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番外編5 夢中になり過ぎた結果

愛梨視点です。

「湊さん、キスの練習をしませんか?」


 彼の誕生日の次の日、私の特等席と化している腕枕に頭を乗せながらそう尋ねた。

 昨日は三回目でようやくあの素晴らしい感覚を味わえたのだ。その後沢山したとはいえ、全く満足などしていない。

 練習というのは完全に建前なのだが、どんな理由であれ何回も出来る思うと胸が弾む。

 それに最初失敗したことを彼が気に病み、キスをしてくれない可能性もある。

 彼の顔が曇ったので、私の予想は当たっていたようだ。


「良いのか?」

「むしろ何を遠慮しているんですか? 『何度もして慣れていきましょう』って言ったじゃないですか」

「……また失敗したら流石に情けなさ過ぎるし、がっついてるようでみっともなく思わないか?」


 やはり彼は昨日失敗した事を気にしているらしい。それに、昨日の今日で求めると嫌われるのではないかと不安に思っているようだ。

 私を大切に想ってくれるのは嬉しいが、ほんの少しだけ呆れてしまう。私はとっくに彼の物なのだ、今更何を遠慮する必要があるのだろうか。

 何回失敗しても構わないし、嫌いになる事など有り得ない。がっつかれるのはそれだけ求められているようで、むしろ嬉しくなる。


「もう……。気にしないで良いって言いましたよね? 情けないとも、みっともないとも思いませんよ。私、全然物足りないんですが」

 

 もっと先の事をして欲しいとも思っているが、私が遠回しに言った事で彼は絶対にこれ以上進まないだろう。

 であれば、せめてこれくらいは求めても良いはずだ。その結果彼の限界が来たのなら、それはそれで構わない。


「だから、ね。しましょう?」


 狡賢(ずるがしこ)いとは思うが、こういう言い方をすれば彼は絶対に断らない。

 それに昨日の態度からして、嫌ではないのは分かり切っている。

 至近距離で彼の顔を見つめると、私の好きな少し困ったような笑顔を見せてくれた。


「……分かったよ。それと、意気地なしでごめんな」

「そんな事思ってませんよ。気負う必要が無いくらいに慣れれば良いんですから」


 決して彼が意気地なしだとは思わない。それは私の事を第一に考えてくれている証拠なのだから。

 お互いに慣れてしまえば不安を抱く事は無くなるだろうと伝えると、彼の骨ばった手が私の頬にそっと触れた。


「じゃあ、行くぞ」

「はい」


 私とは違う大きな手で抑えられると、抵抗する気など失せてしまう。

 ゆっくりと優しい顔が近づいてくる。

 黒に近い茶色の瞳。その中に私だけしか映っていないという事実に、ぞくぞくと背筋が震えた。


(もっと、もっと見て欲しい。私だけしか見ないで)


 醜い独占欲を出し過ぎると駄目だろうから、心の中で思うだけにしておく。

 彼に嫌われるのだけは避けなければならない。


(お墓参りの時は怖かったなぁ……。まさかあの人に会うとは思わなかった)


 あの時は彼が帰って来るまで心細くて泣きそうだった。

 この生活が失われてしまうのではないか、何かの拍子に彼が心変わりをするのではないかと不安に押しつぶされそうになっていた。

 だが、彼はそんな事も無く私を傍に置いてくれている。それがどれだけ嬉しいか、きっと伝えきれていないのだろう。

 そんな風にこの前の出来事を思い返していると、彼の唇が私のそれに触れた。


「ん……」


 男性というイメージの割に柔らかな唇の感触は、一瞬にして私の不安を奪っていく。

 彼とこうして触れ合えるのが私だけという実感に、思考が甘くしびれた。


「ふ……。みな、と、さん」


 昨日は抑えが効かなくて求めたものの、数回やった程度では二人共慣れなどしない。

 お互いに初心者だという事実は嬉しいが、長いこと触れ合っていると息がしづらくなるのは残念だ。

 出来る事ならずっと、もっとこうしていたいと思う。

 だが現実は非情で、私達の唇は離れてしまった。


「……良かった、今回は一回目からちゃんと出来たな」

「そう、ですね。でも、まだ足りません、もう一回、良いですか?」

「もちろんだ」


 失敗しなかった事で肩の力が抜けたのだろう。息を整えた彼が先程よりもスムーズに唇を触れさせてくる。

 この調子であれば、遠慮せずに求めてくれる日も近いのかもしれない。

 そして緊張が解けたからか、彼が少しだけ()むように唇を動かした。


(気持ち良い……)


