第143話 覚悟の証明
「ただいま」
「おかえりなさい」
バレンタインデー当日。愛梨に先に帰ってもらい、湊も予約していた物を取ってから家に帰り着いた。
先に帰ってくれと伝えると少しだけ寂しそうな目をされたのだが、彼女に今日何か起きると知られていたからなのか、あっさりと言う事を聞いてくれた。
扉を開けるとすぐに迎えに来てくれたのは普段通りなものの、湊が鞄しか持っていないので訝し気な視線をいただく。
とはいえ問い詰める気はないようで、いつも通り腕を差し出してきた。
「荷物、預かりますね」
「いや、今日は自分でやる。いつもありがとな」
「あの……。いえ、何でもないです」
おそらく湊が普段とは違う行動を取ったので、何か悪い事をしたのかと聞こうとしたのだろう。
単に鞄の中身を絶対に見られたくないからだったのだが、気に病んでしまったようだ。
「今日だけだから。明日からはいつも通りよろしくな」
「はい」
帰ってきたら出迎えて鞄を持てという発言はあまりにも横暴だなと苦笑するが、対照的に愛梨はほんのりと嬉しそうに笑う。
とりあえず荷物を置き、手洗いとうがいを済ませて居間に行くと、彼女が綺麗にラッピングされた物を持っていた。
「湊さん、これを――」
「ちょっと待った。悪いけど、先に俺の用事を済ませていいか?」
恋人が勇気を振り絞って渡そうとしてくれたのを妨害するのは、普通ありえないだろう。
それでも、無表情を少しだけ不安に彩った顔で渡されて、嬉しいとはどうしても思えない。
話を遮られたことでいよいよ愛梨が泣きそうになったのだが、銀髪を一撫でして落ち着かせてから、彼女に触らせなかった鞄の中身を取り出す。
小さな箱を恋人の目の前に差し出すと、きょとんと首を傾げられた。
「あの、これは?」
「これが、俺の覚悟だよ」
愛梨に見えるように箱を開けると、そこにはそれぞれ青と赤の石が嵌まった指輪が二つ入っているのが分かる。
それを見た愛梨が目を見開いて固まった。
「ゆび、わ……?」
「バレンタインデーって日本では女性が男性にチョコを贈る日だけど、アメリカでは男性が女性に贈る日でもあるんだとさ。今回はチョコじゃないけど勘弁してくれ」
店長にアドバイスされたのはこの事だ。
普段いきなりプレゼントをしても愛梨が気に病むだけだし、今の状態の彼女からチョコをもらうよりも、元に戻ってくれた方が嬉しい。
愛梨が笑顔になってくれるのが、今の湊にとっては何よりも望む事なのだから。
なので店長の案を使わせてもらい、無理をして働いて給料を前借りし、湊の貯金も全て使って買ったのがこの二つの指輪だ。
「因みに、青い石がターコイズで赤い石がトパーズだ。それぞれ愛梨と俺の誕生石だぞ」
「……え? 本物、ですか?」
ターコイズが青なのは普通なのだが、一般的にトパーズは黄色のイメージがある。
だがトパーズには様々な色があるとの事で、愛梨と対照的になるように赤で注文した。
宝石名を言った事で、綺麗な顔が驚愕に彩られる。
たかが高校生が本物の宝石を買ってくるとは思わなかったのだろう。
「そうだぞ。……まあ、こんなシンプルなもので申し訳ないけどな」
アクセサリーショップの店員に勧められたのは、本物の宝石を使ったペアリングだ。
当然おいそれと手に入れる事は出来なかったし、指輪の装飾も本当はもっと凝った物もあったのだが、学生の湊に買えるものはシンプルな物しかなかった。
また、在庫があったとはいえ、約一週間で準備してくれた店員には感謝しかない。
受け取る時に「それを着けてのご来店、お待ちしてます」とからかわれたのだが、今の愛梨に伝える必要はないだろう。
「なんで、こんな事を、したん、ですか……?」
その疑問は尤もだ。たかがバレンタインデーにプレゼントする物にしては、あまりに高額過ぎる。
だが、これくらいの衝撃がなければ愛梨には伝わらない。
重い愛情には同じだけの重い愛情が必要だし、これほどまでに彼女は思いつめているのだから。
(さて、ここからが本番だ)
一度肺の中に残っている空気を全て吐き出し、大きく息を吸う。
これからやるのは真似事ではあるが、絶対に失敗出来ないものだ。
緊張で弾む心臓の鼓動を抑えつけ、ゆっくりと、しっかりと想いを言葉にする。
「俺は本来の、明るくて、無邪気で、俺をからかってくる愛梨が大好きだ。そんな愛梨とこれから先、ずっと、ずっと一緒に居たい。……それこそ、高校を卒業しても、社会人になっても、おじいちゃんになっても」
まさかこの歳でプロポーズのような事をするとは思わなかったが、後悔など全くない。
それほどまでに、目の前の少女を愛しいと思っている。
「何でも言う事を聞く人形が居れば、何不自由無く暮らせるんだろうな。だけど、俺が一緒に居たいのは、一生を共に生きていきたいのは、二ノ宮愛梨っていう魅力的な一人の女性だよ。……だからさ、いつも通りの重くて、明るい愛梨で居てくれ。それは、間違っても人形なんかじゃない」
「みなと、さん……」
「ありのままの愛梨で居てくれないか? そんな愛梨を俺は愛してるんだから」
青の石が嵌まった指輪を取り出し、愛梨の左手を掴む。
やはり愛情を示すペアリングであれば、着ける場所は一つしかない。びくりと小さな手が震えたが、抵抗はされなかった。
