第33話 愛梨の喜ぶご褒美とは
「やっぱり愛梨は凄いなあ、また学年一位だよ。わたしに勉強教えてたのにね」
「紫織にほぼ付きっきりだったからな、次は俺達もちゃんとしような」
「分かってるよぅ」
夏の期末考査が終わり、順位が発表された。
愛梨は相変わらずの一位を取っており、百瀬が感心したように順位表を見上げている。
隣で一真が百瀬に苦笑いして注意したが、百瀬はへらりと笑っているのであまり意味は無さそうだ。
一真達の順位は平均より上になったらしい、やはり勉強会をするのとしないのは違うのだろう。
ちなみに湊の順位は六位だ。前回よりは下がったが、特に気にするものでもないので順位に興味は無い。
「ねえ湊君、愛梨に何かご褒美あげたら?」
「ああ、分かってる。一応俺だって考えてるんだが、良い物が思いつかなくてな……。二ノ宮は物欲が無いし、わがままも言わないから正直なところ迷走中だ」
あれから名前で呼び合うようになったものの、当然外では苗字呼びにしている。
いくら一真達が事情を知っているとしても二人の前では呼ばない。というか呼んだら間違いなく冷やかされるので出来れば言いたくない。
ご褒美に関しては本当に湊の頭を悩ませている。大きい物は部屋に置けないし、高い物を送られたところで困るだろう。
そもそも前回のプレゼントは最終的に喜ばれたものの、曇った顔をされたので物品は止めた方が良いのではとすら思っている。
原因であるアイリスの花は止めるべきというのは分かっているが、それ以外を選んだ結果、次のプレゼントが愛梨の地雷に触れないという確信は無い。
ならば物品ではなく食べ物にしようかとも思ったのだが、悲しいことに湊は愛梨の好物を知らない。
いつも湊に夜飯で食べたい物を聞いてくるのだが、偶に愛梨の食べたい物でいいと言っても特に無いとしか言われないのだ。
湊が渋い顔をしていると、百瀬も眉を寄せて頭を悩ませた。
「うーん、前の中間考査の時は何を渡したの?」
「物品じゃなくて食べ物だな」
「何?」
「……肉、しかも二ノ宮に料理してもらった」
「湊、お前……、それはご褒美とは言わないだろうが」
「湊君、それは無いと思う」
「だよなあ……」
湊としても非常に言いにくい事だったが、言わなければ話は進まない。
二人に引いたような冷たい目線をされたが、全面的に湊が悪いので甘んじて受ける。
プレゼントというものは送る人が真剣に悩んでこそだとは思うものの、正直なところ湊一人ではもう良いアイデアが思いつかない。
恥を承知で二人に頭を下げる。
「二人共、何か良い知恵無いか?」
「そうだな、無難にぬいぐるみとかは?」
「お前、俺の家に置けるスペースがあると思うか?」
「……無理だな」
「だろ。それに前に聞いたらあまりそういうのは好きじゃないって言われた」
一真も湊の部屋の狭さを思い出したのか渋い顔をしている。
置くスペース無し、事前に聞いたうえで本人が欲しがらないとなればぬいぐるみは無しだろう。
「なら服とかアクセサリーって思ったけど、そもそも愛梨は外に出ないからあまり欲しがりそうに無いなぁ」
「しかも高い物をもらっても管理に困るって言われてる」
「あちゃー、ならこの線も無しだね」
服自体前から要らないと言っていたのだ、無理に服選びに連れて行っても喜んではくれないだろう。
アクセサリーに関しては地雷を踏んだことについて百瀬達に詳しい説明をしなかったが、除外してくれたのは有難い。
ややこしい事にならずに済んだと湊がひっそりと溜息を吐くと、百瀬が苦笑気味にこちらを見てくる。
「となるとやっぱり食べ物だね。湊君、愛梨の好物は?」
「……分からん」
「え、もう三か月経つんだよ、何か一つくらい把握してない?」
「二ノ宮はいつも俺に合わせて飯を作ってくれてるからな、一応栄養バランスも考えてくれてるけど。でもお菓子とかの甘い物も欲しがらないし、正直分からん」
