第129話 壊れた女性の目指す先
「まあいいや。知りたい事はもう無い?」
カルミアさんは自らの感情を切り捨て、話を替えてきた。
おそらく蒸し返しても無駄だと思うし、それ以外に聞く事も特に無い。
「そうですね。もう知りたかった事は分かりました」
「じゃあ今度は私の番だね。湊が知りうる限りで良いから、アイリが今日までどんな生き方をしてきたか教えて欲しいの」
ふんわりとした笑みを浮かべながら、カルミアさんがお願いをしてきた。
他人のプライベートな情報なので勝手に話して良いかというと駄目なのだが、誠意には誠意で応えなければならない。
無断で愛梨の過去を話す事に罪悪感が湧いてくるものの、後に事情を説明した際にいくらでも怒られると覚悟して口を開く。
「俺が知っている限りだと、愛梨は物心ついてから浩二さんに虐待まがいの事をされていました」
「ふぅん。具体的には?」
「貴女のように成長させない為に髪を伸ばすのを言いつけ、感情を消させてました。物言わぬ人形のように」
「……やっぱり、人は見た目でしか判断しないのね」
カルミアさんにしては珍しく吐き捨てるような言葉だが、彼女はそれを言えるような立場ではない。
自らがした事を忘れるなと睨み付ける。
「そうさせたのは貴女でしょう。自らの為に家族を捨てた人に、とやかく言う権利は無いはずです」
「それはそうね。けど、どんな人でも見た目でしか物事を判断しないという良い見本にはなるかな」
「……それは極論過ぎます。誰だって恨んでいる人と瓜二つの見た目の娘を、無条件に愛せはしないんですから」
あまりにも偏った意見ではあるが、浩二さんの仕打ちを見た場合、カルミアさんの発言を完全に否定する事は出来ない。
だが、墓参りの際に聞いた浩二さんの言い分を否定する事は湊には不可能だし、彼も葛藤しているのだ。湊達を応援してくれた事からもそれが分かる。
少なくともその一面だけ見て判断すべきではないと告げても、カルミアさんの笑みは崩れない。
「ほら、結果がそれを証明している。私に似ているからという理由で娘を人形のように扱うんだから、人は見た目で全てが決まるんだよ」
「それを貴女が――」
「さあ、次だよ。それじゃあそんなアイリは湊に会うまで、他の人からどんな風な対応をされてたの?」
浩二さんを、愛梨をそうさせた元凶が悪びれもせずに断言するのだから、流石に頭に来た。
怒鳴ろうとしたものの、楽し気な笑顔で言葉を遮られてタイミングを逃してしまう。
「……同級生からはその見た目を利用され、誰も愛梨の心を見なかったと聞いています」
「ますます私と同じだねぇ」
「そして愛梨は心を閉ざしました。家族も、クラスメイトも頼れないのだからと全てを切り捨てたんです」
「あちゃあ、勿体無い。利用してくる人なんて、逆に全部利用すれば良かったのに」
そこは二人の違いだろう。カルミアさんのようになっていたら、愛梨は湊の家に来ることはなかったはずだ。
ある意味ではこれで良かったとも思えるが、愛梨が壊れそうになった事を喜べはしない。複雑な心のまま話を続ける。
「愛梨は貴女と違って優しいので」
「やり返しすらせずに周りを拒絶するのを優しいとは言わないと思うけどね。じゃあ次だよ。その割にはアイリは湊と一緒に居る時には明るかったけど、何をしたの?」
「特別な事なんて何もしてません。ただ愛梨の心に寄り添っただけです」
「その結果、本来の姿を取り戻せたんだから感謝だね」
「貴女の為にやった訳じゃない。全て愛梨の為です」
間違ってもカルミアさんに引き取らせる為に愛梨と過ごしている訳ではない。
勘違いをするなと吐き捨てると、くすくすと軽やかに笑われた。
「でも、おかげでアイリが上に行く土台が出来た。それに湊の話を聞いて確信したよ。やっぱりアイリはこんなところに居るべきじゃない」
「先程も言いましたが、それは勝手な押し付けです」
「そうかもしれない、だけど見た目が整ってる所為で周囲から浮いてるのは事実だよ。アイリの見た目に相応しい場所に辿り着けば、醜い感情を向けられる事なんてなくなるし、何不自由なく暮らせる。そして、それが出来るという確信がある」
「……平行線ですね」
どれだけ会話を続けても湊とカルミアさんの思いは変わらない。となれば、もう愛梨に決めてもらうしかなくなる。
彼女もそれを分かっているのだろう。にんまりとした笑みで頷く。
「そうだね。じゃあ最後の質問というかお願いだよ。浩二に合わせて欲しい、もちろん愛梨を引き取るっていう交渉の為だけどね。もう私達がいくら言葉を交わしても、何も解決しないのは分かるでしょう?」
「そうですね。ちょっと待ってください」
あまり気が進まないが、これしか手はないようだ。
スマホを耳に当てて数コールの後、久しぶりの男の声が聞こえて来る。
『やあ湊君、久しぶりだね』
「お久しぶりです」
『それで、君から連絡して来たって事は何かあったんだろう?』
浩二さんとは世間話をするような間柄ではない。
にも関わらず連絡をしたのだから、訳ありなのはバレバレだろう。
余計な話をしないで良いのは助かるので、早速本題を伝える。
