第99話 白猫
「猫だ」
買い物も終わり帰路についていると、道の隅で真っ白な猫が毛繕いしているのが目に入った。
これまで大型ショッピングモールと家の間で一度も見かけた事が無かったので、この猫の生活に何らかの変化があったのだろう。もしくは単にタイミングが悪かったのかもしれない。
とはいえそれが湊に分かるはずも無い。毛繕いを終えて欠伸をしている猫にゆっくりと近づいても逃げられる事は無かった。
「お前、人馴れしてるんだな」
野良猫であれば普通人間を警戒して逃げるものだが、それが無いという事はかなり人に慣れているのだろう。
湊が手を近づけても全く警戒せずに匂いを嗅いできたので、好きにさせる。
すると、どうやら湊は認められたらしく、人懐っこく手に体を擦り付けてきた。
「おぉ、ここまでとは……。いや、放し飼いか」
よく見れば細い首輪が付いているので、おそらく放し飼いだ。ここまで人に気を許すのも納得出来る。
遠慮なく頭と顎を撫でると、白猫は気持ち良さそうに目を細めた。
(白い毛に青の瞳か。なんだか愛梨みたいだな)
完全な偶然ではあるが、白猫の目は綺麗な青だ。毛の色と相まって愛梨のように思えてしまう。
彼女は気まぐれでは無いものの、初めて会った時は警戒心剥き出しの野良猫のようだったなと思い出し笑いをしていると――
「猫が好きなんですか?」
鈴を転がすような声が耳に届き、愛梨が湊のすぐ傍にしゃがみこんだ。
彼女を放り出して猫に夢中になってしまったと、罪悪感を覚えつつ口を開く。
「夢中になってごめんな。猫は好きだぞ」
「それは良いんですが、そんなに猫好きとは思わなかったですね、意外です」
「家にはそれっぽい物なんて置いてないからな」
湊が猫好きだという事が分かるような物など家に置いていないので、そう愛梨が判断するのもおかしな事では無い。
そのちくはぐさに違和感を覚えたのか、愛梨が首を傾げる。
「そんなに好きなのに家に何も置かないんですか?」
「置いたら飼いたくなりそうでな」
「なるほど。納得は出来ますが、それならいっそ飼えば良かったでしょうに」
「単純に飼うようなお金が無かったのと、ペット可のところは選べなかったんだ。機会があれば飼ってみたいとは思うけどな」
いくら湊が趣味に使うような金を持っている身だとしても、学生の一人暮らしでは飼うのには無理がある。
それに家を選ぶ際にペット可の場所は選ばせてもらえなかったという事情もあり、今は飼っていない。けれどいつかは飼ってみたいと思う。
湊の説明に納得がいったようで、愛梨は頷く。
「そういう事ですか。にしても凄く嬉しそうですね」
「こんな機会なんて滅多に無いからな。折角だし堪能しておく」
「……むぅ」
猫を触れる機会などそうそう無い。ならばこの瞬間を楽しむべきだと言うと、なぜか愛梨が不機嫌そうに唸った。
「どうした?」
「そんなに嬉しそうな笑顔で、しかも白い毛で青の瞳の猫を撫でるなんて……」
よほど湊が機嫌良さそうに見えたのか、ムスッとした顔で睨んでくる。
「……まさか、猫に嫉妬してるのか?」
「ん」
本当に嫉妬かと尋ねると、愛梨が小さく首を縦に振った。
その感情を向けられるのは嬉しいが、どちらかというと猫にすら独占欲を発揮する彼女を微笑ましく感じて笑ってしまう。
「そんなに気にするなって、猫なんだし」
「そうですけど、ずるいです。湊さんの手は私のものなのに」
愛梨が微妙に怖い事を言ったので、少しだけ背筋が寒くなる。
前々から思っていたし本人も認めていたが、彼女はかなり嫉妬深いようだ。
それはそれで愛されている実感があるものの、どうせなら愛梨にも猫の素晴らしさを理解して欲しい。
「猫は嫌いか?」
「触れる機会が無かったので、良く分かりません」
「じゃあこの機会に触ってみるといい。ゆっくり手を近づけて、まずは手の匂いを嗅がせるんだ」
「は、はい」
アドバイスを受けて愛梨がおそるおそる手を近づけると、白猫は興味深そうに匂いを嗅いだ。
そのままジッとしていると手に体を擦り付け始めたので、彼女も許されたらしい。
初めての触れ合いに愛梨がびくびくしながら、不安げな瞳で湊を見つめる。
「えっと、どうすればいいんでしょうか?」
