第4話 風呂の順番は女の子にとって大切
「風呂入れるぞ」
夜飯の片付けも終わり、湯船にお湯を張り終えたので愛梨に伝えた。
一人の時は面倒臭くなってシャワーで済ますことが殆どだったが、流石に女の子にそれを強要するのは駄目だろう。
湯船に浸かりたければ自分で湯を張れ、などと言いたくないし、そもそもそんなこと思ってもいない。
「分かりました」
「「……」」
なぜか互いに動かなくなった。
愛梨は分かりましたと言っていたので、もしかしたらこちらが先に入ると思っているのかもしれない。
別に湊はどちらが先に入っても良いと思っているが、彼女がどう思っているか分からない。
「先に入って良いぞ」
「いえ、お湯を張った九条先輩が先だと思います」
先に入って良いようなのだが、念のためしっかりと聞いておくべきだろう。
「俺が先で大丈夫か?」
「別に構いませんが。何を心配してるんですか?」
「男が浸かった湯なんて汚くて使えない、みたいな事言わないか?」
言われそうだなと思った事を伝えると、ジト目で睨まれて溜息をつかれた。そんな顔も出来るとは思わなかった。
美少女は睨んだ表情も様になっている、流石に本人に言ったら怒られそうなので心の中だけに止めておくが。
愛梨はその表情のまま言葉を発する。
「凄い偏見ですね。と言うか私がそんな事を言うと思ってるんですか?」
「いや、一応聞いておこうと思って」
駄目な人は駄目だろうから、聞いておいて損は無いはずだ。
後で言われて揉めるようなことになるくらいなら、今聞いておいた方がいい。
「ちなみに、もし私がそれを言ったらどうするんですか?」
「俺が入った湯を捨てて新しく湯を張りなおす。もしくはシャワーだけで済ます」
そうなると張りなおすのが面倒なのでシャワーだけになると思うが、結局いつも通りになるだけなので何も問題無い。
なのでそう言ったのだが、なぜか呆れたと言った風な視線を向けられた。
「水道代がもったいないです。シャワーだけとか体が温まらないじゃないですか」
「普段はシャワーだけだから大丈夫だぞ?」
「……なら何で今日はお湯を張ったんですか?」
「二ノ宮が入ると思って」
愛梨に伝えると真顔で固まった。そんなにおかしな事を言っただろうか。
女の子は湯船に浸かりたいと思ったのだが、違うのかもしれない。
「どうした?」
「……いえ、何でもありません。私は先でも後でも気にしません、今日は九条先輩がお湯を張ったんで先に入って下さい。ちゃんと湯船に浸かって温まって下さいよ」
硬直から解けた愛梨は苦笑しながらそう言うと再び溜息をついた。
ちゃんと温まりつつお湯は替えろという事だろうか。
「え、お湯入れ替えるんだよな?」
「しなくていいです、変な事も言いませんから。いいからとにかく先に入って下さい」
結局、可哀想なものを見るような目をした愛梨に居間を追い出された。
目線は気になったものの、ああ言ってくれたのだからと遠慮無く先に入った。
「上がった。次入って良いぞ」
「ありがとうございます」
寝間着に着替えて居間に戻る。
入れ替わりで彼女が風呂場に行った、と思ったら戻ってきた。
今日よく見た困った表情をしている。
(俺、何かやったか? きちんと片付けはしたはずだけど)
愛梨が困るようなことを風呂場でした覚えは無い。
湊が意識していない行動で彼女が不快に思った可能性はあるが、そこまで配慮するのは不可能だと思う。
「あの、九条先輩。風呂場が濡れているんですが、どこで着替えたらいいでしょうか?」
「玄関」
この家に脱衣所なんてものは無い、1Kを舐めないで欲しい。
玄関のすぐ右手側が風呂場なので、服を脱ぐならそこしかない。いつもそこで着替えているし、今日もそうだった。
「着替え、覗かないで下さいよ」
「誰が覗くか。そんな事しない」
ほんのりと赤い顔をしながら凄まれたのでキッパリと言い返した、そんな事をして怒られたくはない。
「絶対ですからね。それと服とかこっちにあるので、私が上がるまでこっち来ないでくださいね」
「トイレがそっちの通路にあるんだが、行きたい時どうすればいいい?」
「我慢してください」
刺々しい声が返って来たので横暴な、と思ったがよく考えてみたら服だけでなく下着もある。それは確かに湊が我慢するしかない。
すぐに衣擦れの音が聞こえてきた。
(普通に考えたらとんでもない状況だな)
隠す物の無い玄関で美少女が着替えているなどまずありえない。
もちろん彼女に言ったように覗くつもりなんて全く無いのだが、妙に意識してしまう。
何も考えないようにしていると衣擦れの音がしなくなり、今度はシャワーの音が聞こえてきた。
先程以上に落ち着かなくなってしまい、イヤホンで音楽を聞いて誤魔化す事にする。
この音に慣れるのには時間が掛かりそうだ。
愛梨が風呂に入っている音を意識したくなくて、玄関から見えない位置で音楽を聴いていたら細く真っ白い足が視界の端に入った。
ようやく終わったのかと一安心し、イヤホンを外して視線を上げると、微妙に呆れたような目をした彼女が見つめてくる。
「何で部屋にいるのにイヤホンつけてるんですか、普通に流せば良いじゃないですか」
風呂から上がった愛梨はピンクのもこもこしたパジャマを着ていた。
