据え膳を召し上がらなかった責任を取ってください。
「イムズベル様、お会いしたいとおっしゃる令嬢がいらしているのですが……」
若き新米伯爵は、これまた新米執事の呼びかけに顔を上げた。
「ロダン、今日は誰とも約束してないはずだが」
「はい」
「しかも、令嬢だと?」
「はい」
「どこの玉の輿狙いだ」
「……イズ、ちょっとは歯に衣着せろよ」
三つ年上なだけの幼なじみでもある執事のロダンは、つい素で返してしまった。
「めんどくさい。だいたい、爵位継ぎたての忙しい中、どれだけ、言い寄ってくるハイエナ令嬢に時間を割かされたことか」
「ええ、ええ。事実なのは知ってますが、ここだけの話にしてくださいよ」
「当然だろう。先生に迷惑をかけるつもりはない。で、お前が追い返さなかったところをみると、ピーチクパーチク求愛しに来たわけではないのだろう」
「はい。その令嬢が言うには『責任を取れ』と」
「は?」
* * *
「お連れしました、イムズベル様」
溜まった報告書を放置して客間での面会を許したイムズベルの前に現れたのは、小汚ない旅人だった。
辛うじてコートから見えるスカートが色柄ものなので令嬢なのかもしれないが、よく訪ねてこれたものだと感心してしまう。
ロダンが通したので、最低限の身元は証されているはずだけど。
「何やら、責任を取れと訴えにきたとか?」
「はい。あなたがランページ伯爵ですね」
この言いようでは、訪ねるべき相手の姿を知らずに来たようだ。
「前の領主にでも恨みがあるのだろう。聞いてやるから、遠慮するな」
「では、お言葉に甘えて。初めまして、ランページ伯爵様。わたくし、メルキュール男爵の次女、パルテノと申します」
見た目に反して丁寧な挨拶を披露してくれたので、それなりな教養の片鱗が見て取れた。
それに、メルキュール男爵の名前にも覚えがあった。
「去る、五月二十二日のことを覚えておいででしょうか」
「五月……と言えば、領主として初の視察に出ていた時だな」
まだ三ヵ月くらいしか経っていない上に、事後処理がいくつか残っているので、多忙なイムズベルでも忘れようがない。
ロダンに視線を流せば、正にメルキュール男爵邸で歓待を受けていたと返事があった。
家族の紹介はあったはずだが、イムズベルには記憶に残る面影がなかった。
そもそも、パルテノは初めましてと言ったのだから、顔合わせはしてないようだ。
もしかして、家族と上手くいってないのだろうか……。
同情めいた眼差しを送ったイムズベルは、次の瞬間、目を点にさせられた。
「夜の帝王とも呼ばれている伯爵様が、なぜ、あの日、あの時、我が家の据え膳だった私を召し上がらなかったのですか」
「は?」
意味がわからない。
「どういうこと?」
イムズベルは思わず執事に解釈を求めるも、ぶぴっと堪えきれずに吹き出したロダンはしばらく使いものにならなかった。
「長い話になりそうだ。ロダン、お茶の用意をしろ。ついでに、笑いも収めてこい」
「は、はっ」
こうして、ロダンは腹筋の無駄遣いなのか返事なのかも不明瞭な声を残して一時退出していった。
「立たせたままで申し訳なかった。そこに座ってくれ」
「いえ、汚れていますので」
「……」
素っ気ない拒絶に、なんとも言えない二人きりの空間が、ものすごく居たたまれない雰囲気に占領された。
しかし、こうなると、イムズベルとしては、妙な誤解をされたままで解放するわけにもいかなかった。
「失礼します。戻りました」
綺麗さっぱり取り繕ってきたロダンが姿を見せると、イムズベルはうっかりホッとしてしまい、慌てて背中を伸ばして領主の威厳を取り戻しておく。
「パルテノ嬢、お茶を出しますので席へお着きください」
ロダンの勧めも断るのだろうと見ていたイムズベルだが、ソファに紺色の布を敷いた気遣いがあったせいか、断ることはしなかった。
なんだか、男として劣るみたいで面白くはないものの、沈黙の中で考えても解けずにいた誤解の謎をロダンに振ってみた。
「恐らくですが、夜の帝王とは、例の一斉摘発の際に忖度された貢ぎ者に対してかと」
とんでもない名称の衝撃で頭が回らなかったが、言われてみれば理解できた。
「あの時の視察は、前領主の黙認で私腹を肥やしていた悪党の一斉摘発だったんだ。だから、くだらん慣習も敢えて乗っかる素振りをして、情報を引き出させてもらっていた」
前領主の時なら何も知らない平民を差し出すこともあっただろうが、着任したばかりの新領主は精悍な独身青年だった。
土地の一部を管理者として任されている役人はこぞって娘や親戚を差し出してきた。
なので、ちょっと甘い言葉を囁けば、ぺらぺらと悪事を暴露してくれて大助かりだったのだ。
「しかし、メルキュール家は羽振りがよかったわりに何も不正の痕跡がなかったはずだな」
視察した中で唯一問題がなかった為、印象に残っている。
「だったら、なぜ、一言でも教えてくれなかったんですか!」
メルキュール家の次女、パルテノは怒りでふるふる震えていた。
なぜ?