「基本は頭が顎だな。撫でるのもいいが、軽く引っ掻くようにしても良いらしい」
「はい。……わぁ、可愛い!」
愛梨の撫で方が気に入ったようで、白猫は気持ち良さそうに身を委ねている。
その愛らしい姿を見て、彼女が弾んだ声を上げた。
(美少女と猫は良いなぁ……。写真撮りたいくらいだ)
おそらくこの場を見た人全員が湊と同じ事を思うだろう。
真っ白な少女と猫が触れ合っているのはとても目の保養になる。
だが無断で写真を撮る訳にはいかないし、この空気を壊したくない。
なので勝手ではあるが、完全に第三者視点でこの尊い空間を楽しんだ。
「猫ってあんなに良いものだったんですね」
あれから少し時間が経ち、白猫は満足したのか、するりと愛梨の手を抜け出して去っていった。
感慨深く呟いた彼女は満面の笑みなので、大いに満足したようだ。であれば、湊も勧めた甲斐がある。
「だろう? いやぁ、猫の良さが分かってくれて良かったよ」
出来る事なら好きなものを共有したいとは思うが、いくら恋人であり一緒に住んではいるとはいえ、お互いに譲れないものはある。
だが、たった一つではあるが、同じ思いを抱くことが出来たというのは嬉しい。
それに愛梨の機嫌も良くなったので大成功だろう。誤魔化せて良かったという側面もあるが。
「ええ、猫は良かったんですが、湊さんがあんなに優しく撫でていたのは不満です。それに私以外の人――猫? を撫でて笑顔になるのはもやもやします」
「ああ……。やっぱりそれは駄目なんだな」
どうやら湊の誤魔化しは駄目だったらしい。再び嫉妬が溢れてきたのか、愛梨が不満気な顔になった。
「……貴方が撫でるのは私だけであって欲しいです。とはいえ束縛は駄目なので、猫を撫でた以上に私を撫でてくださいね?」
「それくらいならお安い御用だ。後でするよ」
愛梨を甘やかす事に全く不満は無い。それに彼女は独占欲を持ちつつも、湊の意志をしっかり尊重してくれている。
であれば、帰ったら愛梨が満足するまで撫でるべきだろう。帰りながらそう伝えると、良い事を思いついたのか彼女が爽やかな笑顔を浮かべた。
「湊さんは猫が好きですよね?」
「ああ、そうだな」
「で、私の事も好きですよね?」
「当然だろ」
「……さっきは私より猫を優先したくせに」
普段であれば愛梨を優先するのだが、滅多に無い機会だったので、思わず猫を優先したことを根に持たれているようだ。
じっとりとした目が湊を射抜く。
「悪かった」
「まあいいです、だったらそれを合わせれば良いんですよ」
「合わせる?」
「はい。こんな風に――」
愛梨は指を曲げつつ手首を傾け、猫の真似をする。
そして、先程までの湊を責める表情を笑みの形に変えて口を開く。
「にゃー」
その時、湊は言葉では言い表せないほどの衝撃を受けた。
魅力的過ぎる美少女があざとく猫の真似をしたのだ。すぐに抱き締めて頭を撫でまわしたい衝動に駆られるが、それは我慢だと必死に自制する。
そんな湊の葛藤など知るかとばかりに、愛梨は手を上下に振る。
「にゃー、にゃー」
「……愛梨、それは禁止だ」
このままでは、あまりの破壊力に湊の理性は崩壊してしまう。
にやけてしまう表情を必死に抑え、胸の高鳴りを鎮めつつお願いすると、愛梨は笑みを浮かべながら首を傾げた。
「どうしてですかにゃ?」
「お前……」
湊を惑わすこの白猫は、どうやら痛い目を見ないと分からないらしい。
こうなれば実力行使に移るしかないだろうと、愛梨を引き寄せて耳元で囁く。
「可愛すぎ。あんまり猫の真似をしてると撫で回すぞ、下手したら襲うかもな」
「え!?」
湊がここまでストレートな言葉を言うとは思わなかったのか、アイスブルーの瞳が驚きに見開かれた。
愛梨の顔は徐々に赤く染まっていっており、ようやく仕返しが出来たと満足して微笑む。
「分かったならそれは止めとけ。……あんまり俺の理性を削らないでくれよ」
「では、これはとっておきにしますね」
湊のお願いに愛梨は蕩けたような笑みを浮かべた。
全く嫌がらない彼女に誘惑されると、湊の理性など簡単に消えてしまうだろう。
自由気ままに湊の心を乱すこの少女はとんでもない猫だな、と思いながら帰路についた。




