最終話 かけがえのない人と
「みーなとさん!」
ホワイトデーから月日が経って春休みに入り、三月の末となった。
午後をのんびりと過ごしていると後ろから声を掛けられ、細い腕が湊の首に絡みつく。
「ん、どうした?」
甘い匂いだけでなく柔らかい感触を後頭部でしっかりと感じた所為で、心臓が暴れてしまう。
その感触を何度も味わっているが、こういう接触に慣れはしない。
動揺を表に出さずに尋ねると、愛梨の息が耳に掛かる。
「花見に行きませんか?」
「花見か? ……それは良いんだけど、この周辺だとあまり良い所が無いぞ? 電車を使っていいならあるけど」
残念ながら、湊の家の周辺には良い花見スポットが無い。
電車を使えば有名な場所があり、昔は一真達と行っていたので候補としては挙げられる。
だが、外出が好きではない愛梨はあまり電車に乗りたくないだろう。
とはいえ一応尋ねるべきだと思って伝えると、彼女の微笑みの息遣いが聞こえた。
「でしたら、そこにしましょうか」
「分かった。じゃあ早速準備するか」
愛梨が人込みに紛れるのを良しとするなら、湊が断る理由などない。
いそいそと準備を終えると、彼女が左手を差し出してきた。
にんまりとした笑みだけを向けてくるので、無言の要求に応えて左手薬指に青の指輪を嵌める。
「ふふっ、ありがとうございます。さあ湊さんもですよ」
「ああ、よろしくな」
今度は湊が左手を差し出すと、傷一つ付けられないというように慎重に愛梨が赤の指輪を付けてくれた。
そこまで緊張しなくてもいいだろうと銀色の髪を撫でる。
「大切に扱ってくれて、着けてくれてありがとな」
「いいえ、当然ですから。さあ行きましょう」
髪にはアイリスの花、首にはピンクゴールドのネックレスと、湊が送った全てのアクセサリーを身に着けた愛梨が手を差し出してきた。
「おう、楽しいデートにしような」
「はい!」
電車の中はあまり混んではおらず、あっさりと席に座れた。
湊達の生活では殆ど電車に乗ることがないので愛梨が心配だったのだが、穏やかな顔で湊の肩に凭れてきている。
じろじろと周囲の人が湊達に視線を向けてくるが、気にせず体温を分け合っていると、白い両手がにぎにぎと湊の手を弄んできた。
「なんだか懐かしいな。夏のプールの時以来だっけ?」
「はい。……あの時のように他の女の人に見惚れたら駄目ですよ?」
「いや、あれは見惚れてないんだがなぁ……」
あの時は目の前の女性の生暖かい視線が気恥ずかしかっただけなのだが、言い訳をすると隣の愛梨が前と同じように手の甲を摘まむ。
「痛いから、悪かったって」
「……ふん」
嫉妬深い愛梨に言い訳は駄目だと素直に謝ると、頬を膨らませて湊の腕を抱き締めてきた。
独占欲丸出しの態度が微笑ましくて無性に撫で回したいと思うが、電車の中な上に片腕が拘束されているので我慢だ。
代わりに、あの時には伝えられなかった想いを言葉にする。
「俺が見てるのは愛梨だけだよ」
「そうしてください」
言葉は素っ気なく、けれど嬉しさを態度に表すかのようにぐりぐりと顔を腕に押し付けてくる。
今日も恋人は可愛いなと思いながら電車は進んでいく。
そして目的の駅に着いてから暫く歩くと、桃色に染まった河川敷にようやく到着した。
桜並木はピンク色の綺麗な花を咲かせ、それがずっと先まで続いているのだから、ここだけが異世界かのような気になってくる。
「わぁ、綺麗ですね」
冬が明けて随分と温かくなった空の下、愛梨が感慨深そうに呟いた。
早咲きにしては咲き誇っている桜は確かに美しい。
だが、それを見上げながら桜の中で佇む愛梨の方が美しいと思う。
桃色の花びらに囲まれる銀髪の美少女など、普通見れるものではない。
「ああ、綺麗だな」
「……桜を見て言ってくださいよ」
桜を見ていなかったので、じっとりとした目を向けられた。
しかし、この一枚の絵のような光景は見逃せない。
「いやぁ、これは愛梨を見るだろ。凄く綺麗だ」
「……まあ、褒めてくれたので良しとしましょう」
正直に褒めると、ほんのりと頬を染めた愛梨にお許しをいただいた。
