第34話 マッサージ3
いつものように布団にうつ伏せになる。
既に三回目なので寝そべる動きには慣れたものだが、愛梨の女性らしい甘い匂いには慣れる事は出来ず、湊の心臓が騒ぎ立てる。
「そういえば湊さん、前に私の匂いが良い匂いって言ってましたよね?」
愛梨の言葉に湊の心臓が跳ねた。この状況で匂いの話を持ち出さないで欲しい。
普段はほぼ近づく事もなければ触れる事もないので意識しないのだが、今は強烈に意識してしまう。
「そんな事言ったか?」
「ええ、言ってましたよ。普段湊さんは私に気を遣ってくれて、あまり近くに居ないようにしてくれています。なのに私の匂いを知ってる。……もしかして、布団から私の匂いがしますか?」
なんとか逃げようと惚けたが、愛梨が逃がしてくれなかった。
しかも湊が普段気を遣っている事、今まさに愛梨の匂いを感じている事を見抜かれてしまった。
恥ずかしくて死にたくなってしまう。自分の顔が熱を持っているのを自覚出来るのでおそらく真っ赤だろう。
「……本当にすまん。気持ち悪いよな、すぐ退くよ」
「待ってください、別に気にしてませんよ。布団に匂いが移るのは仕方のない事ですから」
「でも、いくらなんでもこれは――」
「湊さん、私は良い匂いですか?」
湊の言葉を遮って尋ねられた。顔は見えないものの、声色は嫌がっていないように思える。
こういう場合の愛梨が引かないのは既に分かっているのだが、言うのはあまりに抵抗がある。
深呼吸をして湊は覚悟を決める。余計に愛梨の匂いを感じてしまって、心臓の鼓動が更に速くなるが無視した。
「引かないか?」
「大丈夫です」
「凄く良い匂いだ、落ち着く」
「……」
「……無言になるほど嫌だったのか、すまん」
「湊さん待って、今は駄目です!」
恥を忍んで言ったのに無言になられたら流石に傷つく。
やはり言うべきでは無かったと体を持ち上げようとすると、切羽詰まった声をした愛梨に背中を抑えられた。
強い力ではないので強引に退かそうと思えば出来るものの、愛梨は相当焦っているようなので余計な事はしない方がいいだろう。大人しく彼女が落ち着くのを待つ。
「……すみません、取り乱しました」
しばらく抑えられていると、愛梨が湊の体からようやく手を離した。
謝罪の声は先程のように焦ったような感じではなく、いつも通りの平静な声に聞こえる。
「なあ愛梨、そんなに慌てるならマッサージ止めないか?」
「駄目です、やります。というか私は慌ててなんていません。さあ、いきますよ」
「……もう好きにしてくれ」
なんにせよ止めるべきではと思ったのだが、強引に開始された。
湊は無心を心掛けて愛梨に身を任せる。
彼女も三回目となると慣れたものである。手つきに淀みが無いし、力加減も最初から最適だ。
「凄く気持ちいい、上手くなったなぁ」
「ふふ、ありがとうございます」
「ホントにありがとな。最初はすぐに止めさせようと思ったんだけど、あまりに気持ち良すぎて駄目だったんだ」
「いいんですよ、湊さんさえよければ毎日しましょうか?」
「それは愛梨が大変だから駄目だ」
「……嫌とは言わないんですね」
「正直、たまらない」
「……そうですか」
赤くなった顔が見られる心配もないので本音を告げても問題は無いだろう。
愛梨の言葉そのものは素っ気ないものの、その声色からは嬉しさが滲み出ている。
「ねえ湊さん、やっぱり一緒に布団で寝ましょうよ。体に悪いです」
やはりずっと気になっていたのだろう、伺うように前回と同じ要求をしてくる。
「何度も言ってるが駄目だ。いくら仮に家族とはいえ異性と一緒に寝るのは無しだろう」
「前に言いましたよね、湊さんなら大丈夫って」
「男っていうのは危険なんだぞ、愛梨だって分かってるだろうが」
「はい、男性は私をジロジロ見てきますし、下心丸出しの顔で近寄ってきます。よく分かってますよ」
