第19話 魅力的な見た目であるからこそ
(みんな盛り上がるなあ)
学校の空気が体育祭に向けて変わっていく中、他人事のようにクラスの盛り上がりを見る。
クラス委員である一真には悪いが、特に手伝うことなく種目決めも終わった。
そもそも体育祭というのは運動が出来る人間が盛り上がるものだと思っている。運動音痴ではないが、かといって得意な訳でもない湊に出る幕は無い。
湊が出る種目も全員参加の徒競走と運動したくない人が集まる玉入れだけだ。リレー等は当然ながらお呼びがかからなかった。
今年の体育祭も特に何事も無く終わるだろう。
「はぁ……」
「二ノ宮がそうやって溜息を吐くのは珍しいな。お疲れか?」
体育祭前日、居間でいつものようにのんびりしていると溜息が聞こえた。
普段はこんなあからさまに態度に出すような事は無いので、何かあったのかもしれない。
「いえ、そうではなくて。体育祭が憂鬱なだけですよ」
「何でだ? 二ノ宮は運動出来る方なんだから別に体育祭なんて問題無いだろ?」
「体育祭はそうですね。それより私は視線が嫌なんですよ」
心底嫌そうに愛梨が眉を寄せている。
人の目線に慣れているはずの彼女が、ここまで視線に文句を言うのは今まで無かった。
「視線なんて慣れてるだろ?」
「慣れてるからと言って不快感を感じないわけではありませんよ」
「まあ、確かにそうだな」
「考えてもみてください。普段からじろじろ見られるのに、明日は更にその視線が増えるんですよ。私は見世物じゃないんですけどね」
「……人目を引くのも考えものだな」
「全くです」
美少女はこういう時に大変だなと思いながら、愛梨と二人して苦笑いした。
そして体育祭当日、クラスのテントでボーっとしていると、急に会場が盛り上がる。
どうやら愛梨がリレーに出場するらしい。家に居る時に体育祭で出場する種目について聞かなかったので、全く知らなかった。
目を向けると大勢の人が愛梨を見ている。その視線の中には告白して振られた人もいるだろう。
諦めきれないのか、ただの観賞用として見られているのか。男子だけでなく女子の視線も多い、目を引く彼女への羨望か、もしくは嫉妬だろうか。
(大勢に見られ続けるのは本当に苦労しそうだな……)
昨日の愛梨のうんざりした顔を思い出す。とはいえ湊に出来る事は何もないので、美しいフォームで走る彼女をぼんやりと見ていた。
体育祭も無事終わり、下校となった。
クラスメイト達と体育祭の感想について相槌を打ちながら多少話して解散し、今は一人だ。
一真は百瀬と遊んで帰るようなので、バイトのある湊は遠慮させてもらった。
三人で帰るとあの二人はすぐにいちゃつくので、今日くらいはゆっくり一人で帰りたい。
体育祭とクラスメイトとの会話で少し疲れたので、人気の無いところで休憩しようと敷地内の隅にある自販機で飲み物を買う。
ふと何か白い物が視界の端に入った。目を向けると、見慣れた銀髪が男子生徒と一緒に更に人気の無い場所に行くのが見える。
おそらく今からあの男子生徒が告白するのだろう、体育祭終わりにすら告白される愛梨の人気は凄いものだと思いながら、彼女の好きなお茶を買った。
「――」
告白を盗み聞きする趣味はないので二人が向かった方に時間をずらして行くと、ちょうど終わったようだ。
こちらに向かってくる男子生徒と鉢合わせは気まずいので、隠れてやり過ごす。
「……流石氷の人形、怖すぎだろ」
男子生徒が湊の近くを通り過ぎる際、小さく放った言葉に言い返そうかと思ったが、ここで湊が何を言っても駄目だろう。
気持ちを落ち着かせ、他に誰も居ないのを確認して愛梨の方へ行く。
彼女は無表情だったが、今にも消えてしまいそうな雰囲気をしている。もしかしたら何か嫌味でも言われたのかもしれない。
足音が聞こえたのか、湊の姿を確認した愛梨は睨んできた。
「学校では他人のフリをするって言ってたでしょう?」
「一応誰かいないか確認した。こんな学校の端の端なんて誰も来ないだろ」
誰も居ない場所なので多少は話してくれるらしい。
ちゃんと確認していると愛梨に説明してお茶を渡す。告白を受けて結構疲れているはずなので、少しでも気休めになればいい。
「ありがとうございます、ちゃんとお金は返しますので」
「気にすんな、普段のお礼だ」
「……分かりました、お言葉に甘えさせてもらいます」
声に覇気が無い。普段の愛梨ならもう少し食い下がるのだが、どうやらその気力も無いらしい。
それっきり会話が途切れる。
特に会話を続けたいとは思わなかったし、愛梨も一人になりたいだろう。踵を返して彼女に背を向ける。
「それじゃあな」
「……待って下さい」
「どうした?」
さっさと退散しようとしたが止められた。
まさか愛梨に引き留められるとは思わなかった。
「今、時間ありますか?」
「大丈夫だぞ」
「……話を、聞いてくれますか?」