 彼の唇の感触に(とりこ)になるのは勿論(もちろん)だが、私を求めてくれる態度に心が溶かされる。

 お返しとばかりに感触を味わうと、びくりと彼の体が震えた。


「は、ぁ……。愛梨?」

「ふふ。湊さんがするのなら私も良いでしょう? ね、もう一回」

「分かったよ」


 何度も何度も唇を合わせていると、時間の感覚がおかしくなっていく。

 何回目なのか、何時なのか、そんな些細な事よりも彼を味わいたい。

 彼と少しでも離れているのが寂しくなり、体を密着させた。

 温もりが、匂いが、頭を撫でてくれる手が、唇の感触が、そして彼を独占しているという実感が、私を狂わせる。


「あい、り。ちょっと、すとっ、ぷ」

「や、です。もっと、もっと、しましょう?」


 お互いに息も絶え絶えだが、そんな些細な事はもはやどうでもいい。呼吸すら(わずら)わしく思い、唇を押し付けた。

 この麻薬のような感覚を少しでも長く味わっていたい。これが無くなるなど考えたくもない。

 身も心も溺れた私は、本能のままに彼を求め続けた。





「愛梨、起きてくれ! 頼む!」

「んぁ……。 おぁよう、ごじゃいましゅ」


 体をがくがくと揺さぶられる感覚と、いつもであれば優しい声が切羽詰まっている事に違和感を感じ、目を開けた。

 どうやらいつの間にか寝てしまったようだ。体も思考も重いので、かなり寝不足なのが分かる。

 それにしても穏やかではない。彼は私が朝弱い事を知っているのに、なぜこんな無理矢理な起こし方をしたのだろうか。


「どうしたん、ですか?」

「遅刻だ」

「……はい?」


 今、聞き慣れない言葉を聞いた気がする。

 しっかり者の彼であれば、絶対にそんな事を起こさないはずだ。

 呆けた声を出した私を、彼は眉を下げながら見つめる。


「寝坊した、本当にごめん。今から急いで準備すればギリギリ間に合う、お願いだから急いでくれ」

「……」


 彼の言葉を聞き、ゆっくりと時計に視線を向けると、針はとんでもない時間を示していた。


「愛梨、頼む!」

「は、はい! 急ぎます!」


 必死な声に(うなが)され、跳ねるように動き出す。

 一回くらいの遅刻ではおそらく評価に問題は無いと思うが、彼と一緒に遅刻というのは普通有り得ない。

 いくら恋人とはいえ、一緒に住んでいるのが周囲に知られるとややこしい事になるだろう。何としてでも間に合わせなければ。

 スウェットを剥ぎ取るように脱ぐと、彼が一瞬で赤面して後ろを向いた。


「お、おい、愛梨!」

「すみません、今は一刻を争います! 絶対に怒らないので、着替えさせてください!」


 私の方が準備に時間が掛かるので、ゆっくりしている暇など無い。

 多少見られるのもお構い無しで着替えを済ませ、顔を洗って歯を磨く。

 彼と一緒にその他の準備を整えると、頑張った甲斐があり、早歩きで何とか間に合う時間だ。

 残念ながら朝食は摂れないが、今日は仕方ないだろう。


「行きましょう、湊さん!」

「あ、ああ」


 余計な事をせずに速足で歩き出す。

 なんとか間に合う目途が立ったことで、ようやく今の状況になった原因に思考が向いた。

 良く考えずとも、思い当たる節など一つしかない。


「……今日の寝坊の原因って私ですよね」

「愛梨の所為(せい)じゃない――って言いたいとこだが、残念ながらその通りだ。いくら寝ろって言っても聞かなかったし、昨日俺が最後に時間を確認したのは三時だぞ」

「あぁ……」


 今回ばかりは彼も擁護(ようご)出来ないのだろう。気まずそうな笑みで告げられた言葉に肩を落とす。

 どうやらそんな時間まで彼を求めてしまったらしい。


「という訳で、(しばら)くは練習を一日一回にするか」

「えぇ……。でも、物足りません……」


 あんなに素晴らしい行為を一日一回だけなど勿体無さすぎる。

 私の所為(せい)なのが分かっていても、文句を言わずにはいられない。

 せめてもう少し譲歩してくれと言うと、彼が苦い顔になった。


「俺だってそうだよ、だから一日一回にしたんだが……。はぁ、仕方ない、次の日が平日なら一回だけだ」

「……なるほど、そういう事ですか」


 彼の遠回しな言葉はすぐに把握出来た。

 やはり彼も物足りないと思ってくれているのだろう。


(つまり、次の日が休日であれば何回やっても良いって事だよね。……本当に、優しいなぁ)


 今回の原因は全て私にあるにも関わらず、怒りもしない彼は優しすぎる。

 これ以上我が儘を言う訳にはいかないので、次の週末を楽しみに思いながら学校への足を速めた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 愛莉さんが自重を投げ捨てた… [一言] たしかに慣れていないならこういう失敗はあり得るから、問題なく表現できてると思いますよー(前回いただいた感想返しの所感
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