第39話 広く感じる部屋
夏休みが始まったからといって湊の日常が変化する訳では無い。学校に行かなくていいのは有難いが、結局のところ休日の過ごし方と同じだ。
いつものようにゆっくりしていたが、昼過ぎに愛梨が出かける準備を始めた。
「出かけるのか? 珍しいな」
「はい。紫織さんと買い物です」
終業式の日に言っていた百瀬とのお出かけの件だろう。思いきり楽しんできて欲しい。
問題はナンパだ。百瀬も愛梨も間違いなく美少女なので、かなり声をかけられると思う。
もちろん愛梨自身が分かっているとは思うが、注意しておくべきだ。
「ああ、楽しんでこい。ただ気をつけろよ。美少女二人での買い物だ、ナンパされるだろうから対策はしっかりな」
「……え?」
湊の言葉を聞いた愛梨が呆けたように固まってしまった。
特に変な事を言ったとは思わないが、もしかしたら美少女扱いはされたくないのかもしれない。
ただでさえ愛梨はその見た目で普段から周りの人の注意を集めているのだ。家に居る時くらいそのしがらみから逃れたいのだろう。
「すまん。美少女って言い方、あまり気分の良いものじゃなかったな」
「い、いえ、そうではないんですが。湊さんって私をそういう風に見てたんですね」
余計な事を言ったと謝罪すると愛梨が顔を真っ赤にして俯いた。照れるような反応をされるとは思っていなかった。
確かに面と向かって愛梨の見た目を褒めた事はほぼ無いと思う。
別に湊に褒められたところで何も感じないと思っていたし、そもそもそういう褒め言葉を彼女は嫌いそうだったので言わないようにしていた。
湊を見つめる碧色の瞳が潤んでいるのは湊の褒め言葉が嫌だからなのかと思ったのだが、嫌悪感は感じられない。
「湊さんが私の見た目に触れる事は無かったので意外です。私の服を褒めてくれた時くらいじゃないですか? あれは見た目というか服が似合ってるかどうかの感想でしたが」
「いろんな人が愛梨の見た目を褒めるだろうからな、うんざりしてると思って言わないようにしてた」
「まあ、確かにそうなんですが。気を遣ってくれてたんですね、ありがとうございます」
「別に感謝されるものじゃないと思うけどな」
褒めた結果、傷つけて関係を悪くしたくないという打算の意味がこもっていたので感謝される理由は無い。
湊は苦笑いで気にするなという風に首を振った。
「それで、湊さんから見て私は美少女だと思うんですよね?」
唐突に話を変えて、頬を赤く染めながら愛梨がほんのりと上目遣いで湊を見てくる。
口元がひくひくしてるのは何故だろうか。
「それ、俺が言って大丈夫か? 嫌にならないか?」
「大丈夫です」
「……美少女だと思ってるよ」
「もう少し詳しくお願いします」
「えぇ……何でだよ、十分だろ。というか愛梨は外見を褒められるの嫌なんだろ?」
「そういうのは一旦脇に置きましょう。純粋に湊さんの感想が聞きたいんです」
ただの注意のはずだったのに、なぜ愛梨にとって褒められたくない外見を褒める事になっているのだろうか。
彼女の気分を害したくは無いので、湊は当たり障りのない言葉を心掛ける。
「美少女」
「そういうのいいですから。じゃあ可愛いですか? 綺麗ですか?」
「……綺麗」
「なるほど。では私にはどんな服が似合うと思いますか?」
服ということはおそらく今日は百瀬と服を買いに行くのだろう。
前は湊が選んだが、今回は愛梨自身の好みで選んで欲しいと思う。
「愛梨ならどんな服でも似合うと思うが」
「駄目です。ならどんな系統の服ですか? 可愛い、綺麗、ボーイッシュ、いろいろありますが、どれがいいですか?」
愛梨は殆ど服を持っていないのに妙にファッションに詳しいようだ。
一瞬だけ元気な幼馴染の顔が浮かんだが、頭を振って脳から追い出す。
とはいえ、服に興味があるところはやはり女の子だなと思う。
「服に興味があるならいっぱい買っていいんだぞ?」
「話を逸らさないで下さい」
愛梨が眉を寄せて睨んでくる。
これ幸いと話を逸らそうと思ったのだが、やはりバレてしまった。
「……やっぱり駄目か」
「当たり前です、逃がしませんよ。さあ答えてください」
「分かったよ。前回は綺麗系だったからな……。なら可愛い系で」
「分かりました、なら今回はそっち方向で選んでみます」
「ああ」
ようやく気まずい話が終わったので湊は安堵の溜息を吐く。
聞けて満足したのか愛梨は嬉しそうに顔を綻ばせている。湊の好みを聞いてそれに合わせるという事は、気に入られている証なのだろう。
もしくは多少なりとも異性として好意を持たれているのかもと考えてしまい、急いで思考に蓋をした。
時間も迫ってきたようでバタバタと愛梨が準備を終えて玄関に向かう。
「それじゃあ行ってきますね」
「行ってらっしゃい、ナンパには気をつけろよ」
「はいはい、分かってますから」
愛梨を送って居間に戻る。話し込んだせいで、一人になると妙に静かに感じる。
別に普段からあれこれと話している訳では無い。むしろ互いに無言で別々の事をやっている方が多いくらいだ。
それで気まずくなるような事は無いので、なんだかんだ気楽にやれている。ただ、今の部屋の静けさは妙な寂しさを感じてしまう。
(何か、部屋が広いな)
六畳半とはほぼ一人暮らしするための大きさだと思う。実際、愛梨が来た時は二人だと狭いと感じたくらいなのだから。
しかし、四ヵ月以上ここで一緒に生活を続けることで二人でいるのが当たり前になってしまった。
湊が家に居る時はほぼ愛梨もいるので尚更だ。
(結構一人の時間は好きなんだけどな)
湊は元々一人でも何も問題無く過ごせる。むしろ二人になって気遣いや距離感で大変だろうなと思っていた。
けれど、愛梨との生活は気遣って疲れるということも無く、一人になりたいなと思う事も無い。
互いに良いバランスで気遣いと自分の時間を過ごせているのだろう。
自分でも変わったなと思うが全く嫌ではない、楽しいとすら感じている。
(さて、ゆっくりゲームするか)
いつものようにRPGをする。一人用ゲームをしているのに、何故か傍に誰も居ないのに違和感を覚えた。
「おかえり」
「ただいまです」
夕方になって愛梨が帰ってきた。片手に袋を持っている。
「お疲れだな」
「大変でした。紫織さんいろんなところに連れて行くんですから」
愛梨がグッタリしているのは連れ回されたからのようだ。嫌な顔はしていないので文句の割にはしっかりと楽しんだのだろう。
その割には袋が一つだけというのは少なすぎる気がする。
「百瀬は二人で出かけることが出来て嬉しかったんだろ。その割には妙に荷物が少ないな」
「荷物といっても服くらいですから」
「しかもその感じだと一着か? もっといっぱい買っても良かったのに」
「別に一着ではありませんよ」
「そうなのか?」
「ええ。まあ確かに服というなら一着ですが、それ以外に――やっぱり秘密です」
「そこで切られると気になるんだが」
いきなり話を切られると、どうしても聞きたくなってしまう。
袋の大きさを考えると二着は無いと思うのだが。
「内緒です。楽しみにしておいてくださいね」
からかうような愛梨の笑顔に、また大変な事になるだろうなと湊は苦笑する。
一人でいる時に感じた寂しさはいつの間にか無くなっていた。