「何でも聞く、ゆっくりでいいからな」
今日はバイトがあるものの、時間に問題は無い。
仮に時間が無くても、今の儚い雰囲気の愛梨を放っておくことなんて出来ない。
とりあえず彼女を校舎の壁に寄りかからせ、多少距離を取って湊が隣に行く。
重要な話がありそうなので、ゆっくり話せる方がいいだろう。
隣の愛梨が話そうと大きく息を吸っては、何も言えずに吐き出すという事を何度も繰り返している。
焦らなくてもしっかり聞くので、愛梨のペースで話しかけてくれればいいと思い、湊は暫く無言だった。
「……私はハーフで、この髪と目の色は母親譲りらしいです。顔立ちはほぼ日本人ですけどね」
「外国人の血が混じっているとは思ったがハーフか、という事は母親側だな」
浩二さんは明らかに日本人の見た目なので、納得のいく話だ。
『らしい』という気になる言い方だったが、今追及するべきではない。
「そうですね。そして昔からこの髪と目は目立ってしまい、いろいろと言われてきました。どちらかと言うと悪い目立ち方でしたが。羨望、嫉妬、酷い時は逆恨み、さまざまな悪感情を向けられましたよ」
当然ながら愛梨は褒められるだけでは無かったのだろう。
横にいるので顔は見えないが、その声は疲れ果てているように聞こえる。
「感情だけではありません。男子からは下心丸出しの目線を、女子からは取り入る気が見え見えの目線を、たくさん受けました。最初はそれでも仲良くしようと頑張ったんですよ、せめて外にいる間は明るく振る舞おうって」
『外にいる間は』という部分に引っかかりを覚えたが、先程と同じように追及はせず、無言で続きを促す。
「……結果は駄目でした。ある時聞いてしまったんですよ、教室でいつも話しかけてくる人達が私の悪口を言っていたのを。男子は『外見がいいからモノに出来ると思ったけど全然駄目』と、女子は『見た目は良いけど話しててつまらない』と大盛り上がりしてました。まあ確かに私は面白い話なんて出来ませんからね、一緒に居ても苦痛だったんでしょう」
「……ッ」
あまりに酷すぎる話に湊は歯噛みする。
愛梨と二ヵ月以上一緒に生活してきたが、確かに湊達の間には面白くて笑ってしまう話など無かった。
だからといってそれを苦痛と思った事は無いし、むしろ湊にとっては気が楽だと思ったくらいだ。
否定しようかと思ったが、ふふ、と乾いた笑いを零しながら愛梨は話を続ける。
「心が折れちゃいました。どんなに明るく接しても皆が見ているものは銀髪碧眼という外見だけ。二ノ宮愛梨という存在を誰も見なかったんですよ。……それ以降、男子も女子も嫌いになり、他人と関わるのを辞めました。関わっても何の意味も無いと分かったんですから」
「それはそうだろう、無理してそんな事をするくらいなら関わらない方がいい」
怒りが出ないよう、なるべく冷静な声で返した。
愛梨の反応は何も間違っていない。そんな事をされれば傷つくのは当たり前だ。
前に言っていた『友達を作るつもりは無い』という発言はここから来ているようだ。
「……そう言ってくれてありがとうございます。結局、男子に対しては素っ気なく接し、女子は笑顔で誤魔化して友達を作らないようにしました。別に男子には何も期待してませんが、女子に冷たい態度をとれば爪弾きにされるので。……必死に気を遣う、綱渡りのような学校生活ですよ」
愛梨は異物にならないよう、多少なりともクラスの中に溶け込もうとしたのだろう。間違いの無い対応だと思う。
実際、全てを敵に回して一人になるというのは不可能だ。生きる以上どうやっても他人とのコミュニケーションは必要なのだから。
「そうしていくうちに告白される回数は更に増えました、そしてそれに対してのフォローも。本当に大変ですよ、振った男子ではなく、その男子が気になっている女子達を気遣わなければいけませんので。皮肉ですよね、他人と関わらないようにすればするほど誰かに告白され、しがらみが増えるんですから」
外行きの笑顔が、全てを拒絶できない態度が好かれるのだろう。おそらく綺麗だとか、優しい態度だからという理由で。本当に皮肉なものだと苦笑いする。
「しかも告白される理由のほぼ全てが綺麗な髪だ、綺麗な目だ、綺麗な笑顔だ。そればっかりなんです。冷たい態度で断っているので、それに対して悪感情を向けられるのは仕方ないと思います。けれど、曖昧な態度を取ってチャンスがあるなんて思われたくありません」
断ったのだから悪感情を向けられて当然だ、というのを納得して欲しくはない。
けれど、愛梨としては下手に曖昧な態度をとって近づかれるよりはマシなのだろう。
小さく細長い溜息を吐いて愛梨が話を続ける。
「……分かっているんですよ、そういう風にした原因は私にあります。でもどうすればいいんですか、友好的に接しても誰も私を見ない、冷たい態度を取っても関わらなければいけない人が増える。ましてや全てを拒絶することなんて不可能です。クラスという集団の中にいる以上、どうしても他者と関わってしまいます」
