第128話 愛梨の母親
おそらく一番長い話です。
上手く切る事が出来なくてすみません。
ファミレスに入って注文が来るまで、目の前の銀色の女性はにこやかな笑みを浮かべ続けた。
初めて見た人はその美しい笑顔に見惚れてしまうだろう。実際、注文を取りに来た店員が女性を見た瞬間に固まってしまったのだから。
だが湊はこれに勝る笑顔を毎日もらっているので、動揺も見惚れもしない。
「それじゃあ初めに自己紹介だね。カルミア・フローレスだよ」
「九条湊です。よろしく」
「よろしくね、湊」
甘く人懐っこい笑顔で「湊」と言う姿が一瞬だけ愛梨と重なり、首を振ってその幻想を追い出す。
目の前の人は全ての元凶なのだ。世間話をしに来た訳ではないと気を引き締める。
「予想はしてますが、何の用で俺に接触したんですか?」
「ふふ、じゃあ何か当ててみて?」
綺麗すぎる微笑の奥の感情は隠されていて良く分からない。
乗せられているという自覚はあるが、多少乗らなければ話は進まないだろう。
「愛梨に関して、何か用事が出来た。そして本命に接触する前に周囲を味方につけたいから、俺を篭絡しに来た。でしょう?」
「うんうん、正解だよ。それしかないからね。でも湊の対応から諦めてるとはいえ、篭絡されるなんてよく言い切れるね?」
既に湊が敵対心剥き出しな上に家庭事情を知っているからか、カルミアさんは悪びれもせず言葉を放った。
自らがの企みがバレているのに、微笑み続ける彼女が怖くなる。
これまでの情報と今の発言から考えて、カルミアさんは湊に何の価値も抱いていないだろう。単に愛梨を言いくるめる為の手駒としか見ていないはずだ。
「俺に近づいたのは、単に愛梨の一番近くに居る男だからのはずです。篭絡するのもあくまで都合の良い道具にしたいから。それ以外にパッとしない見た目の俺に興味は無い。違いますか?」
「……悲観を一切せずに、そこまでしっかりと自分の見た目を評価出来るなんて思わなかったよ」
自分の容姿など重々承知している。誇りにこそ思ってはいないものの、悲しみもしない。
意外そうに目を見開かれたが、反応しないのが一番だ。
「俺の見た目なんてどうでもいいんですよ。それで、愛梨への用事は何ですか?」
「離れた娘への母親の用事なんて一つだけでしょ? 愛梨を引き取りに来たの」
離れたのはカルミアさんからなので、善意で引き取るとは思えない。
何か裏があるはずだと訝しむ。
「……何の目的で?」
「当然、我が子を心配して――ごめんごめん、そんなに睨まないで。全く、本当に面白い子だなぁ」
ふざけた言葉を放ったので本気で睨み付けると、カルミアさんは苦笑を浮かべた。
どんな感情を向けても笑みを崩さないその態度に、胸がむかむかする。
「さっきも言いましたが、貴女が愛梨や浩二さんに行った事は絶対に許せない。そんな言葉なんて信じる訳ないでしょう? それで、本当の目的は何ですか?」
二度目は許さないと硬い声で告げた。
流石に誤魔化すつもりは無いようで、カルミアさんは相も変わらずな微笑のまま口を開く。
「アイリの婚約者を見つけてきたの。顔が良くて、お金も持ってて、そして優しい人。どう? 文句無しでしよう? まあ、今は婚約者になる予定までだけどね」
湊が愛梨と親密な関係なのは十分に理解しているはずだ。
にも関わらずその発言をしたという事は、「お前では釣り合わない」と言っているに等しい。
あまりにも図々しい発言に呆れてしまう。
「それを面と向かってよく言えますね」
「事実だもの、湊の性格は予想外だったけどね。さて、まだまだお互いに聞きたい事があるだろうし、折角だからゲームしない?」
性格について言及されたが、それよりもカルミアさんの場違いな発言の方が気になる。
この緊迫した空気の中にも関わらず溌剌とした笑みを浮かべているので、何をしたいのだろうか。
「ゲーム?」
「そう。勝ち負けは無しの簡単なゲームだよ。お互いに質問して、それに正直に応えるっていう。どう?」
「それに何のメリットがあるんですか?」
「メリットだらけだと思うんだけど。私の事を詳しく知れる機会だよ?」
カルミアさんには聞きたい事が多すぎるが、その代わりに湊も質問に正直に応えなければいけなくなる。
