第41話 愛梨の怒り、湊の怒り
花火大会も終わり、今は四人で帰路についている。
「どうだ、二ノ宮は楽しめたか?」
「はい、凄く楽しかったです」
「ならわたしも誘った甲斐があるよ!」
愛梨に感想を尋ねると彼女は満足そうに笑顔を浮かべた。花火大会はとりあえず成功と言っていいだろう。
問題なのはここからで、やはり相当な人混みであり帰るだけでも一苦労だ。
人の流れに沿ってしか移動出来ず、一真が百瀬を心配しながらも注意する。
「紫織、ちゃんと傍にいろよ。人が多すぎて逸れると大変だ」
「分かってるよ。湊君達も気を付けてね」
「ああ。二ノ宮、大丈夫か?」
「はい、だいじょ――きゃ!」
「二ノ宮!」
愛梨の悲鳴が聞こえたので横を見ると、銀髪が人混みに呑まれていくのが目に入る。
急いで追いかけようとしたのだが、人の流れに逆らう事が出来ずに愛梨の姿を見失ってしまった。
こんなことになるなら彼女と手を繋いでいれば良かったと湊は歯噛みする。
「クソッ!」
「落ち着け湊。この人の流れには逆らえないし、逸れても良いように待ち合わせ場所は決めてた。二ノ宮さんもそこに行くだろうから大丈夫だ」
「……そうだな」
そうして三人で待ち合わせ場所に向かったのだが愛梨の姿は無い。
しばらく待ったが一向に愛梨の姿が見えないので、百瀬を残して一真と湊が探しに行く事にした。
「悪いな百瀬、一真を借りるぞ」
「遠慮なく使っちゃって! 二人共、愛梨の事をお願い!」
「任せろ。どちらか、もしくは紫織が二ノ宮さんを見つけたら連絡する、三十分経ってもどちらも見つからなかったら一度戻ってくる。いいな?」
「ああ」
途中まで一真と一緒だったものの、大通りに出たので二手に分かれた。
湊が焦ってもどうしようもない事は分かっているが、一刻も早く見つけなければと走ってしまう。
すれ違う人が驚いた顔をして湊を見てくるが他人の目など気にしてられない。
愛梨は歩いている方向が分からなくなるタイプではないので、間違いなく何らかのトラブルに巻き込まれているはずだ。
湊の息が上がったころ、ようやく視界の端に銀色が目に入った。
(見つかった! ……でも、案の定だな)
見つからなかったらどうしようと思ったが一安心だ。
息の乱れを抑えつつ愛梨に近づくと、なにやら数人の男が彼女を囲っている。
「ねえ二ノ宮さん、ここで会ったのも何かの縁だし、どこかで飯食べようよ」
「私帰るから」
「そう言わずにさぁ、一人なんでしょ? 送っていくからさ、そのついでに何か食べようよ」
「人込みで逸れただけだから、放っておいて」
「そんな二ノ宮さんと逸れてしまうような奴なんてどうでもいいでしょ? 女の子一人は危ないよ?」
「だから――」
愛梨の話し方からして全員同級生らしい。男子生徒達はなんとか彼女に取り入ろうと媚びた目で彼女を誘っている。
愛梨は冷たい対応をしているものの、結構しつこく言われているようで辟易しているようだ。
とりあえず一真達に連絡したが、湊が間に入っていいか悩む。
割って入れば間違いなく関係者と疑われるだろう。とはいえ一真達三人のおこぼれをもらったと言えば何とかなると思って声を掛ける。
「逸れて悪い、二ノ宮」
「九条先輩」
愛梨は湊の姿を見て一瞬だけ安堵の表情を浮かべたものの、すぐに無表情に切り替えた。
いきなり割って入った湊を男子生徒が不快な感情を隠さずに睨む。
「は? アンタ誰?」
「俺は二ノ宮の連れだ、悪いな」
「アンタが二ノ宮さんの連れ? ハハハ! 有り得ねえだろ、アンタみたいなパッとしない奴が釣り合う訳ないだろうが!」
湊に文句を言った男子生徒に合わせて一緒にいる人達も大笑いした。
男子生徒達の顔を見ると確かに整っている。湊とは大違いなのでそう言われてもおかしくは無いだろう。
けれど、嫌がっている愛梨を放っておける訳がない。
顔の件は正論ではあるが、見ず知らずの人に面と向かって馬鹿にされて不快な気分にならないほど湊はお人好しではない。思わず声が冷たくなる。
「それがどうした? それと、年上には敬語をつけるもんだぞ、後輩」
「ああハイハイ、どうもスミマセンでした。でも俺達は二ノ宮さんに用があるんで退いてくれませんかねえ!」
「悪いが退けないな。二ノ宮が嫌がってるだろうが」
「アンタと一緒に居るより俺達と一緒の方が余程良いだろ! なあ二ノ宮さん?」
湊に文句を言ってもどうしようもならないと思ったのか、愛梨に話し相手を変えてきた。
とは言っても彼女は断るだろうから湊には何の問題も無い。
好きにしろと思って湊が黙ると、それまで沈黙していた愛梨が口を開く。
「いい加減にしてくれない?」
シンっと空気が静寂に包まれた。
底冷えのするような声だ。あれだけ盛り上がっていた男子生徒達も静まり返っている。
湊もここまで寒気のする声を聞いた事が無くて口を開けなかった。
誰も口も開かなかったが、湊に話しかけた男子生徒が気を取り直したようで再び愛梨に話し掛ける。
「あ、ありがとな二ノ宮さん。やっぱりこんな奴なんて放っておいて俺達と――」
「さっきから聞いていれば何? 湊さんを『こんな奴』だなんて言わないで」
