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第125話 想いを込めたケーキ

「……おかえりなさい」


 用事を済ませて家に帰ると、顔を曇らせた愛梨が迎えに来てくれた。

 彼女の望みであった一日中一緒に居るというのは叶える事が出来なかったので、優しく銀髪を撫でながら改めて謝罪する。


「お願い、叶えられなくてごめんな」

「それはもういいんです。むしろ、湊さんが出掛けたのは私の為だと分かった上で拗ねてしまいました。本当にごめんなさい」


 どうやら愛梨は機嫌が悪いのではなく、湊が出掛けた事で冷静になり、自分の取った態度に落ち込んでいるようだ。

 しゅんと沈む彼女を励ます為に笑顔を向ける。


「あれくらいの我が儘なんて可愛らしいもんだ、気にすんな」

「全く、優し過ぎますよ。……もう十分プレゼントはもらっているのに」


 愛梨は湊が持っている白い箱を見て、嬉しさの中に気まずさを混ぜた笑みを浮かべた。

 この中身が何となく分かっているのだろう。


「俺がやりたいだけなんだから、良いんだよ」

「湊さんはずるいです」


 愛梨がぷいっとそっぽを向いて居間に戻る。行き場の無い感情をどうすればいいか分からないようだ。

 そんないじらしい態度に胸が温かくなり、湊も後を追った。



「さあさあ、是非お願いします」

「いや待て、本当にやるのか?」


 愛梨の機嫌はすぐに戻ったが、そんな彼女がお願いしてきたのはマッサージだ。

 (いわ)く、今まで一度もされた事が無いので体験してみたいらしい。

 今更感があるが、女性の体をあちこち触るのだ。それに愛梨は湊のスウェットしか着ていないので、マッサージとなると確実に下が見えてしまうだろう。

 すぐに寝転ぼうとする彼女を制止すると、きょとんと首を傾げられた。


「当然です。お詫びをしてくれるんですよね?」

「それはそうなんだが、下が見えるぞ」

「普段チラチラと見られているので、別に構わないかなとも思ったんですけどね。流石に今回は対策しましたよ」


 どうやら、愛梨にはいつも下半身を見ていたのが完全にバレているようだ。

 申し訳ないとは思うものの、あまりに無防備な恰好をされては男としては仕方ないと言い訳したい。

 口を開こうとしたのだが、彼女がゆっくりとスウェットを持ち上げていく姿を見て言葉に詰まった。

 そこから目が離せずにいると、普段とは違う黒い布地が見えてくる。


「えっちな湊さんには残念ですが、今はスパッツを履いてるんです。ふふ、期待しましたか?」

「……」


 完全に見える位置までスウェットを上げた愛梨が声を発したが、今の湊にはよく聞こえなかった。

 真っ白な肌に黒のスパッツは非常に映えており、ぴっちりとした体のラインが艶めかしい。

 正直なところ、下手な下着よりかも心にくる。


「おーい、湊さーん」

「え!? な、何だ!?」


 何の反応もせず魅力的なそこに視線を注いでいると、頭上から声が掛かった。

 ようやく我に返って見上げると、じとっとした目の愛梨がこちらを見下ろしていた。


「……まさか、ここで湊さんの新たな趣味が発覚するとは思わなかったです。どれだけえっちなんですか?」

「いや、これはずる過ぎるだろ」

「下着じゃないんですが?」

「それでもだ。なあ、他のにしないか?」


 おそらく、湊の心の乱れが愛梨には良く分からないのだろう。だが、これは凄まじく目の毒だ。

 からかわれるのも覚悟でお願いすると、彼女が意地悪な笑顔を浮かべた。


「でしたら、脱ぐしかありませんね。どっちがいいですか?」

「……このままで」

「ふふ、では早速お願いしますね」


 究極の二択に頭を悩め、結局選んだのは現状維持だ。

 スパッツを脱いだ愛梨にマッサージをするとなれば、湊は確実に理性を失う。

 渋々言葉にすると、彼女は何の気負いもなく布団に横になった。


「あ、好きなだけ見ていいですからね?」

「……程々にしとく。それじゃあ行くぞ」

「はい」


 男の欲望を肯定されたのが恥ずかしく、強引に話を変えてから彼女の体に手を伸ばす。

 まずはいつもやってもらっているように腕からだろうと、細くて柔らかい腕を揉んだ。