湊が渡す情報と、彼女から得られる情報。どちらが大事かなど、悩むまでもない。
「良いでしょう。ただし、必ず正直に言うと約束してください」
「分かってるよ。今ですら湊に嫌われてるんだし、これ以上嫌われて嘘を吐かれるのも困るからね。と言う訳で受けてくれたお礼として、とりあえず情報を提供するよ。その後に質問を決めて?」
「では遠慮なくそうさせてもらいます」
一応嘘は吐かないと約束してくれたが、それがどれほど信用出来るかなど分からない。
提供される情報を元にカルミアさんの真意を探るしかないだろう。
「私は二ノ宮浩二の現在の場所を知らない、だからショッピングモールで偶然アイリと一緒に居る君を見かけて尾行したの。昔の家に行っても既に引っ越した後だったし、当然だけどスマホでの連絡もブロックされてるからね。……暫く湊達を観察した結果、何らかの理由でアイリと浩二が一緒に住んでいない事しか分からなかったのは残念だったよ」
浩二さんは九条家――今では「元」と言った方がいいかもしれないが――に住んでいる。となればカルミアさんが見つけられないのも納得だ。
そして、タイミング悪く湊達のデートが見られてしまったのだろう。
もはや後悔しても遅いのでそこに関しては気にしないが、彼女の言い方だと浩二さんにまるで興味が無いように思える。
「元夫に貴方は何も感じないんですか?」
「強いて言うなら後悔かなぁ。やっぱり信条を曲げるべきじゃないね」
後悔と言う割にはカルミアさんの顔には悲しみの色が出ていない。
信条という言葉が引っ掛かったが、今度はこちらが応える番だ。
「じゃあ私の番だね。湊は浩二の連絡先を知ってる。間違い無い?」
「そうですね」
「予想通りだね、分かったよ」
流石にマンションの中まで入って来れなかったからか、カルミアさんは湊達が同棲している事を知らないようだ。
そして浩二さんを知っている風な発言をした事から、湊が彼に連絡出来るのを推測したらしい。
とはいえ、聞かれてもいない事を話して余計な情報を与えたくはないので短く答えた。
先の展開は読めるものの、とりあえず彼女の質問は一旦終わりのようなので、湊の番だ。
「それで、貴女の信条とは何ですか? それが捨てた愛梨を今更手元に戻し、婚約者を用意するだけの理由なのでしょう?」
「わお、いきなりそこに来ちゃうか。大胆だねぇ、高くつくよ?」
「構いません。まとめて払います」
この質問形式はじりじりとしていてもどかしい。さっさと本題に入れという湊の意志をカルミアさんはしっかり受け取ったようだ。
彼女は感情の読めない微笑を浮かべながら口を開く。
「ねえ湊。人にはそれぞれ相応しい場所があると思わない?」
「場所、ですか?」
「そう。スポーツ選手は才能があるから、それを伸ばす事が出来る環境に居られる。頭が良い人はそれだけ良い場所で学べる。……だったら、顔が良い人は周囲から愛されるべきだと思うんだ」
スポーツも勉強も確かに一理ある。だが、最後の言葉には疑問を抱かずにはいられない。
顔が良ければ誰からも愛される訳ではない事を湊は既に知っている。
雨宮が、谷口が、そして愛梨がそれを証明しているのだから。
「顔が良いだけで愛されるはずがない。性格が最悪でも良いと言うんですか?」
「うん、そうだよ。だって、人間って自分に優しくて見た目が整っていれば、どれだけ性格が悪くても許すでしょう?」
「……そんな事はありません」
堂々と言われた言葉に思わず怯んでしまった。
だが、そんな無茶苦茶な理論など受け入れる事は出来ない。
気を持ち直して真っ直ぐに言い返すと、カルミアさんはやれやれと呆れた風な顔になった。
「そもそも、私のような見た目の整っている人ばかりを指差して、性格が悪いと言うのが暴論だと思うの。だってそうでしょう? 妬みをぶつけてくるのは、いつだって私より見た目が整ってない人だよ? ましてや都合よく利用しようとするような人達すら居る。そんな人達の性格が悪くないって言うの?」
「それを否定はしません。だけど、全員がそんな人じゃないはずです」
確かにそういう人は居るだろう。カルミアさんほどの見目麗しさであれば、寄って来るのはほぼそんな人なのかもしれない。愛梨とてその経験はあるのだから。
