第11話 マッサージ1
「九条先輩、体は大丈夫ですか?」
夜飯を食べ終えて、のんびりしていると愛梨が心配そうにこちらを見つめてくる。
なんだか最近似たような事ばかり言われるなと湊は思った。
「大丈夫、健康そのものだ」
「ですが、最近よく腰を叩いてますし、自分で肩を揉んでいるじゃないですか」
「……マジか、全然気づかなかった」
湊は一瞬動揺したものの、なるべく白々しくならないように答えた。
この前の一真への返事と全く同じになってしまったが、当然愛梨は一真の事を知らないので何も問題は無い。
一応愛梨にバレてはいけないと、家では肩等を揉まないように意識していたはずなのだが、どうやら無意識でやっていたらしい。
原因は分かりきっているものの、愛梨に言う訳にはいかない。解決策も特に思いついていないので尚更だ。
心配そうな顔をした愛梨の表情が更に曇る。
「やっぱり、床で寝ているからですよね?」
「気のせいだろ」
ここは誤魔化すしかない。そうだと認めてしまえば愛梨は替わろうとするだろう、それは絶対に駄目だ。
そんな事をするくらいなら、体の痛みが酷くなっても床で寝続ける覚悟が湊にはある。
「嘘つかないで下さい。普通床で寝ていたら体は休めませんよ」
「……仮にそうだとしても、どうしようもないだろ」
「確かにそうかもしれませんが、嫌なら嫌だと言って下さい」
「俺は嫌だと思ってない」
これは湊の本心であり、本当に嫌だと思っていない。愛梨を床で寝させる方がよっぽど嫌だ。
湊がそっぽを向いて愛梨の追求を拒絶すると、大きく溜息を吐かれた。
「ならこう言います。私の所為で九条先輩が辛くなるのは、私が嫌なんです」
「自分の所為なんて言うな、二ノ宮の所為だなんて本当に思ってないから」
床で寝ると言い出したのは湊だ、愛梨の所為になんてするつもりはない。
「でも体は辛いんですよね?」
「それは、まあ……」
眉を寄せながら首を傾げる愛梨。
実際のところかなり体は辛い、そろそろ本気で何か対策を考えなければいけないと思っていたくらいだ。
湊が言い淀むと愛梨は目を閉じて深呼吸し、意を決したような真剣な表情になった。
「でしたら、私がマッサージしていいですか?」
「……は?」
突然何を言い出すのだろうか。全く意味が分からず、間抜けな声を出してしまった。
「別に無理しなくていいんだぞ?」
「無理なんてしてません、普段私を布団で寝させてくれるお礼です、やらせて下さい」
愛梨の目は笑っておらず、絶対に引いたりしないという意思が感じられる。
「お礼も何も自分で出来るんだが、実際やってただろ?」
「結構適当にやってたじゃないですか。本格的にやりましょう」
「それなら自分でちゃんとやるようにするから。二ノ宮も男の体なんて触りたくないだろ?」
「私がやりたいんです、それに九条先輩の体なら大丈夫です、お願いします」
まくしたてるように愛梨が言う。そして深く頭を下げられた。
湊もそうやって洗濯物を干す時に頼んだので断り辛い。
結局、ほんの少ししてもらい、すぐに止めさせればいいだろうと判断した。
「……分かった、すまんが頼む」
「任せて下さい」
「さあ先輩、寝そべって下さい」
「別に床でもいいんだが」
「駄目です」
二週間半ぶりに布団に寝転び、枕に顎を乗せてうつ伏せになる。
どうせすぐ止めさせるのだし湊としては床でいいのだが、折角だからリラックスして欲しいということで布団の上に決められた。
(……滅茶苦茶いい匂いがする)
久しぶりの布団からは甘い花のようないい匂いがする、愛梨の匂いが移ったのだろう。
愛梨を意識してしまい、早くなる鼓動を必死に鎮めようとしていると頭上から声が掛かる。
「始めますね、痛かったら言ってください」
「ああ、頼む」
二ノ宮のひんやりした手が体に触れる、まずは腕らしい。
恐る恐る触れてくるので、気持ちいいというよりはくすぐったい。
「力加減はどうですか?」
「大丈夫だぞ」
ほんの少しさせるだけであり、別にちょうどいい力加減にしてもらう必要は無い。
なので嘘をついたのだが、愛梨の声が凄みを帯びた。
「嘘ついたら私、本気で怒りますからね」
「……もうちょっと強めに頼む」
「正直に言って下さいよ。……これくらいでいいですか?」
「ああ、ちょうどいい感じだ」
嘘をついたらどうなるか分からなさそうな雰囲気だったので、正直に強さを伝えると呆れたような声を零された。
愛梨が力加減を変え、最適な強さになってからマッサージを再開する。
「すごく凝ってるじゃないですか、無理してましたね?」
「……そんなこと無いぞ」
「嘘つき」
「記憶にございません」
「もう」
愛梨の咎めるような声が聞こえたが、湊はそ知らぬ振りを続けた。図星を突かれ、赤くなっている顔を見られなくて本当に良かった。
腰のマッサージになると思わず変な声が出る。
「あ゛ぁー、それ気持ちいい」
「お爺ちゃんみたいな声出さないでくださいよ」
「気持ち良すぎて勝手に出るんだ、許してくれ」
くすくすと笑いながらも愛梨は続けた。
もう十分やってもらっており、止めさせなければいけない。しかし、あまりに気持ちよすぎてこれは止められそうにない。
「本当に気持ちいい、ありがとな」
「どういたしまして」
