第130話 絶対の信頼
「なあ愛梨、一月四日って空いてるか?」
一月四日。その日がカルミアさんに指定した日であり、ここは何としても空けてもらわなくてはならない。
勝手に日にちを決めたのは申し訳ないが、納得してもらうしかないだろう。
予定を尋ねると、愛梨が頷きながらも心配そうに眉を寄せた。
「ええまあ、空いてるので別に良いんですが、帰って来てから何か変じゃないですか?」
「……やっぱり気付くか」
「当たり前です。それで、何があったんですか?」
本来は当事者の愛梨に相談してから会うかどうかを決めなければならなかった件なので、湊の独断で決めた事への罪悪感が凄まじい。
そして、許可も取らずに愛梨の過去をカルミアさんに話した事も、それに拍車を掛けている。
(でも、いきなり謝っても理由を聞かれるだけだしなぁ……。はぁ、情けないな)
一月四日が愛梨にとって良くない日になるのは確実だ。
それを分かっていながら予定を入れさせる負い目もあり、彼女であれば感情に押し潰されそうな湊のぎこちなさに気付くのだろう。
しかし、下手に全てを伝えると、無垢な表情で首を傾げる愛梨が気負ってしまう。
なので最低限の事だけ伝え、当日にしっかり話すべきだと判断した。
「その日、愛梨は辛い目に合う。多分、今まで生きてきた中で一番の」
「物騒な事を言いますね、という事は、湊さんにはその理由が分かってるんですか?」
「……ああ、でも今話すと愛梨が気に病むから、この件について当日まで話したくない。ごめんな」
相当酷い事を言っている自覚はあるし、結局問題を先延ばしにしているだけだ。
事前に覚悟を決めさせてあげた方が良いのではないかとも思う。
だとしても、ここで全てを伝えると愛梨の心を乱してしまうので、どうしても気が進まない。
とはいえ、それでも望むのであれば伝えようと思っていると、彼女は顎に手を当てて考え出した。
その表情は湊の不穏な発言を聞いても、困っているだけで驚くほど気負っていない。
「んー。湊さんがそう言うって事は、相当ですね」
「そうだな。……それでも聞きたいか?」
「ふむ……。でしたら、一つだけ質問していいですか?」
聞きたいと言う可能性もあったのだが、愛梨は考え込んだ末にお願いをしてきた。
出来る事なら全てを話したいものの、それを彼女が望まないのであれば、どうしても話せる内容に制限が掛かってしまう。
「悪い、応えられる範囲でしか駄目だ」
「大した事ではないので、構いませんよ。……当日、辛い目に合う私の傍に居てくれますか?」
「もちろん。俺は何があっても、必ず愛梨の味方だ」
今回の件は愛梨が辛い目に合うとはいえ、既に結果が決まっている。そして、湊の意志は揺らがない。
キッパリと告げると、彼女はふわりと微笑んだ。
「でしたら、それでいいです。貴方が居るのなら何だって耐えられますから」
何一つ詳しい事を伝えられていないにも関わらず、愛梨は絶対の信頼を向けてくれた。
お礼を伝える事しか出来ないのがもどかしい。
「……俺の醜い我が儘を受け入れてくれて、ありがとな。それと、独善的な彼氏でごめん」
結局、詳細を伝えないという行為は、湊が当日まで楽になりたいからだと自分でも分かる。
あまりにも自分勝手な汚い彼氏ですまないと謝ると、愛梨に柔らかく頭を撫でられた。
「良いんですよ。貴方が私を心配してくれているのは痛いほど伝わってきました。伝えないのは私を守る為だと、私を不安にさせたくないのだと。だから、良いんです」
「もしその日辛くなったら、苦しくなったら、俺に甘えてくれ。約束だ」
愛梨の信頼に返せるものはこんな事しか思いつかなかった。
情けないと思いながらもこれだけは譲れないと伝えると、彼女の顔が綻ぶ。
「十分です。最高のご褒美ですよ」
この笑顔を失わせてなるものかと、心に誓った。
「そういえば試したい事があったんです。いいですか?」
あれから愛梨はすっぱり割り切ったようで、湊が帰ってきてからの会話の事など無かったかのように振る舞っている。
そして、寝る時間になってからそんな事を言い出した。
「別に良いんだが、改めて言う事か?」
恋人になってから既に約三ヶ月だし、もういろいろな事を一緒にしている。
今更畏まって言う程の事が何かあっただろうか。
「そうですね。私の誕生日の時は一杯一杯で出来なかった事をしようかと。何か分かりますか?」
「……悪い、何も思いつかん」
悪戯っぽい笑みで尋ねられたが、もしやあの時心残りがあったのだろうかと不安になる。
あれは精一杯考えた結果なので、望みを叶えていないと言われればお手上げだ。
満たしてあげられず申し訳ないと頭を下げると、愛梨は焦ったような声を発する。