「い、今、こいつの名前言わなかったかな?」
「それが何? 別に私が誰と何をしようと私の勝手なんだけど。いちいち貴方がなんで口を挟むの?」
絶対零度の声が闇夜に響く。表情も初めて会った時の人形のような無表情になっている。
男子生徒は引き攣った笑顔で何とか会話を繋げようと必死だ。
愛梨の方は完全に頭に来ているようで、男子生徒を責める声が止まらない。
「ねえ、顔が全てなの? 見た目が全てなの? それをなぜ赤の他人の貴方達に言われなきゃならないの?」
「赤の他人って、俺達同学年だろ?」
「だから? 別に私は貴方達と友達になったつもりもないし、これからもない。湊さんを馬鹿にする人となぜ一緒に居なきゃいけないの?」
「……なあ、コイツがそんなに大事なのか?」
愛梨の質問攻めに答えられないのか、男子生徒は湊に矛先を変えた。
その対応に余計に腹が立ったようで、愛梨の声が一段と凄みを帯びる。
「大事だよ、貴方達とは比べ物にならないくらい」
「な、何でだよ。こんな冴えない奴のどこがいいんだ?」
「だから何度も言わせないで。私が大切に思う人の見た目がどうだろうと貴方に関係無い」
「なら性格か? もしかしてコイツ金持ちなのか? 俺金持ちだし、優しくするから、な!」
湊はひっそりと溜息を吐いた。今のは完全に愛梨の地雷を踏みぬいている。
彼女は平凡な、穏やかな日常が欲しいと言っていた。金に目をつけたのは完全に悪手だろう。
それに愛梨に強引に迫っておいて優しくするなど説得力の欠片も無い。そんな人の何を信じればいいのだろうか。
男子生徒の話を聞いた愛梨が不快そうに表情を歪めた。
「笑わせないで。金は関係無いし、貴方からは優しさなんて欠片も感じない。下心丸出しの視線なんてとっくにバレてるよ」
「な……」
「ハッキリ言おうか? 皆して私に媚びた目線しか向けないくせに、湊さんのことをひたすらに馬鹿にする。そんな貴方達の顔すら見たくないの」
「人が下手に出たら言いたい放題言いやがって!」
相当頭に来ているのだろう、普段の愛梨からは考えられないくらいの悪口が飛び出した。
そこまで言われるとは思って無かったのか、男子生徒の顔が怒りで赤く染まる。
とはいえここまでヒートアップするとは思わなかった。ここらへんで手打ちにしたいので湊が口を挟む。
「なあ、もういいだろ。ここらへんで終わりにしよう」
「ふざけんな! 納得出来る訳が――」
「俺達目立ってるぞ。下手したら警察を呼ばれるかもな」
道の端に寄っているとはいえ花火大会の後なので人は多い。
既にこちらを見てひそひそ言い合っている人が結構な数いる。
男子生徒達はようやく気付いたのか急におどおどし始めた。だが、湊に話しかけた男子生徒は駄々を捏ねる。
「クソ! なんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ!」
「自分の胸に聞いてみろ。強引に女の子に迫っても良い事無いぞ」
「ああもうどうでもいいや! 見た目がいいからモノにしようと思ったけど、何も面白くねえ!」
「……それは言っちゃ駄目だろうが」
自棄になったのか、男子生徒が急に愛梨に対して暴言を吐く。
湊が止めようと声を掛けたものの、全く止まらない。
「見た目が良いだけのこんな無表情な女なんて怖すぎるぜ」
「……おい」
「氷の人形ってのは間違い無かったな!」
その言葉に愛梨の体がびくりと跳ねた。
彼女を視線から遮るようにして湊が正面に立つ。流石に今のは聞き捨てならない。
男子生徒を睨むが、言うだけ言って満足したのか湊を全く相手にせずこの場から立ち去ろうとする。
「止まれ。今の言葉は取り消せよ」
湊の声に苛立ったのか、男子生徒が眉を寄せて踵を返しつつこちらを見た。
「なんすかセンパイ? 俺達もう行くんでその人形と好きにしたらいいじゃないですか。それじゃ」
「いい加減に――」
「湊さん。もういいですから」
言うだけ言って去っていった男子生徒達に我慢ならず、追いかけようとしたが愛梨に腕を掴まれた。
そもそも彼女を探していたのだと、一度溜息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
湊の腕を掴んでいる愛梨は顔を深く俯けていて表情が分からない。
「ごめんな愛梨。俺がもっと早く駆け付けれたら良かったんだけど。いや、それ以前に愛梨の言う通り逸れないように手を繋いでおいた方が良かったな」
「……いえ、いいんです。来てくれましたから」
「ごめん、本当にごめん」
「……湊さん、手を繋いでくれませんか?」
「ああ」
湊が謝ると一応許してくれたものの、相変わらず表情が見えない。それに、声に感情が乗っていないので怒っているのか、悲しんでいるのか分からない。
とはいえ愛梨の頼みを断るつもりは無いので手を繋いだ。
元々愛梨の手は冷え症なのかひんやりしているが、今はまるで氷のように、いつにもまして冷たい気がした。
「愛梨、帰ろうか」
「……はい」
愛梨の手を引いて歩き出す。
湊達の間では無言の時間などいつもの事なのだが、この静寂は重く、苦しく感じた。