「……ここまでくると、湊君って愛梨がいないと駄目にされてない?」
「一応俺なりに気を遣ってるんだぞ。朝食は俺が作ってるし、偶に夜飯も作ってる。でもなぁ、聞いても本当に何も欲しがらないんだよ」
駄目にされていないかとほんのり睨まれて湊は内心で慌てたものの、表情には出さずに自分なりに頑張っていることを伝えた。
とはいえ愛梨に駄目にされている感は否めない。ほぼ全ての家事をやってもらっているし、夜飯は絶品、同じ部屋に居ても気疲れしないとなればもう手遅れかもしれないと思ったが、百瀬達に正直に言う訳にはいかないので湊は口を噤む。
本当に分からないと首を振ると、再び百瀬が悩みだした。
「甘い物は欲しがらないって言ってたけど、実際に渡したことある?」
「いや、聞くだけに止めてたな。嫌いではないと思う」
「よし、ならその線でいこう。湊君今日バイト休みだよね?」
「ああ」
「ならわたしおすすめの店を紹介しよう!」
「すまん、本当に助かる」
やはり相談できる人がいるというのは有難い。
百瀬に手を合わせて頭を下げると、百瀬にしては珍しく、少し寂しそうな笑顔をした。
「ねえ湊君。愛梨の事、大切?」
「当たり前だろうが」
愛梨は大切にしなければならない人だ。百瀬の表情の理由は分からないものの、そう答える事に躊躇いは無い。
迷いなく答えると百瀬がいつもの元気な笑顔ではなく儚げな、でも本当に嬉しそうに笑った。
「そっか、なら良かった」
「おかえりなさい、湊さん」
鈴を転がすような声と微笑で愛梨に迎えられた。
名前で呼ばれ始めて数日経つが、未だに胸が少し甘く疼いてしまう。
「ただいま」
「今日はバイト休みでしたよね、寄り道ですか?」
「ああ、ちょっとな」
「別に間食は構いませんが、ちゃんと夜ご飯は食べて下さいよ?」
「分かってる」
いつもより遅くなったので、愛梨はどうやら湊が寄り道して何か食べてきたと勘違いしたようだ。ほんの少しだけ眉を寄せて不満そうにしている。
寄り道で間食をしてきた訳では無いが、否定すると帰るのが遅くなった理由まで話さなければいけなくなる。
できれば話を逸らせないかと思いつつも、素直に拗ねている感情を向けられることが嬉しくてつい湊は笑ってしまう。
「もう、なに笑ってるんですか。……ってそれ、どうしたんですか?」
笑ってしまった湊に愛梨は不満気な表情のまま文句を言おうとしたが、湊の持っている白い箱が目に付いたようだ。
「秘密だ。冷蔵庫、まだスペースあるか?」
「はい、ありますけど……」
今教えるのは勿体無いので内緒にすると、愛梨は可愛らしく小首を傾げた。
答える気は無いのでいつも通り風呂に入ろうとした湊を、愛梨は訝しげに見つつも追及しなかった。
「愛梨、期末考査一位おめでとう」
夜飯後、愛梨へのご褒美として買ってきた白い箱の中身を渡した。中身はシンプルに苺のショートケーキとチョコレートケーキだ。
愛梨がどういうものが好きか分からなかったので、とりあえず二つ買えば間違いは無いだろうと湊は判断した。
いきなり渡された愛梨は目をぱちぱちと瞬かせている。
「えっと、これ、どうしたんですか?」
「愛梨がどういうものが好きが分からなかったから、普通の物にしたんだ。甘い物は大丈夫か?」
「は、はい、大丈夫です。いえ、そうではなくて。私にですか?」
「ああ、愛梨へのご褒美だ。前回の中間考査の時はセンスの欠片も無い肉料理だったからな、今回は俺なりに頑張ったよ。といっても一真と百瀬に相談したんだがな」
百瀬に教えられたのはこの周辺でかなり人気のある菓子店だった。
さっそく放課後に行ったのだが、人が多く買うのに時間が掛かってしまった。
あと女性客とカップルが多すぎて凄まじく気まずい思いをしたのだが、別に愛梨に恩着せがましく言うつもりは無い。
一人ではどうしようもなかったと苦笑混じりで湊が言うと、愛梨は中間考査の時を思い出したのか、口に手を当てて上品に笑う。
