第124話 冬休みの始まり
湊達の高校は珍しいようで、十二月二十四日に終業式が行われる。
去年までならそんな事など心底どうでも良いと思っていたが、次の日が愛梨の誕生日なので、ゆっくり時間を取れるのは有難い。
そして愛梨とデートした日から数日経ち、何事も無く終業式が終わって冬休みとなった。
ロングマフラーを巻くのにも慣れ、紺色のそれが下校中の二人を繋いでいる。
「なんだか機嫌が良くないか?」
今日は特に何かがあった訳でも無く、いつもと変わらない日常だったはずだ。
それにしては愛梨の機嫌が妙に良い。
「そうですね。誰にも告白されない終業式というのは随分久しぶりなので、気が楽なんですよ」
「夏休みの時は多すぎてうんざりしてたからなぁ」
愛梨の言い方からすると中学か、下手をすればそれ以前からこういう日は告白が絶えなかったのだろう。
今回は既に湊達が付き合っている事が周囲に広まっているので、誰も告白しなかったようだ。
仮にされたとなれば周囲から湊が愛梨の恋人として全く認められていないという事になるが、それでも構わないと今は胸を張って言える。
とはいえ彼女が苦労していたのは変わらない。苦笑気味に言葉を零すと、満面の笑みを向けられた。
「だから付き合ったという訳ではありませんが、告白される事が無くなったのが湊さんのおかげというのは変わりません。本当にありがとうございます」
「感謝される事じゃないさ」
前に進みたいという湊の意志で頑張ったのであって、感謝されるのは違う気がする。
首を振って否定すると、繋がれた手の甲を軽く抓られた。
「……こういう場合は素直に受け取るか、彼氏として少しくらい強気な事を言えばいいんですよ、ばか」
「悪かった」
「もっと自信が出るように、また甘やかしましょうか?」
「今度から素直に受け取るから、あれは本当に勘弁してくれ」
愛梨の誕生日プレゼントを買った日、感極まった彼女に抵抗する気力が無くなるまで甘やかされた。
僅かに残った理性で手を出す事は抑えたが、何も考えずに彼女に縋りついたのだ。恥ずかしすぎて思い出したくない。
「私としては毎日やりたいくらいなのですが?」
「俺を駄目にしてどうするつもりなんだ……」
当然だとでも言わんばかりの笑顔を浮かべながら恐ろしい事を言ってくるので、顔が引き攣ってしまった。
そもそも湊は既に駄目にされている気がするが、言葉にすると余計にややこしくなりそうなので止めておく。
呆れ気味に尋ねると、とろりと蕩けた笑みが返ってきた。
「決まっているでしょう? 私無しでは生きていけなくするんですよ」
「堂々と言い切ったな。もう十分なってるよ、愛梨が居ない生活なんて考えられないって」
最近、愛梨の発言が更に危ないものになっている気がする。
彼女の愛情が重すぎるというのは十分に分かっているが、もはや依存に近いだろう。
とはいえ、それが嬉しいと思うのだから湊も相当なものだ。
実際、愛梨の居ない生活など考えられないので、こちらも十分依存している。
「もっとですよ。まあ、それは少しずつやっていきます。……ところで、明日はバイトが休みでしたよね?」
「あぁ、休みだな」
どう考えても少しずつではないが、わざわざ突っ込んで墓穴を掘りたくはない。
バイトに関しては愛梨の誕生日をゆっくり過ごしたかったので、休みを取っている。
だからといって、「愛梨の為だ」などと恩着せがましく言うつもりはない。
素っ気なく応えたのだが、彼女は湊の意図を読み取ったようで目を輝かせた。
「でしたら、明日は一日中一緒に居てくれますか?」
「……悪い、午前中だけ出掛けてきていいか?」
本来であればずっと一緒に居たいし、その為にバイトを休んだのだが、彼女の為にもこれだけは外せない。
誠心誠意お願いすると、愛梨は笑顔を引っ込めて露骨に不機嫌アピールをしてくる。
「むぅ。……絶対に外せない用事なんですよね?」
