先輩と後輩を終えて
「改めて。湊さん、卒業おめでとうございます」
「ありがとな」
今日は湊の卒業式であり、学校でも言われたが、家に帰ってから改めてお祝いの言葉を送られた。
未来に羽ばたく日なので、もちろん嬉しさはある。しかし、どちらかというと寂しさの方が大きい。
愛梨も同じ気持ちなのか、柔らかく細められた瞳の奥が揺らいでいる気がする。
彼女の寂しさが少しでも晴れて欲しいと、さらさらの銀糸に指を通す。
「卒業したって言ってもここから居なくなる訳じゃない。大学もここから通うしな。これまでと生活は何も変わらないから安心してくれ」
「それは何度も聞きましたし、もし湊さんが居なくなるならどこへでもついて行きます。……我が儘言ってすみません」
「進みたいと思った大学がたまたま近くにあっただけだ。それに愛梨は我が儘なんて何も言ってないから気にすんな」
湊が進路を決める際。愛梨は「ここにいて欲しい」とも「離れたくない」とも言わなかった。
おそらく言いたいだろうに、湊の進路の妨げになってはならないと、必死に押し込めてくれたのだ。
結果的に大学は家から電車で通える場所にしたのだが、それは愛梨の傍に居る為に妥協した訳ではない。
偶々そうなっただけであり、妥協すれば愛梨の厚意を踏みにじる事になると思って遠慮はしなかった。
とはいえ、彼女の言い分からすれば学校を辞めてでもついてくる気がしたので、電車で一時間掛かろうとも家から通える場所にして本当に良かったと思う。
ゆっくりと梳くように撫で続けると、申し訳なさで曇っていた愛梨の顔が穏やかになった。それでも瞳は寂しそうに揺れているが。
「……はい」
「まぁ、俺も寂しい気持ちはあるよ。愛梨と一緒に登校出来なくなるからな」
「そうなんですよね。もう一緒に学校に行けないのは悲しいです……」
「それでも、こうして一緒に居るのは変わらない。だから、いっぱい甘やかすよ」
「はい、お願いします」
共に学校に行けずとも、こうして家では一緒に居られるのだ。
そもそも愛梨とは年が違うので学校ではそれほど一緒には居なかったし、居るのは放課後と昼休みくらいだった。
それでも愛梨の夢であった一緒に登校するというのはもう叶えられない。
代わりに家ではいっぱい触れ合おうと言うと、ようやくアイスブルーの瞳から寂しさが抜けた。
「それはそうと、大学で浮気しないでくださいね?」
「もちろん。そもそも愛梨以外の人なんて見てないって。……というか俺は愛梨の方が心配だ」
にっこりと笑みつつ、けれども目が全く笑っていない愛梨にしっかりと応える。
元々愛梨以外の女性を見るつもりはないし、それはこれまでに何度も伝えていた。
むしろ愛梨の方が気がかりなのだと言うと、彼女はきょとんと可愛らしく小首を傾げる。
「どうしてですか?」
「俺が卒業した事で、愛梨を狙う人が出てくるかもしれないだろ?」
今までは愛梨の傍に湊が居たが、これからは学校の中だけとはいえ傍に居られないのだ。
三年生となる頃には学校で一、二を争うバカップルなどとおかしな持ち上げ方をされていたものの、それも今日で終わってしまった。
そうなると、目障りな男が居なくなったのだからと愛梨に声を掛ける人が出てくるだろう。
その光景を想像するだけで、気分が斜めを向いてしまう。
ほんのり唇を尖らせながら告げると、愛梨がふわりと柔らかく、嬉しそうに笑った。
「ふふ。そんな人はお断りです。そもそも、湊さん以外の人なんて眼中にありませんから」
「それで頼む」
「全く、嫉妬深い人ですねぇ」
「愛梨だって人の事は言えないだろ? 凄まじく重いんだから」
「ええ、その通りですよ。なので、私を大切にしてくださいね?」
「当然だ」
お互いの嫉妬深さに笑い合う。
めでたくも切ない卒業式の空気はとっくになくなっていた。
「なあ愛梨。お願いというか、提案があるんだが」
「はい、何でしょう?」
普段通り愛梨を抱き抱えた体勢で声を掛けると、愛梨が小さく微笑を浮かべながら体の向きを変えて横抱きになった。
「もう同じ高校の先輩後輩でもないし、敬語を辞めないか?」
この提案は既に敬語で慣れているからと、随分前に断られている。
だが、湊は年上ではあるが、もう愛梨の先輩ではない。
これからも敬語を使い続ける必要はないのだと説明すると、愛梨は「なるほど」と感嘆の声を漏らした。
「確かにそうですね。タイミングもいいですし、これを機に変えてもいいかもしれません」
「それと、何だ……。これから先もずっと一緒に居るんだ。もし家族が増えても敬語だったら変だろ?」
家族が増える。という少しぼかした言い方をしたのだが、愛梨が蕩けたような満面の笑みを浮かべる。
「そうですねぇ。いつになるかは分かりませんが、いつかはそうなるでしょう。その時の為に、ですね」
「ああ」
「ちなみに、ご予定は?」
「しばらくはないな。まだ愛梨を養えないし」
「……残念です」
しゅん、と肩を落として愛梨が落ち込む。
そのいじらしい姿から、もうそこまでの覚悟を持ってくれている事が分かり、胸が温かくなると同時に気恥ずかしくもなる。
とはいえ、愛梨にねだられようともまだ願いを叶えるつもりはない。
まだ湊は愛梨を完全には支えられないのだ。その時が来るまで待ってもらうしかないだろう。
「そういう事で折角だから、どうだ?」
「はい、構いませんよ。以前は断りましたが、これからの事を考えると、いつまでも後輩気分ではいられませんからね」
そこまで言うと、愛梨はアイスブルーの瞳を瞼に隠して深呼吸をする。
じっとその美しい姿を眺めていれば、愛梨がゆっくりと瞼を開けて湊を見上げた。
嬉しさをこれでもかと含んだはにかみに、湊の心臓がどくりと鼓動する。
「湊」
「……おう」
久しぶりに敬語を外して湊を呼ぶ声に、なぜだか羞恥が込み上げてきて湊の頬を赤く染め始める。
未だにこうして愛梨に見惚れ続け、想いが褪せないのだ。
これからも、今までと同じかそれ以上に愛梨に見惚れ続けるのだろう。
「ふふ、これからもよろしくね。後輩じゃなくて、湊のパートナーとして」
「こっちこそよろしくな」
言葉にするでもなくお互いに手を伸ばし、指を絡ませ合う。
頬を紅色に染めて顔を綻ばせる愛梨が欲しくなり、額に口付けを落とした。
「どうしたの?」
「そういう気分だったんだ。駄目か?」
「駄目じゃないし、嬉しいよ。でも、違う所にも欲しいなぁ」
「はいはい。仰せのままに」
悪戯っぽく笑み、期待に瞳を潤ませて愛梨がおねだりしてきた。
その可愛らしい態度に、頬を緩ませながら願いを叶える。
「ん……」
「ふ……」
相も変わらず湊を虜にする瑞々しい感触を味わう。
食むように動かすと愛梨が気持ち良さそうに震え、彼女の方からも唇を押し付けてくる。
じっくりと堪能した後、頬に滑らせて小さく口付けをして顔を離せば、瞳を潤ませた愛梨がいた。
「湊、大好き」
「俺も大好きだよ」
愛を囁き、再び口付けをする。
先輩後輩という関係はなくなり、パートナーとしての湊達の生活は始まったばかりだ。