「確かに、前は酷かったですよね。女の子へのご褒美に肉料理って」
「……言うなよ。俺もあれは無いと思ったし、一真達にも相当馬鹿にされたんだからな」
「ふふっ、そうですよね。ふふふ」
湊が恥ずかしくてそっぽを向くと、何が面白いのか愛梨はしばらく笑い続けた。
あんまりにも楽しそうに、見惚れるような笑顔で笑い続けるので、湊もつられて苦笑気味だが笑ってしまった。
「それじゃあ一緒に食べましょう」
ようやく笑いが収まった愛梨は当然のように湊に言う。
「二つとも愛梨の為に買ったんだから、どっちも食べていいんだぞ?」
「私、今二つも食べれませんから」
「なら明日食べてくれ。冷蔵庫に入れてたら二日くらい大丈夫だろ、遠慮するな」
今食べれないというなら明日食べてくれればいい、別に湊に気を遣う必要など無い。
愛梨は殆ど自分の主張をしないので、今回くらいはわがままになっても良いと思う。
湊の言葉を聞いた愛梨は目を細めてほんのりとこちらを睨んできた。
「……私へのご褒美なんですよね?」
「まあ、そうだが」
「なら私がケーキをどう扱おうと私の自由です。湊さんに一つ食べてもらいます」
「いいのか?」
「はい。一人で食べるのは寂しいですから」
「分かった、なら一つもらうよ」
柔らかく微笑まれて一緒に食べて欲しいと言われたら流石に断れない。
愛梨がどちらかを選ぶのを待っていたが、彼女は全く手を付けずに湊をじっと見つめている。
「どうした? 食べないのか?」
「いいえ、食べますよ。湊さんはどっちが食べたいですか?」
「なんで俺を優先するんだ。愛梨へのご褒美なんだから愛梨が先に選んでくれ」
「……ならお言葉に甘えて」
こういう時まで湊を優先してしまう愛梨に呆れ気味に注意すると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
愛梨が喜ぶところなど無かったと思うのだが、湊にはいまいち良く分からない。
そうして二人でケーキを食べた。
「ごちそうさまでした。湊さん、本当にありがとうございます、美味しかったです」
「お粗末様だ。そう言ってくれたならご褒美の甲斐がある」
愛梨のご満悦の表情を見れるのなら、湊の買いに行く苦労など安いものだ。
湊がホッと安堵の溜息をついていると愛梨が妙にニコニコとした笑顔をした。
「では次は湊さんへのご褒美ですね」
「……何だって?」
湊はご褒美をもらえる事など何もしていない。なぜ急にそんなことを言い出したのだろうか。
訝しげに愛梨を見つめても、彼女は笑顔を崩さない。ほんの少しだけ嫌な予感がする。
「ですから、ご褒美ですよ。学年六位と私にケーキをくれたご褒美です」
「六位なんて一位に比べたら何も良い事じゃない。それに愛梨へのご褒美のはずなのに俺へそれが返ってきたらおかしいだろうが」
前回が四位で今回が六位と下がっているのだ、ご褒美も何もないだろう。
それに愛梨へのご褒美が湊に返ってきてしまったら堂々巡りだ。
湊が正論を言うと愛梨の表情がニコニコからニヤニヤとしたものに変わった。猛烈に嫌な予感が膨らむ。
「でしたら勉強会で紫織さんの勉強を私が見た件についての、私のお願いを聞いてもらいましょうか」
「今か?」
「はい、聞いてくれるって言ってましたよね?」
「いや、それは――」
「言 っ て ま し た よ ね ?」
「……ハイ」
確かに言ったが、あれは誤魔化されて半ば強引に約束された気がする。
反論しようとしたが、愛梨の妙な凄みのある笑顔と言葉に何も言えなくなってしまった。
「では、湊さんには今からマッサージを受けてもらいます」
――やはり、愛梨のニヤニヤとした意地悪な笑顔は湊の心臓に悪い。
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