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第20話 愛梨のお願い

(流石に疲れたな)


 体育祭後のバイトがようやく終わり、店を出る。

 大した運動をしていないとはいえ、バイトを含めてここまで体を酷使したのは久しぶりだ。

 今日の晩飯は肉料理にしてもらったので、楽しみにしつつ家に帰った。


「ただいま」


 家に帰って既に居るはずの愛梨に挨拶をするが、電気が点いているにもかかわらず返事が無かった。

 少し前の、彼女がゲームを始めたばかりのころ以来だ。

 あれからゲームに夢中になって湊が帰って来た事に気付かない、という事は無かったので何かあったのかもしれない。

 居間に行くと愛梨が寝ていた。おそらく彼女も体育祭で疲れたのだろう、湊とは違って出た種目も多かったので余計に疲労が溜まっていたようだ。


(やっぱり綺麗だな)


 いつも朝に起こしているとはいえ綺麗な寝顔だ、見つめていても全く飽きが来ないし、慣れもしない。

 無造作に床に広がる美しい銀髪がとても神秘的だ。

 つい魔が差してしまい、愛梨の頭に触れる。

 触ったのは二回目だったはずだ。一回目は一杯一杯になってしまった愛梨を落ち着かせるのに触れただけだったが、今回は特にそういう事は無い。

 強いていうなら普段から頑張っている愛梨を(ねぎら)うためだ。

 学校で周囲に気を使い続け、大勢の人に注目されながら生活し、家ではいつも家事をやってもらっている。


(本当に、いつもありがとな)


 湊が撫でる事が愛梨にとって癒しになるのかと言われれば疑問があるものの、あまりの触り心地に止めることが出来ない。

 普段から気を使って手入れしているのは分かっているが、ここまでとは思わなかった。

 全く指に引っかかることなく、するすると指の間を流れる髪はいつまでも触り続けられる。

 そのまましばらく撫で続けていると、愛梨の目が開いた。驚いて湊の手が止まってしまう。


(……あれ?)


 いつもの彼女ならそのまま意識が覚醒するまでボーっとしているが、今回はすぐに目を閉じてしまった。

 寝ぼけていて湊が撫でていたことがバレていないのだろうか。

 今がチャンスと思い、そっと頭から手を放すと、すぐに目が開いた。

 愛梨はそのまま湊をジーっと見てくる。寝起きの目には何の感情も浮かんでいないはずだが、何か催促(さいそく)されている気がした。


(まさか、また撫でろと?)


 とりあえずもう一度だけ撫でて、気のせいだったら手を放せばいいだろうと思って、再び頭を撫でるとまた目を閉じた。

 どことなく気持ちよさそうな表情をしている。どうやら間違っていなかったようだ。

 愛梨に甘えてもらえることが嬉しくて撫で続けていると、次第に頬が赤くなってきた。どうやら意識が覚醒したらしい。


「二ノ宮、起きたか?」

「……」


 明らかに寝ている時より頬が赤くなっているにも関わらず無反応だ、体もさっきよりそわそわしている。

 湊には起きたのが分かるのだが、まだ狸寝入りを決め込むつもりらしい。

 ちょうどいいので、今のうちに手を離しておく。


「あっ……」


 頭から手を離そうとすると感覚で分かるのか、寝たフリをしている愛梨が残念そうに小さく声をあげた。

 今ので完全にバレてしまっているのだが、まだ寝たフリを続けるようで目を開けない。

 そうまでして頭を撫でられたい、という態度がとても可愛らしい。撫で続けながら、普段のお礼を独り言のフリをして言う。

 熱くなっている湊の顔も見られないので、多少気恥ずかしくても大丈夫だと自分を納得させた。


「いつも本当にありがとな。学校では気を遣い続けて疲れてるのに、家では(ほとん)どの家事をやってもらってる。こんな形でしか感謝を伝えられないけど、本当に助かってるよ」

「……そんなこと、ありません。私の方こそありがとうございます」

「おい」


 小さい声で愛梨が返事をしたので思わず反応してしまった。

 何とも言えない雰囲気になってしまったので、頭を撫でる手を止める。

 これで起きるだろうと思ったのだが、うっすらと目を開けて睨まれ、また目を閉じた。どうやらまだ撫で続けて欲しいらしい。

 とりあえず頭を撫でるのを再開した。


「二ノ宮に感謝される事なんて何もしてない」

「九条先輩がそう思っていても、私は感謝しているんです。暖かい家がある、私を心から気遣ってくれる人がいる、それだけで嬉しいんです」

「当然のことをしてるだけだ」

「先輩にとってはそうかもしれませんが、私は違うんですよ。それに放課後の件、本当にありがとうございます」


 愛梨の話を聞いたことだろうか。それこそ湊は何もしていないし、何も解決などできていない。


「俺は俺の意見を言っただけだ、それで何が変わる訳でも無いだろ」

「それでも、ですよ。あの時は少し楽になったと言いましたが、本当は凄く救われたんです。我が儘になれ、なんて初めて言われましたよ」

「お前は優しすぎるんだ」


 愛梨はあの時の事を思い出したのか、目を閉じながら少しだけ笑う。


「そんな事ありません。じろじろ見る男子は嫌いですし、私の外見に目をつけて、地位を上げるために近づいて来る女子も嫌いです」

「そんなの当たり前だろうが」

「でも、九条先輩の事は受け入れてるんですからね。信頼してるんですよ」

「……そっか、ありがとな」


 湊が言った『私は私が認めた人しか受け入れない』という心構えのことだろう。

 ここまで愛梨に認められている事に嬉しくなる。


「私、独りじゃないんですよね」

「そうだ」

「先輩が見ていてくれるんですよね」

「ああ」

「……嬉しい」


 その声は心の底から嬉しそうで、湊が聞いた中で一番綺麗な声だった。

 胸の鼓動が速くなる。赤くなっている顔を見られなくて本当に良かった。


「ねえ先輩、もう少し、頭を撫でてもらっていいですか?」

「ああ、こんなのでよければいくらでもだ」

「ふふ、ありがとうございます」


 湊には何の力も無いけれど、こんなにも頑張っているこの子を大切にしなければと思った。

 愛梨の言い分だと湊の家では安らげているようだが、前の家では違うようだし、今も学校生活では疲れる毎日だろう。せめて湊くらいは彼女を癒してもいいはずだ。

 とは言っても愛梨に家事をやってもらっているので、情けない事に湊に出来る事は彼女のお願いを聞く事くらいしか出来ない。

 なら今は愛梨の願い通りに頭を撫で続けよう。


 そのまましばらく無言で頭を撫でていると愛梨のお腹が鳴る。もういい時間なので腹が減ったのだろう。

 愛梨がもぞもぞしだしたので、起き上がると思って頭から手を離す。

 目を開けた彼女はほんの少しだけ名残惜しそうな眼をしたが、湊が頭を撫でた件に触れることは無かった。


「お腹空きましたね、ご飯にしましょうか……ってそういえば、寝てしまってて夜ご飯もお風呂も準備してません。すみません先輩、すぐ準備しますから!」

「落ち着け。とりあえず前と同じでお前が夜飯、俺が風呂の準備だ、いいか?」

「……はい」


 また慌てだした愛梨の頭を撫でて大人しくさせて、互いに家事に取り掛かった。

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