「んっ……。他人に腕を揉まれるのはくすぐったさもありますが、気持ち良いですね。力加減もばっちりです」

「なら良かった。普通、自分以外の人がこんなに触れてくる事なんて無いからな。……にしても、ほっそいなぁ」


 愛梨の感度であればくすぐったがってマッサージにならないかと思ったが、際どい場所でなければ大丈夫のようだ。

 ふにふにとした二の腕はとても細く、こんな腕で折れないかと心配になる。

 それでいて運動神経が抜群なのだから、人間の体は不思議なものだ。


「湊さん的には細いのは駄目ですか?」


 湊の一言でこれからの愛梨が決まってしまうような事をさらりと尋ねられた。

 一瞬どうしようか迷ったものの、本心を伝える。


「愛梨のありのままで良いよ。……正直なところを言うなら、今が一番良いけどな」

「でしたら、このままにしますね」

「無理すんなよ。強引に体型を維持するのってストレス溜まるらしいからな」


 これ以上細くなると病気かと思ってしまうくらいの細さになるので、あまり無理はして欲しくない。そして、神経を使ってまで体型を維持するのは違う気がする。

 湊の気掛かりをしっかりと汲み取ってくれたようで、愛梨の体が震えた。


「ふふ、分かりましたよ」

「じゃあ次だけど、腰とか脇は駄目だよな?」

「腰は背中の方なら大丈夫ですが、側面は駄目です。脇は絶対に無しでお願いします。……そもそも脇ってマッサージに必要ないですよね?」

「悪かった」


 やはり敏感な所は駄目のようで、きっぱりと断られた。

 脇については確かにマッサージに関係無い場所なので、咎めるような声に謝罪してから肩を揉む。


「……随分凝ってるな。大丈夫か?」


 肩も柔らかいかと思ったのだが、想像以上に凝っていたので心配になって尋ねた。

 もちろん女性らしい薄さではあるし、柔らかさも多少感じるが、それにしてもこれはおかしい。


「ええ、私は女性の中でも割と大変な部類ですよ。なので、本当に気持ち良いです。はぁ……」


 愛梨が心の底から漏れ出したかのような溜息を吐いた。ここまでリラックスした声は(ほとん)ど聞いた事がなく、よほど気持ち良いようだ。

 彼女の発言からすれば女性の中でも差異が生まれているようだが、なぜだろうか。


「大変じゃない人っているのか?」

「ええ、いますよ。これを私が言うとそれらの人に恨まれそうですが、聞いているのは湊さんだけですし、問題ないでしょう。胸ですよ」

「……そういう事か。変な事聞いて悪かった」


 愛梨の胸の大きさなら肩が凝ると言われると納得出来るし、下手をすれば特定の女性を敵に回してしまう。

 デリケートな話題なのに深く考えなくて悪かったと謝罪すると、くすくすと笑い声が聞こえてきた。


「ふふ、湊さんの大好きなこれを維持するのも結構大変なんですよ?」

「大好きって、言い方が――」

「おや、違うと? 先日はあんなに甘えてくれたのに」

「……すみません、大好きです」


 湊がどろどろにされた日の事を持ち出されれば、勝ちの目は無くなる。そもそも女性の胸が嫌いな人はそう居ないだろう。

 負けを認めて正直に言うと、愛梨が足をぱたぱたと上機嫌に動かした。


「えっちですねぇ。(ちな)みに、この体勢って枕が無いと結構辛いんですよ? なにせ胸が潰れて――」

「もういいから! はい次だ、腰行くぞ」

「おや、残念で――。ひぅ!?」


 このままでは愛梨にからかわれ続けてしまうので、場所を変えて腰に手を当てる。

 彼女の要望通り背中側だけしか触れていないが、それでも変な声が聞こえてきた。


「あ、や、背中、だけ、なのに。これ、だめぇ……」

「嫌だったら止めるけど」

「そうじゃ、なくて、気持ちい、です、けど。……あ!? そこ、ぐりぐり、して?」


 なんだかんだで腰も凝っていたようだが、愛梨があまりにも艶めかしい声を上げるので、違う事をしているような気になってくる。

 しかも言い方が勘違いさせるようなものなのだから、非常に心臓に悪い。


「や、あっ。ふ、あ、あっ……」

「……なあ、大丈夫か? やっぱり止めようか?」

「や、だ。やめ、ない、で?」


 びくびくと愛梨の体が大きく反応するので、それを理由にマッサージを終われないかと考えたのだが、続けて欲しいようだ。