そして、ターコイズの指輪は細い左手の薬指にぴったりと嵌まる。
「ぴったり、なんですね」
「愛梨が寝てる間に取ったんだ、勝手な事してごめんな」
同棲しているのでいくらでもチャンスはあったが、無断でサイズを確認するのは流石に褒められはしない。
素直に謝ると、緩く首を振られた。
「いいですよ。でも、これで私が立ち直れなかったらどうするつもりだったんですか?」
いくら本物の宝石をプレゼントしたところで、たかがアクセサリーの一つだ。
それで愛梨の自信が付く訳でも無いし、物で彼女の気持ちが買えるのなら苦労はしない。
これはあくまで湊の気持ちを形として示したものでしかないのだから。
なので、震える声にしっかりと気持ちを返さなければならない。
「それでも、俺は愛梨の傍に居る。愛梨が立ち直れるまで、もちろん立ち直れてもずっと。……でも今回のような事はそうそう出来ないけどな」
今回に関しては様々な人に救われた。おそらくもう一度は出来ないだろう。
とはいえ、気持ちは全て伝えた。後は愛梨がどう受け取るかなのだが、アイスブルーの瞳がどんどん潤んでいく。
雫は瞼では支えきれないくらいに大きくなり、真っ白な頬に流れた。
「……ずるい」
ぽつりと呟かれた言葉はいつかのようにひび割れていたが、そこには溢れんばかりの感情が込められている。
「ずるい。こんなの、あれこれ悩んでた私が馬鹿じゃないですか……」
「間違いないな。くよくよせずに忘れてしまえば良かったんだから」
「だって、だって……」
涙を流しながら、愛梨は言い訳を口にした。
頑固な彼女を納得させる為に、店長の受け売りではあるがやらせてもらおう。
「つべこべ言わず、お前は俺の横でありのままの笑顔をしていればいいんだよ」
「みな、と、さ……。う、あ、うわぁぁぁん!」
限界が来たようで、大声で泣きながら愛梨が胸に顔を埋めてきた。
「貴方はいつもそうです! 私の本当に望む事を勝手にします! こんな素晴らしい指輪なんて贈られたら、人形になんてなれないじゃないですか!」
「それで良いんだ」
「人形なんて辛いです! 貴方と触れ合いたい! 貴方の傍にありのままの私でいたい!」
「それが俺の望みだ。特別な物なんて何も要らない、愛梨の笑顔さえあればいい」
結局、二人共想う事は同じなのだ。
お互いが居ればそれだけで良い。その為なら何だって出来る。
今回はそれが良くない方向に傾いただけだ。
この様子ならきっと大丈夫だと思っていると、愛梨が顔を上げた。
綺麗な顔はぐしゃぐしゃで、ここ一週間半の無表情など見る影も無い。
だが、やはり人形よりか余程魅力的に見えた。
「でしたら貴方の望み通りに、私のありのままで居続けます。湊さん――」
愛梨はそこで言葉を切り、顔を俯ける。
すぐに顔を上げると、そこには湊の大好きな鮮やかな笑顔が咲き誇っていた。
「貴方を、愛しています!」
たった一週間。けれど、随分と久しぶりに見た気がする笑顔で、ようやく湊達の喧嘩の幕が引かれた。
湊に愛情を告げた後、愛梨は再び胸に顔を埋めて泣きじゃくった。
暫く頭を撫でてあやしていたが落ち着いたようで、瞼を真っ赤に腫らして湊から離れる。
「今度は貴方の指輪を付けて良いですか?」
「ああ、頼むよ」
ペアリングなのだ。お互いに嵌めなければいけないだろう。
左手を差し出すと、白くて小さな二つの手がそっと包み込む。
そのまま愛梨はゆっくりと湊の薬指にトパーズの指輪を嵌めた。
「お揃いですね」
「まあ、ペアリングだからな」
「ふふ、そうでした。結婚指輪ですからね」
愛梨はすっかり元通りになったようで、ゆるゆるになった頬を紅潮させている。
瑞々しい唇からとんでもない言葉を発せられて、湊の頬も熱を持ってしまった。
「ペアリングだペアリング」
「でも、あんなに情熱的な言葉をもらったんですよ? もはやこれは結婚指輪だと思うんですが」
「……それは、ちゃんと買うから」
ペアリングはとても大切な物なのだが、それはそれとして結婚指輪はしっかりと選びたい。
結婚が出来る歳ではないのでぼそりと呟くと、愛梨の表情が悪戯っぽいものに変わった。
「では待ってますね。ずっと、ずっと、貴方の隣で、ありのままの私で」
「ああ、期待していてくれ」
やはり愛梨はこうでなくてはと思う。
ずっと先の事を予約すると、彼女は一層上機嫌になった。
「それじゃあ私の方も渡さないと――と思いましたが、夜ご飯とお風呂が終わった後にしましょうか」
「はいよ。じゃあ、久しぶりに家事をするかな」
「はい? 何を言ってるんですか?」
もらえるのは分かっているのだから、焦る必要はない。
一週間ぶりとなる家事をしようとしたところで、心底分からないをいう風に首を傾げられた。
「湊さんは何もしなくて良いですよ」
「いや、前まで早く帰る日は俺が多少家事をしてただろうが」
「駄目です。深夜まで頑張って働いている人は大人しくしてください、いいですね?」
「……分かったよ。じゃあ、よろしくな」
迫力のある笑みで凄まれたものの、美しい瞳の奥には湊を心配する気持ちが揺らめいている。
実際かなり疲れているし、愛梨も元に戻ったので今日くらいは任せてもいいだろう。
せめてもの応援の為に頭を撫でると、溌剌とした笑顔が返ってきた。
やはり無表情よりも、笑顔が愛梨には似合う。
「はい!」