しかし、それが全てだというのは間違っていると思う。そう返すと、彼女は首を横に振った。
「ううん。私に寄って来るのは全てそんな最低な人だった。笑顔を向けただけで勘違いする男に、それを見て嫉妬してくる女。そして、勝手に私に期待して、思い通りにならなければ非難する。……何でそんな人達に都合の良い道具のように使われなきゃならないの? 顔色を窺わなきゃならないの? そんな人達を気遣う必要なんて無い」
カルミアさんの声が低くなる。
「……だったら、私も利用してもいいよね? 私を利用するんだから、利用されても文句は言えない、言わせない。この見た目にしか目が行かないなら、私はこれを使って幸せに暮らせる場所に――私を妬むような人なんて居ない、私の見た目にふさわしい場所に辿り着いてみせる」
カルミアさんは笑顔のままそう言うが、アイスブルーの瞳の奥は少しも笑っていない。
本来であれば澄んでいるはずの碧色は淀み、濁り、曇っているように見える。
(あぁ……。この人は多分、自分の見た目に振り回され続けたんだろうな)
見た目が整い過ぎた所為で人間関係があまりにも拗れ、信じられるものが自らの容姿だけとなったのだろう。
だが、それでもカルミアさんを見てくれた人は居たはずだ。
「浩二さんは駄目だったんですか?」
「ちっとも見た目を褒めなかったから、物珍しさで結婚したの。駄目だったら離婚すればいいんだし、バツイチだろうと私の見た目は愛される。……でも、私にあるのは結局それだけだから、それが無い物のように扱われるのは耐えられなかった。行動に移そうと思った時にはアイリが居たから、そこの判断は遅かったなぁ」
カルミアさんは気付いているのだろうか。見た目に振り回され続けた結果、誰よりも、何よりも自らがそれに固執している事に。
おそらく、それを指摘してもこの人の心には届かないと思う。
歩み寄れないのであれば、せめて湊が大切にしているものは守りたい。
「だから貴女は浩二さんを捨て、愛梨を捨て、自らの容姿に相応しい場所へと向かったんですか?」
「そうだよ。さっきも言った通り、誰もが私を利用するのであれば、私だって全てを利用する」
確固たる意志でそう告げられた事で確信する。
周囲の人間全てを利用する、この女の元に愛梨を行かせては駄目だ。
「だったら、貴女に愛梨は渡せません。俺の最愛の人を道具のように利用するな」
「アイリに関してはちょっと違うかな。だって、あの子は私と同じだもの」
「……貴女に愛梨の何が分かる」
当然のように同じと発言するカルミアさんを睨み付ける。
愛梨を遠くから見ただけの人が、彼女を理解しているなど納得出来ない。
「あの子が湊と一緒に居る姿は、私が男を利用する姿と一緒だよ」
「貴女と愛梨は違う。見た目だけで愛梨を測らないでください」
愛梨が湊に向けてくれる笑顔はとても真っ直ぐで一途なものだ。間違っても邪なものでは無い。
キッパリと告げても、カルミアさんはにんまりとした笑みを崩さないままだ。
「今はそうかもしれない。だけどいつかアイリは気付く、私の居場所はこんなちっぽけな場所ではないんだと」
「そんな時は来ませんよ。愛梨はずっと俺の隣に居る」
「大きい事を言うのは良いけど、この前のデートの時、湊は馬鹿にされてたよ? 『あんな冴えない奴のどこが良いんだ?』って。やっぱり、人はその見た目に相応しい場所に居るべきなんだよ」
その非難の言葉に思わず苦笑した。やはり湊には見た目の釣り合いが取れていない事がずっと付き纏うらしい。
だが、そんなものはとっくの昔に乗り越えている。
「それが何か? 見た目の違いなんて些細な事なんですよ、ましてや他人からの評価なんてどうでもいいんです。俺は愛梨が好きだし、愛梨に好かれている。それで十分なんですから。……だから、他人が余計な口を挟むな」
「……そこまで言い切られるとは思わなかったな。随分自信があるんだね?」
突き放すような言葉に、カルミアさんは初めて怯んだような表情になった。
この見た目に縛られた人には湊達の想いが理解出来ないのだろう。
「ええ、自信はあります。そして、好かれ続ける為の努力も惜しまないつもりです」
