず)めた。


「……湊さん、少し、胸を借りますね」

「好きなだけ借りてくれ」

「私、人形じゃなくていいんでしょうか?」

「ああ、人形でいる必要なんて無いんだ」

「人形じゃなくても受け入れてくれますか?」

「当たり前だろ」

「湊さん、私、わた、し――」

「愛梨、もういいんだ」

「う、あぁ――」


 (ねぎら)うように頭を撫でると、我慢の限界なのか嗚咽(おえつ)が聞こえて来た。

 すぐに声が大きくなり、泣きながら湊に言葉をぶつけてくる。今まで溜め込んでいたものを吐き出すように。


「私、人形なんかじゃないです! そんなの嫌なんです!」

「分かってる」

「でも、周りが人形であれと私に願うんです! どうしようもないじゃないですか!」

「大丈夫だ、俺は言わないから」

「何で皆で私を否定するんですか! 大嫌いです。この髪も目も全部!」

「そんな事言うな、俺は好きだぞ」

「嘘つき! そんな事、何一つ言ってくれなかった癖に!」

「嘘なんかじゃない。愛梨、顔を上げてくれ」


 湊の胸で泣きじゃくる愛梨を一度離して視線を合わせる。

 至近距離にある、涙に濡れた鮮やかな碧色が目を見開いた。


「お前の澄んだ碧色の目を、幻想的な銀髪を、ころころ変わる笑顔を、優しい性格を俺、気に入ってるんだぞ。……あんまり褒められるのは嫌みたいだったから言わなかったがな」

「そんな、こと……」

「何度でも言わせてくれ。お前は人形なんかじゃないんだ」

「湊さん、みなと、さん」

「だからさ、泣いたっていいんだ。人形は泣かない、それは愛梨が人である証だ」

「う、ぅ――」


 愛梨がまた湊の胸に頭を押し付けて泣き始めたので、再び頭を撫でた。

 湊の腕の中で泣き続ける小さな体と凍らせた心で、一体どれほどの苦しみを受け入れてきたのだろうか。

 人形であれと望まれた少女。けれど、そうではないと湊はハッキリ言える。

 せめて今だけでも癒されて欲しい。愛梨を慰めることが出来る事を誇りに思う。


 そうして湊は撫で続けた、彼女が泣き疲れて眠ってしまっても。

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