感謝を伝えると、心底嬉しそうな返事が返ってきた。
そうしてしばらくマッサージを受けていると、だんだん瞼が重くなってくる。
かなり眠くなってきたタイミングで愛梨に尋ねられた。
「どうですか? リラックス出来ていますか?」
「……」
湊は答えようとするのだが、あまりの眠気に反応が出来ない。目を開けることが出来ず、意識が沈んでいく。
あれほどドキドキした愛梨の匂いも、もう心地よく眠るための材料になってしまっている。
「九条先輩、いつもありがとうございます」
眠る直前、労わるような声を掛けられた。
お礼を言うのはこっちの方だと思いながら、返事が出来ないまま意識を手放した。
湊は体を触られる感覚で目を覚ます、目を開けると布団の上だった。
マッサージされたまま寝てしまった事を思い出し、体を起こす。
辛かった体がかなり軽くなっている。
「おはようございます」
「すまん、ぐっすり寝てた」
「いえ、いいんですよ」
時刻を確認すると、マッサージを始めてから一時間が経過していた。
さきほどの感覚を思い出す。湊が起きる直前までマッサージしていたようなので、まさかと思って尋ねてみる。
「一時間ずっとマッサージし続けたのか?」
「いえ、流石にそこまではしてませんよ。ところどころ休憩しながらやってました」
「寝たら放置してくれて良かったのに。疲れただろ?」
休憩しながらとはいえ一時間ぶっ通しは辛いだろう。湊はそこまでしてもらえるとは思っていなかった。
と言うかそもそも寝てしまうつもりは無かったのだが、完全に睡魔に負けてしまった。
愛梨を労うように尋ねたが、にこにこと上機嫌な表情をされた。
「多少は疲れましたが、結構楽しかったので」
「楽しい? 何でだ?」
湊としては何が楽しかったのかよく分からない。別に湊の体を触ったところで楽しさなど無いと思う。
なにせこれと言って特徴の無い普通の体だ、筋肉がある訳でもないし、太ってもいない。また、痩せすぎてもいない。
理由を聞くと、しみじみと感心したように愛梨が言う。
「男の人の体ってこんな感じなんだな、と思いながらやっていましたので。やっぱり私とは全然違うんですね」
「そりゃそうだろう。いくら普通の体とはいえ俺も男だ」
「はい、実感しましたよ」
特徴が無いとはいえ湊の体を触っても男女の体つきの違いくらいは分かると思う。
けれど、男女の違いに驚くのに違和感を感じた。
「その感じだと男に触るのは初めてだったんだな」
体つきの違いに関心を持つというのは、これまで誰も触ったことが無いということだ。
愛梨のことだから前に彼氏でもいて、既に触ったことがあると湊は思っていた。
「初めてですよ、父や他の人にこんなに触れた事はありません」
「意外だな……。一つ聞いても良いか?」
「彼氏がいて触ったことがあるんじゃないのか、でしょう? いませんよ。今までもこれからも作るつもりありません」
「……すまん、余計なことを聞いたな」
冷たい目をしながら言われた、久々に地雷を踏んだようだ。
やはり聞くべきでは無かったと後悔したが、愛梨は苦笑して首を横に振った。
こちらに対して冷たい表情をすることはほぼ無くなったが、そういう表情をしているだけで湊はあまり落ち着かない。
「いえ、気になるのは仕方ないと思うので。気にしないで下さい」
「でも俺に触れるのは良かったのか? お礼とはいえ嫌だったならやらなくてもよかったんだぞ」
一応事前に聞いていたし、その時に大丈夫とは言っていたものの、やはり無理していたのかもしれない。
「嫌ではありませんよ。言ったじゃないですか、楽しかったと」
愛梨の顔を見ると綺麗な微笑みをしており、本当に嫌ではなさそうだ。
マッサージが終わってからちゃんとお礼を言っていなかったので、ちゃんと感謝を伝えるべきだろう。
「そっか、ありがとな」
「どういたしまして。ところで感想を聞いていなかったのですが、どうでしたか?」
「……言わなくてもわかるだろ?」
からかうようなニマニマした表情で感想を聞いてくる。
マッサージ中にさんざん気持ちいいと褒めたし、寝落ちもしてしまったのだ。言わずとも分かるだろう。
と言うか改めて言うとなると恥ずかしいので、出来れば言いたく無い。
さっきのお礼では駄目なのだろうかと誤魔化すように湊は目を逸らした。
「駄目です。今後に役立てたいので言ってください」
「今後って、またするつもりか?」
「当たり前です。話を逸らさないでください、さあ」
目の前の表情がにやにやした笑顔に変わった、既に湊の感想など分かっているというような表情だ。
最近、偶にこういう風にこちらをからかうような表情をするので、湊の心臓に悪い。
しかもどうやらまたマッサージするつもりらしい。
本当に気持ちが良かったし、正直またしてもらいたいと思っているが、流石に甘えるのは駄目だろう。
これは本格的に覚えなければいけないようだ。
とはいえ、とりあえず感想を待っている愛梨にちゃんと言わなければ。
「……気持ちよかった、最高だったよ。ありがとな」
「ふふ、そうですか。どういたしまして」
頬が熱くなるのを感じながら伝えると愛梨は嬉しそうに、はにかんだような笑顔になる。
そんな表情を見れるなら、恥ずかしくても言った甲斐があると愛梨の顔から眼を逸らしつつ思った。