とはいえ、流石に遠出しているのだから桜を見なければ損だ。
手を繋いでゆっくりと歩きつつ、他愛ない話をしながら景色を楽しむ。
ロングマフラーはもう使っていないが、来年になれば再びあれが湊達を繋ぐだろう。
「たった一年ですが、いろいろありましたねぇ」
「そうだな。多分、こんな一年はそうそうないだろ」
本当にいろいろな事があった。
言葉にすれば愛梨と仲を深めていくだけの事ではあったが、付き合う前もそれ以降も問題は多かった。
だがそれらが全て解決し、彼女は湊の横に居てくれている。
こうして大切な人が出来て、寄り添ってくれるまでたった一年しか経っていない事に驚きを隠せない。
呆れ気味に言葉を零すと、柔らかい笑顔が向けられた。
「はい。最初は一応の家族で、次は同居人で、そして恋人になって。……ふふ。恋人になっても、まだまだ悩みの種は尽きなかったですね」
「ああ。キスするまで約二ヶ月、その次に行くまでそれから一ヶ月。家族関係でごたごたがあって、喧嘩もしたなぁ」
楽な事ばかりでは決してなかった。お互いに泣いた事もあったし、苦しい時もあった。
けれど数多くの壁を乗り越え、穏やかで幸福な生活が出来ていると自信を持って言える。
「でも、こうして貴方の傍に居られて幸せだと言い切れます。湊さん、私を私で居させてくれて、ありがとうございます」
愛梨も同じ気持ちのようで、胸が温かくなった。
しかし、後半の言葉に少しだけ呆れてしまう。
「今更何言ってんだか。俺が好きなのは明るい笑顔をしてくれて、愛情がとんでもなく重い二ノ宮愛梨なんだ。ありのままで良いって言ってるだろ?」
「ふふ、そうでしたね。ふふっ」
分かり切った気持ちを口にすると、愛梨がおかしそうに、幸せそうに笑った。
やはりいつ見ても彼女の笑顔は魅力的だ。
「湊さん、私は今、満たされてますよ。こんなにも心のままに笑えています」
「あぁ、それだけで十分だ。俺の隣で笑ってくれ」
一年前の人形のような表情とはまるで違う、生気に満ちた天真爛漫な笑顔。
最初はこんな笑顔を向けられるとは思わなかった。
だが、たった六畳半の狭い家で暮らしていくうちに、こんなにも想い繋げる事が出来た。
こうして、これから先も隣で笑っていて欲しいと心から願う。
「はい。……でも、学生なのに結婚の約束まで取り付けるとは思わなかったんですがね」
「嘘は言ってないけど、それっぽく言っただけだろうが」
確かにプロポーズ紛いの事を言ったが、まだ正式なものではない。
愛梨がそれで立ち直れたので後悔はしていないし、そもそもそう言う彼女の声色は呆れ気味だが、表情は満面の笑顔だ。
喜んでいるくせにそんなに弄るなと口を尖らせると、愛梨が左腕に抱き着いてきた。
「ごめんなさい。これで許してくれますか?」
「仕方ないなぁ、特別だぞ?」
「えへへ、流石湊さんです」
柔らかな胸が当たるのもお構いなしで、ご機嫌な笑顔を浮かべ続ける愛梨。
ひとしきり頭を腕に擦りつけられた後、休憩の為にベンチに座る。
ぼんやりと美しい桜を眺めていると、愛梨は柔らかな両手で湊の左手を持ち上げ、薬指に着けているアクセサリーを眺めだした。
「綺麗ですよねぇ、赤色のトパーズ。私と対になるように、でしたっけ?」
「ああ。対等に、ずっと一緒に居られるようにって願いを込めたんだ。そのターコイズも似合っていて綺麗だぞ」
愛梨が左手に着けているターコイズを湊のトパーズに近づけた事で、赤と青の指輪が隣り合わせになった。
凄まじく重いプレゼントだが、それでも鮮やかな桜に負けないくらいの笑みを愛梨は浮かべてくれる。
「ふふ、私の一番の宝物ですから。でも、貴方がくれた物は全て大切なんですけどね」
「そう考えると、いろいろプレゼントしたなぁ」
ヘアピンにリングネックレス、そして指輪と本当に様々なアクセサリーをプレゼントした。
そして、愛梨はそれらを着ける時に、絶対に自分では着けようとしない。
他人から見れば怠惰な行いなのかもしれないが、その行為が愛梨が湊の物だという実感をお互いに得る為だと十分に分かっている。