「え!? あ、そこまでしなくても……。言っておきますが、別に誕生日が不満だった訳じゃないんですよ。単にドキドキし過ぎて忘れていただけなんですから、そんなに落ち込まないでください」
「そう言ってくれると心が軽くなるな。じゃあ遠慮無く試してくれ」
どうやら愛梨は深刻には考えていないようなので、多少軽くなった心で許可した。
すると彼女が布団に入り、ぽんぽんと隣を叩いてくる。
「さあ、まずはいつも通りでお願いします」
「はいよ。ほら愛梨、おいで」
「えいっ」
布団の中に入って腕を広げると、愛梨が腕の中にすっぽりと納まった。
確かにそれだけならいつも通りだが、彼女はもぞもぞと動き、湊の鎖骨付近に柔らかな唇を触れさせる。
「……ちゅ。うーん、上手くいきませんね」
強く吸い付かれた後、リップ音を響かせた愛梨が唇を離して不満そうな顔つきになった。
ここまで来れば湊も何がしたかったのか分かる。
「痕を付けたかったのか。確かにそれどころじゃなかったもんな」
愛梨の誕生日の日。知識だけはあったものの、結局手探りであれこれとすることになった。
その結果、お互いに全く余裕が無くなり、そんな事などすっかり忘れていた。
あの日の事を思い出して苦笑すると、愛梨も同じ気持ちなのか似たような表情になる。
「そうなんです。でも、難しいですね」
「……なあ、俺もやってみていいか?」
「良いですよ。どうぞ」
何の警戒も無く白い鎖骨を見せつけられ、思わず襲いそうになってしまった。
だが、まだ愛梨の体は元に戻っていないし、そもそもそうなると目的が変わってしまう。
自制をしつつ、滑らかな肌に唇を這わせる。
「ぁ……」
艶めかしい声が聞こえてきたが、それを無視して雪のような肌を強く吸う。
湊とて初めてなので、どれくらいで痕が付くのか良く分からない。
「ふ……、は、ぁ……」
「ちゅ。……おぉ、出来た」
何となくのタイミングで唇を離すと、真っ白の中に赤い点が付いているのが見えた。
感嘆の声を上げて愛梨を見ると、真っ赤になりつつも緩んだ顔になっている。
「え、えへへ。痕を付けられちゃいました。これで私は貴方の物なんですね」
「ああ、そうだぞ。……物扱いするのは駄目だとは思うが、正直嬉しいな」
愛梨を道具として見るつもりはないのだが、恋人を独占している証が形として表れているようで嬉しくなる。
それに彼女が物扱いされて喜んでいるのだから、申し訳なさも殆ど感じない。
胸に沁みる思いを噛み締めていると、愛梨が目を輝かせながらお願いしてくる。
「ね、ね、練習していいですか? ちゃんと痕を付けたいです」
「いいぞ、沢山練習してくれ」
「はい!」
柔らかい体が絡みつき、鎖骨どころかその下や首筋までキスの雨を降らせてきた。
「ん、ふ……。ちゅ。うーん、駄目ですね。もう一回……」
何度も何度も愛梨はキスを続けるが、彼女の器用さならもう出来てもおかしくない頃だ。
それに、吸い方がなんだか慣れてきているように感じる。
「なあ愛梨、まだ出来ないのか?」
「駄目です、全然出来ません」
「……ホントかぁ?」
「ホントです」
結局、愛梨が納得するまで暫く掛かった。
「ふふ、出来ました。これで貴方は私の物です。絶対に、誰にも渡しません」
愛梨以外の人を見るつもりなど欠片もないのだが、どうやら確たる証が欲しいようだ。
それに関しては湊も同じなので強く言えないものの、独占欲丸出しな発言に思わず呟く。
「いやまあ、そのつもりなんだがな? 俺の彼女は愛が重いなぁ……」
「そうですよー。重くて、面倒臭い女に好かれた貴方がいけないんです。これが消える前にまた新しく付けますからね。マーキングです」
「……好きにしてくれ」
とろりと蕩けた笑顔を浮かべる愛梨は、おそらく何を言っても止まらないだろう。
いっその事、湊も消える前に付けるべきかと真剣に考えつつ夜は更けていく。
そして次の日の朝。歯を磨くために洗面所に行き、絶句してしまった。
「やりやがったな……。嘘を吐いてまでこんなに痕を付けるとか、どんだけ独占欲大きいんだか」
鏡に映る男子高校生の鎖骨周辺には、これでもかというくらいの赤い点がある。
となると、やはり昨日感じた違和感は嘘ではなかったようだ。
「今が冬で良かった、夏だったら外に出られなくなるところだった……」
これほどまでに大量の痕は、虫刺されでは言い訳出来ない。
幸いもう年末なので、バイトを含めて外に出る回数は少ないし、仮に出てもマフラーで覆い隠せばいいだろう。
それはそれとして、面倒臭くて愛しい少女にはお仕置きだ。
居間に戻ると、実にご機嫌な愛梨が微笑んでいる。
「さあ愛梨、覚悟しろ。これと同じくらい付けてやる」
「ええ、是非お願いします。私を貴方の物にし続けてくださいね?」
朝にも関わらず、今日の湊達の触れ合いはいつにも増して盛り上がった。