「なら尚更駄目だろうが。……もしかして、俺、男として見られてないのか?」
湊への信頼がここまで高いのは、もしかしたら男として見られてないのかもしれないと思った。
だが湊の言葉を聞いた愛梨はおかしそうにくすっと笑う。
「そんな訳ないじゃないですか、ちゃんと湊さんを男性として見てますよ。それに偶にチラチラ私の体を見ている視線も感じます」
男の視線を受けるのは嫌だろうと、湊は普段なるべく愛梨の体を見ないようにしていた。だが、ほんの少しの視線がバレていたらしい。
言い訳をするなら、湊の好みの銀髪碧眼の美少女がすぐ傍にいるのだ。どうしても見てしまうのはもはや本能だろう。
とはいえ愛梨には男の目線など嫌悪の対象でしかない。彼女を不快な気持ちにさせてしまっている事実に申し訳なさで胸が一杯になる。
「……すまん、気を付ける」
「いえ、こちらを気遣ってくれているのは分かりますから、多少は大丈夫ですよ。あんまりジロジロ見られるのは恥ずかしいですけど」
湊に見られても不快ではなく恥ずかしいとはどういう事なのだろうかと疑問を覚えるが、愛梨を見てしまっている湊の方から混ぜ返すのは止めておこうと思った。
愛梨の信頼を乗せた声が湊の耳に届く。
「ですので、私を気遣ってくれる湊さんなら大丈夫だと思ったんですよ」
「でもなあ……」
「それとも、私に手を出しちゃいますか?」
「無いな。それだけは有り得ん」
湊をからかうような声色で愛梨が言うが、その行動だけはしないと誓っている。
庇護対象である彼女を傷つける訳にはいかない、手を出すなど万が一にも有り得ない。
なので即座に否定したのだが、なぜか湊の肩を揉む愛梨の力が強くなった。明らかにマッサージの力加減ではない。
「いたた! え、何!?」
「……なんでしょうね。嬉しいんですけど、こうしなければ私の気持ちが収まらなかったんです」
「何でだよ……」
「乙女心は複雑なんですよ」
「俺には良く分からん」
謎の乙女心で攻撃されるとは思っていなかった。多分湊には一生理解できない感情だろう。
溜息を吐いた愛梨が強引に話を戻す。
「というわけで湊さんは私に手を出さない、私は湊さんと寝ても大丈夫、布団で寝れば二人共しっかり休める。さあ、何か反論はありますか?」
「……無い」
「でしたら今日から布団で寝てくださいね」
「はぁ、分かったよ。どうなっても知らないからな」
「大丈夫です、湊さんを信用してますから。はい、マッサージは終わりです。今日は寝ませんでしたね」
「寝れるような話題じゃ無かっただろうが」
愛梨が湊の体をポンと軽く叩いてから手を離す。
久しぶりに見た愛梨の顔は、これから男と同じ布団で寝るとは思えないほど頬を緩めていて上機嫌だ。
ようやく気がかりが無くなって安堵しているのだろう。湊の内心を知らない微笑をほんの少しだけ睨む。
「本当にいいんだな?」
「何度も言ったじゃないですか、私は大丈夫ですよ」
「……物好きなやつだな」
「湊さんに言われたくありませんね」
互いに気遣っている癖に悪態をつくのがおかしくて、二人共笑ってしまった。
愛梨は笑顔を悪戯っぽい表情に変えて尋ねてくる。
「ところで。湊さんが布団で寝る以上これからマッサージは必要無くなると思うんですが、どうします?」
「……偶にしてくれると嬉しい」
「ふふ、分かりました。じゃあ気が向いたらしますね」
「……頼む」
改めてお願いするのは恥ずかしかったので、ぶっきらぼうに言うとふんわりと微笑まれた。
愛梨のマッサージが気持ち良すぎて、もう湊の意思では誘惑を振り切れないだろう。
とっくの昔に湊は沼に嵌っているのかもしれない。
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