感慨深く思っていると、少しだけ呆れた風な表情をされた。
「本当ですよ。選ぶのが大変なのに、それでも考えてくれるんですから……」
「とは言っても、もう次のプレゼントのアイデアなんてないからなぁ。情けない彼氏でごめんな」
愛梨へのご褒美やプレゼントとして、アクセサリーや食べ物等、沢山の物を渡した。
全てが納得のいく物とは言えないが、それでも気持ちはしっかりと込めている。
だが、もうネタ切れだ。実際、学年末テストは深夜までのバイト中に行われた事もあり、何もご褒美をあげられなかったのだから。
素直に謝ると、彼女は苦笑を浮かべて首を横に振った。
「いいえ、もう十分ですから。それに私の本当の望みはただ一つです、それはもう分かってますよね?」
「ああ、愛梨も俺の望みは分かってるだろ?」
何度も何度も伝えた想い。お互いに分かり切った願い。
広く過ごしやすい家も、何不自由無く暮らせる大金も必要無い。欲しいのはたった一つだけだ。
「はい。でしたら、一緒に言いましょうか」
「そうだな、じゃあ行くぞ?」
息を吸い込み、二人同時に望みを言葉にする。
タイミングなど計ろうともしなかったが、それでも息が合うと確信した。
「ずっと一緒に居てくれ」
「ずっと一緒に居てください」
これからいつまでも平和になど過ごせはしないだろう。
きっとトラブルがあり、喧嘩をし、怒る事も、泣く事もあるはずだ。
それでも、この願いがあれば必ずこうして隣に居られると断言出来る。
「ねえ湊。大好き――ううん、愛してるよ」
「ああ、俺も愛してるよ。愛梨」
たかが高校生の気持ちだが、これが色褪せたりなど絶対にしない。
その為の努力をし続け、いつまでも愛梨を大切にすると、桜舞う中で今一度誓った。
花見の人が居るが昂った感情は止められず、自然と顔が近づく。
「ん……」
「ふ……」
湊達を見ていたであろう花見客が何かを言っているのが視界の端に入るが、それらを無視して笑い合った。
仕事を終え、疲れた体を引き摺って家に帰る。
ほんの一年前に引っ越し、住むのにも慣れたごく普通の新居。
二人きりで過ごすのであれば以前の家でも構わなかったが、新しい家族には伸び伸びと生活して欲しいからと話し合った結果だ。
昔は狭苦しい六畳半の部屋に住んでいたなと懐かしみつつ扉を開けると、すぐに鮮やかな笑みを浮かべた女性が迎えに来てくれた。
「おかえり、湊」
「ただいま、愛梨」
体の疲れは愛しい妻の姿を見た事で吹き飛んだ。
高校を卒業して随分経つが、愛梨はますます美しくなったと思う。
少し前までなら外に出ると高校生の時以上に声を掛けられていたくらいだったので、デートの時は本当に大変だった。
とはいえ、今の彼女は少々事情が変わっている。
「体は大丈夫か? 辛くないか?」
「もう、心配しすぎだよ。昨日も同じこと言ってたし」
「心配にもなるさ。もうすぐなんだからな」
下手をすれば今でも高校生に見える外見の愛梨だが、そのお腹は大きい。
そこには新たな命が宿っているのだから。
もうじきその顔を見る事が出来ると思うと胸が弾む。
「……うん、もうすぐだね」
慈愛の表情でお腹を撫でる愛梨を一層愛しく思うが、ここは玄関だ。
彼女の体調を考えれば立ち話はすべきではない。
すぐに居間に向かおうとしたのだが、愛梨が手を差し出してきた。
いつまでも変わらない世話焼きっぷりに小さく笑いつつ、彼女に甘えて鞄を預ける。
「あ、今動いた」
「本当か!? これはいよいよだな!」
「ふふ、はしゃぎすぎだよ」
何の変哲もない家の、ごくありふれた家族。ここには特別なものなど何もない。
だが、これが湊達の幸せだ。
この先も、こうしてかけがえのない人と歩んでいく。
ようやく完結です。
ここまで読んでいただいた読者の皆様、本当にありがとうございました。
活動報告で長々と話したいので、ここでは短くいきます。
ブックマーク、レビュー、感想、評価ポイントなど、本当に、本当にありがとうございました。
少しでも皆様に面白いと思っていただけたら幸いです。
改めて、ここまで読んでいただきありがとうございました。




