第2話 人形のような女の子
「そうですか。ではこれで失礼します」
そう言って席を立つ、この場に少しでも居たくなかった。
すると浩二さんから愛梨に向けて忌々しそうな声が掛かる。
「そうか。おい、さっさと湊君と一緒に行くんだ」
「はい」
その声に愛梨が返事をして席を立った。
今日からなど一言も聞いていないのだが、当然のように引き取る事が決定している。
「待って下さい、今日からですか?」
「ああ、君も許可したじゃないか」
「何を当たり前のことを言っているんだ」とでも言いたそうに答えられた。
悪びれもせずに言い切られたことで正直頭にきていたのだが、必死に抑えて愛梨の準備を待つ。
彼女は湊が気になっていた大きめのキャリーバッグを引き寄せた。どうやらバッグと学生鞄が全ての荷物らしい。
「……そうですね。それでは」
「……失礼します」
準備できたのを確認してから、浩二さんと義母に二人で声を掛けて店の外に出る。
ファミレスに入っておいて何も注文しないのは客としてどうかと思ったが、気にしない事にした。
そもそもこの四人で仲良く食事するのは無理だと思うのでこれが正解だろう。
外に出て気持ちを落ち着かせる。
「すまない、急にこんな事になったが大丈夫か?」
「問題ありません」
その表情と声は会った時からなんら変わらず無表情のままだ。
とりあえずここで立ち話するよりも、家に帰った方がいいだろう。
「俺の家に案内するよ」
「よろしくお願いします」
人間味の無い表情で答えられたが、気にせず彼女の前を歩きだした。
それから歩いて二十分。特に会話の無いまま自宅に着き、鍵を開けて中に入る。
六畳半の1K。玄関の扉を開けて居間まで短い通路があり、風呂場、キッチン、トイレに洗濯機と、必要な物が揃っている。
居間のカーペットの上には生活に必要な家具と、趣味のゲーム機、本棚等を置いていてこれ以上の家具を追加する余裕は無い。
とりあえずクッションに座らせて向かい合う。
春先なので今日は割と暖かいはずだが、部屋の空気はかなり冷たい。
「改めて。九条湊だ、よろしく」
「二ノ宮愛梨です、よろしくお願いします」
その顔は少しの変化も無く、能面のような表情のままだ。
再び愛梨の顔をしっかり確認しながら尋ねる。
もしここで断られた場合どうするかなど考えついてはいないが、だからと言って聞かないという選択肢は無い。
「もう決定した事だけどもう一度聞くよ、本当に良いんだな? さっき初めて会った男と一緒に住むなんて」
「構いません」
返事は先程と変わらないし、表情もまた同じだ。
既に決まった事なので異論は無いのか、そもそも浩二さんに強制されたか、あるいは――もう全てがどうでもよくなって自暴自棄になっているのか。
その無表情からは何の感情も読み取ることが出来ない。であれば、これ以上蒸し返すことはしない。
「分かった、ならとりあえずこれを渡しておくよ」
気持ちを切り替えて意識的に明るい声を出し、テーブルの上にある小物入れから鍵を取り出して渡す。
愛梨の手の平に乗せると、彼女は初めて無表情から困り顔になった。
「えっと、あの」
「その鍵はスペアキーだから失くすなよ? 俺も気を付けるけど、二人同時に失くしたら面倒くさい事になるからな」
「そういう事ではなくて。あの、いいんですか。何だか凄くあっさりしてますが」
「二ノ宮が構わないと言ったからな、もう気にしない」
「……何も聞かないんですね」
「人には聞かれたくない事の一つや二つなんてあって当然だ。話したいというのなら聞くけど、無理に聞くつもりは無い」
申し訳無さそうな声で言われたが、気にはなるものの尋ねるつもりは無いのでハッキリと言い返した。
特に愛梨の場合は事情がややこしそうだ。無理に聞き出してこれから同居する人とギスギスしたくはない。
彼女の方から話してくれるのを待つことにする。
「ありがとうございます」
急に深々と頭を下げられた。改まって感謝されることではないだろう。
聞かれたくない事には踏み込まない、結構当たり前の事だと思っている。
「そこまで感謝されるような事か?」
疑問に思ったので尋ねてみると、愛梨の表情が苦笑に変わった。
「こんな無茶苦茶な話を受け入れてくれた事に感謝してるんですよ。再婚する際に娘が邪魔なので引き取って欲しいなんて、普通は許可しません」
「その事か。この件に関しては君が納得してるなら問題無いと判断しただけだ。そもそも大変なのは俺じゃなくて二ノ宮だろう」
苦笑のまま感謝されたので苦々しく笑いながら応えると、互いになんとも言えない表情になった。
ようやく部屋の空気が暖かくなった気がする。
「……本当にありがとうございます」
そう言った愛梨の表情は初めて見る笑顔だ。とはいってもほんの少しの微笑だが。
彼女はそのままの表情で尋ねてくる。
「ところで。親どうしが結婚するので一応家族になるんですが、何と呼んだらいいでしょうか?」
「呼び方か、別に何でもいい」
呼ばれ方に拘りは無いので素っ気なく答えた。
よほど変なもので無ければ大丈夫だ。
そういうつもりで何でもいいと言ったのだが――
「では義兄さんで」
ほんの少し楽しそうな声でそう言われた。心なしか笑みが深くなっている気がする。
耳を疑うような言葉だ、そう呼ばれるとは思っていなかった。実際はそうなのだろうが、流石に愛梨を義妹とは見れそうに無い。
「いや、それは勘弁してくれ」
複雑な心境で答えたが、彼女の表情はすでにいつもの無表情に戻っている。
見事にからかわれた気がするのは気のせいだろうか。
「では九条先輩、もしくは単に先輩でいいですか?」
「頼む。それで、俺は何と呼んだらいい?」
「別に何でもいいですよ」
「そうか、なら……」
相変わらずの不愛想な表情のままなので、先程からかわれたお返しをしようと思った。
仕返しをするという邪な気持ちなど出さないように笑顔を意識する。
「愛梨」
「……」
名前で呼ぶと、愛梨は居心地悪そうに目線をあちこちさまよわせた。微妙に顔も赤い。
思いきり拒否されるだろうと思って言ったのに、その顔は反則だと思う。
そんな表情を見せられると、なんだかこちらまで恥ずかしくなってしまう。
「すまん、二ノ宮でいいか?」
こちらの方が我慢出来ずに苗字呼びをすると、愛梨は一度顔を俯け、また顔を上げてこちらを見た。
先程の言葉は聞かなかった事にするつもりのようだ。
「……はい。では改めて。これからよろしくお願いします、九条先輩」
そう言って微笑んだ顔はとても美しく、人形には見えなかった。