キッパリと告げると、カルミアさんが憐れみの目でこちらを見つめてきた。
「無駄な努力をするんだね。人はより良い環境を求めるものだよ、少なくとも湊の傍は違うと思う。……言っておくけど、私はアイリに全ての技術を教えるつもり。どうすれば上に行けるか、どうすれば他人を利用出来るか。そうして得られた景色は素晴らしいものだよ」
「それは貴女の意見でしかない。それを愛梨に押し付けるのは駄目でしょう」
「どうして? 周囲から愛されて、何不自由無い満ち足りた生活が出来るんだよ? それは誰もが望む世界でしょう?」
確かにそうかもしれない。だが、たった一人に愛されたいという人も居るのだ。
「住む世界を決めるのは本人です」
「そうだね、だからこの先はアイリに決めてもらおうかな。……何だか長くなっちゃったけど、私の信条はこんな感じだよ」
「ありがとうございます」
どんなに分かり合えない事でも正直に言ってくれたのは確かだ。それは淀んだアイスブルーの瞳を見れば分かる。
誠意には誠意を返さなければと頭を下げると、カルミアさんが息を飲む気配がした。
「……湊って変な子だね、普通ここまで言われたらお礼なんて出ないと思うんだけど。それに、こんなに正直に話した事なんて一度もなかったな」
「そうですか」
「残念だなぁ、湊の見た目がもう少し整ってたら良かったのに。性格は結構気に入ってるだけに、本当に勿体無い」
友好的な態度など取ってはいないのだが、何がカルミアさんに気に入られたのかは分からない。
だが、彼女と一緒に居ても利用されるのが分かり切っている。そんな人の下に着くのはごめんだ。
「捨て石にされたくはないので、俺は安心しましたよ」
「でも、気が変わったらいつでも言ってね。湊が願うのであれば使ってあげるから」
面と向かって利用するという発言をされて、背筋が寒くなる。この時だけは見た目が平凡で良かったと心から思った。
だが、同時に疑問が浮かぶ。
「貴女はいつもそうやって堂々と利用すると言ってるんですか?」
いくら気に入ったとしても、なぜ初対面の湊に対してカルミアさんがここまで正直に言ったのかが分からない。
普段から周囲に利用すると公言しているのであれば湊への対応も納得出来るが、どうも違う気がする。
案の定、カルミアさんはきょとんと首を傾げた。
「うん? 違うよ?」
「じゃあ、なぜ俺には正直に話したんですか?」
「それは約束だったからでしょう? 正直に話すって言ったじゃない」
不思議と今のカルミアさんには濁った感情が無いように思える。
確かに約束通りなのだが、彼女の闇の部分はそうそう人に言えるようなものではないはずだ。
「それにしてもプライベート過ぎるでしょう。約束だからって敵対している人に一番重要な事を教えるんですか?」
「教えた結果、この先の要件に問題が発生するなら考えがあったんだけどね。どうもその必要はないみたいだし、いいかなって思ったの。……まあ、あんなにすらすら言ったのは自分でも不思議なんだけど」
カルミアさんには考えがあったようだが、どうせ良いものではないので聞きたくない。
そして、どうやら彼女は自分があっさりと内心をバラした理由が良く分かっていないようだ。
一応予想しているものの、絶対に伝わらないだろうと口を閉ざす。
(貴女が本当に欲しかったのは、見た目ではなくそれ以外を見る人だったんじゃないんですか? ……浩二さんのように)
カルミアさんの言い分だと、浩二さんは見た目を褒めなかったらしい。
その点だけ見ると、最初の頃の湊と愛梨に非常に似ている。
そして、カルミアさんは見た目に揺らがなかった湊に似たものを感じたのだろう。
だからこそ、あれほど素直に心の中を打ち明けてくれたのだと思った。
(……でも、この人はそれを忘れてしまった。なんだか、悲しいな)
浩二さん一人が寄り添っても、カルミアさんの心の闇は大きすぎて晴らせなかった。
あるいは、お互いに歩み寄りを失敗したのかもしれない。
その結果、彼女は本当に欲しかった物すら自らの手で捨てたのだろう。
「うーん、なんでだろうね。……良く分かんないや、前にもあった気がするんだけどなぁ」
自らの見た目によって狂った女性は、落とし物に気付かずに物思いにふける。