「カルミア・フローレス。……すみません、浩二さんは思い出したくないですよね」
『……そうか、あの女が君に接触してきたんだね?』
電話越しの声が一瞬で冷たいものへと変わる。こういう所は愛梨と似ているのだなと場違いな事を考えてしまった。
名前だけですぐに状況を把握してくれるのは非常に有難い。
「はい。貴方に会いたいと。そして愛梨を引き取りたいと言ってます」
『分かったよ。じゃあ今から言う日にちを伝えて欲しい。湊君も愛梨に確認しておいてくれ、申し訳ないけど合わせてくれると助かる』
当然ながら、愛梨が居ない場で彼女の事を決定する訳にはいかない。しかし、何度もカルミアさんと連絡と取り合いたくもない。
押し付けになるが、今回ばかりは時間を作ってもらうしかないだろう。
「愛梨に聞くのは構いませんが、浩二さん、まさか――」
『僕は僕が犯した罪を忘れてはいない。そして、逃げもしない』
湊の心配を一瞬で見抜き、硬い声で宣言された。
となれば、心配する事は何も無いだろう。
浩二さんの指定した日にちを伝えると、カルミアさんは柔らかい笑顔で承諾した。
話がまとまったので、彼に謝罪する。
「突然すみませんでした」
『いいや、湊君が気にする事じゃないよ。……それと、そっちが一段落したらもう一度連絡が欲しい』
「分かりました。それでは」
『ああ、それじゃあね』
小さく早口で浩二さんがお願いをしてきたので、目の前の女性に悟らせないよう短く応えて電話を切った。
「ふふ。なんだかとんとん拍子に話が進むね。湊は凄いなぁ。顔が普通なのが本当に勿体無い、高校生の落ち着きじゃないよ?」
「それはどうも」
何度か敬語を忘れて言葉を叩きつけたが、カルミアさんは気にしていないらしく上機嫌な笑顔を浮かべている。
そして、既に彼女はこの話が上手く行くと確信しているが、それは大きな間違いだ。
とはいえ、それを伝えるのは湊ではない。ぶっきらぼうに応えるとカルミアさんが話を続ける。
「やっぱり、私と一緒に来ない? 協力してくれれば、アイリの隣は駄目だけど程々に良い人を見繕えるよ?」
「お断りします」
考える必要も無いお願いを一蹴する。湊の居場所はもう決まっているのだから。
それほど真剣に考えてなかったのか、カルミアさんが傷ついているようには見えない。
「ふふ、残念。湊とならきっと上手く行くと思ったんだけどね」
「下手なお世辞はいいですよ」
「お世辞じゃないんだけどなぁ」
ふわふわと男を乱す発言をする目の前の女性は、嬉しそうに笑ったままだ。
その濁ったアイスブルーの瞳で一体何を見ているのだろうか。
「話はまとまったので、ふと思いついた質問をしていいですか?」
「いいよ。他でもない湊の頼みだからね」
「貴女の目指す場所とは、一体どこなんですか? どうなれば貴女は満足するんですか?」
他人を利用し続け、上に登り続けるこの女性はいつになったら止まるのだろうか。
湊の質問にきょとんとカルミアさんは首を傾げる。
「言ったでしょう? 私が周囲に愛されて、何不自由なく暮らせる場所だって」
「それをどんな基準で決めているんですか? それは貴女がどこまで行けば満たせるんでしょうか?」
「…………さあ? でも私を利用する人が居る限り、私は他人を利用し続けるよ」
それはつまり、いつになってもカルミアさんは止まらないという事だ。
おそらく本人はその歪さに気が付いていないのだろう。
(満たされる場所が欲しいと言いながら、他人を利用し続ける。……その先に何があるんだろうか)
行き着く先がどうなっているかなど湊には想像もつかない。
だが周囲を利用し続けている時点で、愛情とは矛盾した場所ではないだろうか。
それに気付かず先を目指すのだから、カルミアさんの行為がとても虚しく思えてしまう。
「そうですか、ありがとうございます」
カルミアさんの闇は深過ぎて、たかが高校生がどれだけ言葉を述べても、絶対に伝わる事はないと断言できる。
そもそも、最愛の人を苦しませた元凶である女性を心配するほど善人でもない。
壊れた女性にお礼を言って別れた。
『終わったんだね?』
「はい」
店を出てから少し歩き、周囲に人が居ないのを確認してから浩二さんに電話を掛けなおした。
すぐに出たので、ずっと待っていたのだろう。
「すみません。あの人の事を知る為に、浩二さんや愛梨のこれまでを話してしまいました」
『それは構わないよ、愛梨は分からないけどね。……一応聞くけど、ほだされてはいないかい?』
「当然です、俺が好きなのは愛梨だけですから」
何があってもカルミアさんに心が移る事は有り得ない。
キッパリと告げると、電話越しの声が少し明るくなる。
『なら良いんだ。……当日、湊君には迷惑を掛けると思う。それでも良いかい?』
「はい。愛梨をあの人の所に行かせない為なら何でもします」
『よし、なら当日の事をもう少し打ち合わせしようか』
未だに浩二さんが愛梨にした仕打ちは許せない。おそらく一生許す事は無いだろう。
だが、こうして協力していると、懐かしい感覚を覚える。
(……なんだか、父さんと話してるみたいだ)
初対面の時とは考えられないくらいに頼もしい電話越しの声を聞きながら、打ち合わせを続けた。