予想していたパジャマは大人しめのものだったのだが、この可愛らしいものも大変似合っている。流石美少女といったところか。
風呂上がりの彼女は顔が火照っていて妙に色っぽい。
「そういう気分なんだよ」
「なんですか、それ」
なんだか無性に恥ずかしくてぶっきらぼうに言い返すと、訳が分からないというように苦笑された。
その表情には触れずに、押し入れから取り出したドライヤーを渡す。
「はい、ドライヤーだ」
「ありがとうございます」
愛梨は先程からたっぷり時間をかけて長い髪を乾かし、手入れもきちんと行っている。
やはりあの綺麗な銀髪を維持するのには結構な労力がかかっているようだ。
手間暇かけていることに感心していると、気まずそうな表情を向けられた。
「じろじろ見ないで下さいよ」
「悪い、今度から気を付けるよ。でもやっぱり随分手間が掛かってるんだな」
興味深かったので思わず見てしまったが、デリカシーが無かったと反省した。
「ええまあ、結構な長さなので」
「拘りなのか?」
それだけ長くて綺麗な銀髪を手間暇かけて手入れをしているという事は、やはり自慢の髪なのだろう。
そう思って疑問をぶつけてみたのだが、愛梨の顔が見た事の無い笑顔になった。
「……そうですね」
これは完全に失敗したと思った。
向けられた笑顔は貼り付けたような笑顔だった、この表情を向けられるくらいなら無表情や睨まれる方がまだいい。
無神経に質問してしまったので素直に頭を下げる。
「本当にすまない。変な事を聞いて悪かった」
「……いえ、いいんですよ」
やんわりと許されたものの、空気が悪くなってしまった。
どうにかこの空気を変えようと思っていると、彼女も同じ考えなのか、全く違う話題を振ってきた。
表情は不満そうなものの、さきほどの笑顔よりずっといいと思う。
「ドライヤー、埃が焼ける焦げ臭い匂いがしましたよ。ちゃんと普段から使ってるんですか?」
「いや、使ってない」
「普段、というか今日どうやって髪を乾かしたんですか?」
「自然乾燥だな」
本日何回目かのジト目をされた。
男の髪などそんなものだろう。
湊は髪がそんなに長くないし、放っておけばすぐ乾く。彼女と違って最低限の手入れはしているが、髪に拘りは無い。
なので問題ないのだが、なぜか盛大に溜息を吐かれた。
「……もういいです。なら好きに使わせてもらいますよ」
「ぜひ使ってくれ」
折角買ったのに使ってなかったので、宝の持ち腐れだった。
ドライヤーも彼女に使われるなら本望だろう。
「濡れていないお風呂場を脱衣所にしたいので、先に入っていいですか?」
愛梨が髪を乾かし終えてから風呂の順番を相談された。
「ああ、いいぞ」
湊には拘りがないので先に入られても全く問題無い。
愛梨としても万が一にも着替えを覗かれるリスクを減らしたいのだろう。
「でしたらお風呂は次から私が用意しますね」
「風呂くらい俺が準備するぞ。ただでさえ夜飯作ってもらうんだし」
「私が先に入るんです、先に入る人が準備するべきだと思います」
どうやら愛梨はそういう考えらしい、ならばそれを否定する訳にもいかない。
「分かった、でも忙しかったら代わるからな」
「ありがとうございます」
「それと、やっぱり服は外に置くよな?」
「当たり前です、濡らしたくないので。なので私が入っている間は我慢して下さい」
「分かったよ」
相変わらずの刺々しい態度で言われた。まあ、こういうのは男の役目だろう。
「ゲームの音、うるさくないか?」
「大丈夫です」
愛梨に許可を取ってゲームを始めた。
今日は課題が無かったので心置きなくできる。
最近発売されたRPGをやっているが、先程から後ろでジーっと画面を見られている。
流石にそこまでされると気になってしまう。
「そんなに見てどうした?」
「いえ、ゲーム画面ってそういう感じなんですね。やったことありませんし、ほぼ見たことがないので興味深いです」
今日見た表情の中で一番目を輝かせながらそんなことを言われた。と言っても実際の表情はほんの少し変わっただけだが。
このご時世、ゲームをやった事が無い人なんてかなり珍しいと思う。
テレビを見ていたら広告等で流れそうな気がするし、そもそもスマホでも出来る。
「珍しいな、家には無かったのか?」
「そうですね、家ではその手の物はありませんでした」
「スマホでもこういうのはあるぞ?」
「スマホはその、そういうの禁止されていたので」
目を伏せながら答えられた。
「……何というか、すまん」
どうやら愛梨の家庭はかなり厳しかったようだ、また無遠慮に聞いてしまって申し訳なくなる。
ゲーム等のアプリがないスマホはもはやただの連絡を受け取る端末なだけな気がするのだが、湊があれこれ言えるものでもない。
流石に聞かれるのに慣れたのか、別にこの程度の質問は気にしてないのか、彼女の表情が苦笑いになる。
「別に九条先輩が謝ることではないでしょう。あの、このまま見ててもいいですか?」
「ああ、いいぞ。好きなだけ見ててくれ」
「ありがとうございます」
RPGを見るのは結構苦痛だという人が多いと思うのだが、どうやら見ていたいらしい。
愛梨が良いというなら好きにさせようとゲームに戻る。
余程興味深いのか、後ろでずっと画面を見ていた。