「本当にごめんな。午前中だけだし、帰ったらお詫びするから」
「でしたら、それでお願いします。……あの、すみません。何をするか、聞いてもいいですか?」
内容を言わなかったので不安を覚えたのだろう。愛梨が眉を下げて尋ねてきた。
強引に聞くような事はしたくないが、気にはなるという複雑な気持ちがその表情に現れている。
(ネタ晴らしはしたくないけど、かといって不安にさせ続けるってのも駄目だしなぁ……)
決して愛梨を困らせたい訳ではなく、むしろその逆なのだが、全てを伝えるというのはプレゼントを贈る側としてなかなかに情けない。
結局、あまり言い過ぎない範囲で伝えるべきだと判断した。
「愛梨の誕生日に関わる事だよ。昼には絶対に帰ってくる」
「……またプレゼントですか? もう十分もらってます、これ以上は過剰ですよ」
詳しく言わずとも愛梨はきちんと理解したようで、その表情には嬉しさと申し訳なさが混ざっている。
ある意味プレゼントではあるが、決して過剰だとは思わない。
むしろ何も手作りをしていないのだから、全く釣り合っていないだろう。
「いいや、足りないくらいだ。とは言っても、愛梨の誕生日について隠してることはこれだけだな」
「……そうですか」
正確には湊の誕生日以降、お互いに言葉にしていないものが残っているが、ここでそれを言う訳にはいかない。
それが理由だからなのか、愛梨が妙にそわそわしているように感じる。
だが確認を取るのは流石に恥ずかしいようで、うっすらと頬を赤らめつつも尋ねては来ない。
「分かりましたよ、ちゃんと帰ってきてくださいね?」
「もちろんだ」
愛梨が納得してくれて話が一段落すると、ちょうどマンションのエントランスに着いた。
いつものように郵便受けを見るフリをして周囲を確認すると、隠れようとする人影が目に入る。
(どういうつもりなんだか……)
初めて視線を感じてから今日まで、毎日ではないにしろ観察されていた。
愛梨はこの調子であれば危害を受けはしないだろうと、既に視線の主に対して興味を失っているが、湊は気が気でない。
視線の主が全く接触してこないので、薄気味悪さを感じつつもその場を後にした。
次の日の午前中となり、もう少しで事前に言っていた通り外出しなければならない時間だ。
昨日は納得してくれたものの、いざ当日になると再び愛梨が不機嫌になった。
少しでも一緒に居たいようで、準備を終えた湊に抱き着いてくる。
(こういう面倒臭い所も可愛いんだけどさ)
ぐりぐりと顔を胸に押し付けてくるので、あやすように頭を撫で続けた。
出来る事ならずっとこうしていたいが、流石に時間が迫って来ている。
断腸の思いで華奢な肩を叩き、愛梨を促した。
「そろそろ時間だ。ごめんな、すぐ帰ってくるよ」
「……分かりました」
自分の為だというのが分かっているので、愛梨は素直に離れた。だが、その顔には不満がありありと浮かんでいる。
とはいえ、この件は引くわけにはいかない。なんとか宥め、湊の家の近くでは一番の洋菓子店に向かった。
もちろんケーキを買いに来たというのが目的だが、普通の物では彼女への日頃の感謝は返せない。
予約していた時間通りに来ると、にこやかな笑みを浮かべた店員が近づいてくる。
「予約していただいた九条様ですね?」
「はい」
「ではご注文の品は出来ていますので、確認をお願いします」
「……はい、これで大丈夫です」
湊にはケーキを手作り出来るような料理の腕前など無い。だが、そうであっても出来るだけの努力はした。
会計を済ませると、店員が話し掛けてくる。
「彼女さんへ、ですよね?」
「はい。大切な、大好きな人への感謝の気持ちを、少しでも返したくて」
「ふふ、お幸せに。またのご来店をお待ちしております」
これで全ての用事が終わった。
素晴らしい誕生日にしてみせると意気込み、店を出て家へと歩き出す。
背中に刺さる視線を振り払いながら。