愛梨に近づく人が全てそうだとは思わない、きっと悪感情を持っていない人もいるのだろう。
だからといってその人だけに親しい態度を取ってしまえば、更に彼女の周りがややこしくなるだけだ。
同じように接して欲しい、そう言う人が大勢出てくるだろうし、その大勢の人が悪感情を持っていないとは限らない。
むしろ愛梨と表面的にでも親しくなることで、学校内の地位を上げようとする人が出てくるはずだ。
その陰で親しくなったであろう人から陰口を言われたりするのだろう、友好的に接していた時のように。
これではどうやっても愛梨が辛くなるだけだ。
「今日も同じです、その綺麗な髪と目が好きなんだと言われました。私としては本当にどうでもいい事なんですよ」
他人事のように愛梨が言い放った言葉に、湊は疑問を覚えた。
毎日しっかりと手入れをしている髪に関して、褒められてもどうでもいいという。
大勢の人に言われ続けて、そんな褒められ方などされても何も惹かれない、というのは有り得そうだがどこか言い方に違和感がある。
「二ノ宮は自分の髪と目、嫌いなのか?」
「そこは、ちょっと……」
「すまん、言いづらい事だったんだな。聞いて悪かった」
愛梨が言い淀んだのですぐに話を切った。
おそらく多少は信用されているであろう湊でも、ここは触れてはいけないところだ。
「すみません」
「いや、俺が悪かった」
互いに謝ると愛梨は大きく溜息を吐いた。
「正直、もう疲れました」
途方に暮れたように言う愛梨に、掛ける言葉が見つからない。
「どうしたらいいんでしょうかね、何かいい方法なんてあるんでしょうか」
「……悪い、俺には思いつかん」
「……そうですよね」
諦めたような、温度を感じない愛梨の声に、湊は悔しくて奥歯を噛む。
人目を引く愛梨と、平凡な見た目ので湊では立場が違い過ぎる。湊の意見など参考にならないだろう。
普段お世話になっている癖に、こんな時に愛梨の力になれない自分自身が憎い。
けれど、参考にはならずとも湊の意見は伝えたい。
「でもな、自分を殺して前みたいに友好的になる必要は無いと思うぞ。お前は周りに気を遣い過ぎてる、もっと我が儘でもいいくらいだ」
「我が儘、ですか?」
「そうだ。私は私が認めた人しか受け入れない、って思うくらいでいい。流石に口に出すと本当に性格が悪い奴だって見られそうだけどな」
誰に対しても気を使うから辛いのだ。それは愛梨の美点ではあるが、この場合は悪い方にしか働かないだろう。
ならば、受け入れた人以外は切り捨ててしまうのも一つの手だと思う、誰だって全ての人に対して優しく接する事なんてできないのだから。
重く受け止めないように冗談っぽく言うと、愛梨は少しだけ笑った。
「なんですかそれ、私がただの性格悪い女じゃないですか」
「そういう風に思って周りを気にするなっていう意見だよ。あとな、一つ訂正させてくれ」
「……なんですか」
「誰も二ノ宮を見てないなんて言うな、俺がちゃんと見てる。優しくて、しっかり者で、でもちょっとだけ抜けてるお前を、俺はちゃんと見てるぞ」
「……っ」
愛梨が息を飲む音がして、会話が途切れた。
いつも湊を気遣ってくれて、家事を殆どやってもらっていて、でもゲームに熱中して時間を忘れるような所もある。
確かに愛梨の外見は魅力的だと思う。けれど、それ以外も見ている人がいる事を忘れないで欲しい。
「……私、独りじゃないんですね」
ようやく聞いた愛梨の声は先程までの暗い声ではなく、人の温度を感じさせるいつもの声になっている。
「当たり前だ。と言っても俺には何の力も無いし、見た目も平凡だけどな」
「ふふ、それでもいいんです。……そうなんですね、見ていてくれたんですね」
「ああ」
「……先輩、失礼しますね」
愛梨はそう言って湊との距離を詰めた。肩と肩が触れ合う。
服越しではあるものの、湊にじんわりと愛梨の熱が伝わる。
お互いに話はしないが、嫌な時間ではない。
「ありがとうございます。少し、気が楽になりました」
「そりゃよかった」
暫くすると、隣から愛梨の暖かさが無くなり、彼女が湊の正面に立つ。
触れ合っていた時間はほんの僅かな時間だったと思うが、妙に長く感じた。
こんな意見で愛梨が楽になるならお安い御用だ。
どうやら話は終わりらしい。しばらくぶりに見たような気がする彼女の顔は、心なしかすっきりしているように見える。
「さあ九条先輩、そろそろ帰りましょうか。今日はバイトでしたよね、夜ご飯何が良いですか?」
「体育祭とバイトだからな、ガッツリ肉が食べたい」
「分かりました、任せて下さい」
愛梨の声はもういつも通りの元気さを取り戻している。
何の力も持たない湊でも、彼女の助けに少しでもなれた事が嬉しくて胸が温かくなった。