 湊の方を向いて懇願(こんがん)してきた彼女の瞳は、気持ち良さからとろりと溶けている。


「……ああ」


 ただマッサージしているだけなのだから、理性を失くす訳にはいかない。

 湊を誘惑する声と体に心を削られながら、無心を意識して手を動かした。





「それじゃあ今日の用事のお披露目といきますか」


 なんとかマッサージを終え、それからいつも通りの穏やかな一日を過ごしてもう夜だ。

 晩飯は外食で贅沢をしても良かったのだが、愛梨が譲らなかったので普段と変わらない物を食べた。

 そして食後、湊が彼女の望みを叶えずに取りに行った物を冷蔵庫から持ってくる。

 愛梨の目の前に置くと、「もう十分プレゼントはもらっている」と言っていた割には目を輝かせているので、内心では結構楽しみなのだろう。


「開けていいですか?」

「どうぞ」

「では……。ケーキに、メッセージ?」


 愛梨は普通のホールケーキを想像していたようだが、これは違う。

 店に予約しなければ作れないメッセージケーキという物で、その名の通りケーキの上面にメッセージが書いてあるものだ。


「『いつもありがとう。大好きだよ、愛梨』って……」

「まあ、俺のセンスじゃあ綺麗な言葉なんて考えつかないからな。だったら正直に伝えようと思ったんだ」


 もちろんこのメッセージも湊が依頼したもので、本来はもう少し書けるようだが、良い言葉が思いつかなかった。

 その件は非常に申し訳ないので苦笑しながら言うと、愛梨が急に顔を(うつむ)けた。

 更に肩が震えだしたので、もしや失敗してしまったのかもしれない。

 どうしたものかと思っていると、彼女の膝に雫が落ちた。


「ずるい、です。こんなの、卑怯ですよ……」

「えっと、嫌だったか?」


 震える声に責められているうちに、どんどん雫が落ちていく。

 おそるおそる尋ねると、涙を零しながら愛梨が顔を上げた。

 その表情は泣き笑いなので、どうやら嫌ではないようだ。


「こんな素晴らしい物を嫌う訳無いじゃないですか」

「手作りでもないし、大した言葉でもないぞ?」

「でも、貴方の気持ちがこもっています。それだけで何物にも勝る宝物ですよ」

「なら良いんだ」


 実際のところメッセージを悩みはしたし、しっかりと気持ちは込めたつもりだが、大した労力は掛かっていない。

 それでもこれほど喜んでくれるのなら、湊のちっぽけな考えも役に立ったと思える。


「最高の誕生日ですよ。化粧品に、ペア用品に、このケーキ。多すぎます、もうお腹いっぱいですよ」

「それは困る。これは愛梨の為のケーキだ、食べてくれないとな」


 確かにあれこれと渡した気がするが、今日のサプライズという点ではケーキだけだ。あまり胸を張れるような事ではない。

 これを食べてくれないと買った意味がなくなるので、冗談混じりに言うと愛梨が満面の笑みになった。


「分かりましたよ、ではいただきます。……と言いたいところですが、早速我が儘を言って良いですか?」

「もちろん。何でも言ってくれ」

「このケーキ、食べさせてくれませんか? 貴方からの贈り物を、貴方の手でいただきたいんです」

「お安い御用だ。ほら」


 いじらしいお願いを断る理由など無い。

 ケーキを切り分けて愛梨の目の前に差し出すと、彼女は小さい口を開ける。


「あーん。……ん、おいひぃ」

「専門店のものだからな。味は保証出来るぞ」

「そういう事じゃないですよ、もう……」


 どうやら的外れの事を言ってしまったようで、愛梨から一瞬だけじとっとした視線をいただいた。

 だが彼女はすぐにその表情を緩める。


「ね、湊さん、もう一口」

「はいよ。ほら、あーん」

「あーん。んー、幸せです」


 愛梨の言う通り、こんなささやかなお祝いでも十分に湊達は幸せになれる。

 それはとても素晴らしい事だとケーキを食べさせつつ思った。

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[一言] 愛莉の好感度が上限突破…いや、まだ上昇しているだとっ
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