「だから、言ったでしょう。事情を説明しなくていいのかと」
ロダンのわかった風な口調に、イムズベルはムッとして言い返した。
「名目上の視察は行ったのだから、何が悪い」
一向に理解していないイムズベルに、ロダンは、ため息を堪えて耳打ちをする。
「あなたが久々に安眠できると私にあてがわれた部屋でグースカご機嫌な夜を、彼女は別の部屋で乙女が散らされる覚悟で過ごされていたのですよ」
さすがにギョッとしたイムズベルは、改めて訴えにきた令嬢を眺めた。
まさか、前領主や家族にではなく、初めましての自分に否があるとは今の今まで予想だにしていなかった。
「あの時のイムズベル様は、出された令嬢をモリモリ召されて、残すことなく屋敷に連れていったことにしていましたからね。実際は取り調べからの刑罰、もしくは役職や財産の没収でしたけど。メルキュール男爵が管理していたのは端の区域ですし、真実が行き届くよりも醜聞として広まる方が早かったのでしょう」
声量を戻して語ったロダンは、さりげなく令嬢寄りだった。
つまり、この場の悪役は不正討伐に奮闘したはずのイムズベル一人だ。
裏切り者めと執事を睨みつけてからパルテノに真正面で向き合ったイムズベルは、とりあえず、まっとうに頭を下げて謝罪した。
それもこれも、若輩者の新米で、棚からプディング的な爵位任命をされたイムズベルならではだった。
「すまない。君の名誉は回復するし、よければ縁談の手配も請け負わせてもらう」
しばらく頭を下げっぱなしにしても反応がなかったので引き上げてみれば、目が合ったパルテノはパチクリと瞬きをしただけだった。
「あの、メルキュール嬢?」
「あ、すみません。ちょっと意外で……こちらこそ、連絡もなく押しかけてしまい、申し訳ございませんでした」
この様子だと、最悪な誤解は見直してもらえたらしい。
「あと、実は私、もうメルキュール家の人間ではないので、お気遣いは無用です」
「なぬっ、俺のせいか!?」
「とんでもない。元々自活して生きていくつもりだったのですが、地元じゃ無理そうなので、責任を取ってもらおうと、ついでに家を出てきただけです」
ついでの家出とは、ずいぶん気軽すぎやしないだろうか。
「あの、まさかとは思いますけど、お一人で?」
恐る恐る脇から問いかけたロダンに、こくりと恥ずかしそうに返事があった。
恥ずかしがるポイントがわからない。
「ちょっと、何やってんの。据え膳以上に、危険でしょ!?」
「そう思ったので、節約も兼ねて、街道を外れた森や林を通ってきました」
自慢気に答えられたって、イムズベルもロダンも頭を抱えるだけだった。
「そういえば、責任を取ってほしいと訴えに来たらしいが、ならば、俺に何を望んでいる?」
「その……名誉回復はありがたいのですが、家を出たので、本当に気にしないでください。ただ、私にもできそうな仕事を紹介してもらえたらと、ヤケな気分で訴えに来ました」
それが本当なら、呆れた無鉄砲さだ。
だが、我に返ったパルテノの人柄は悪く思えなかった。
「どうなさいます、イムズベル様」
「どうもこうも、責任の一端がこちらにあるのは認識した。彼女の望みを叶えてやってくれ」
「私に一任されるということでしょうか」
「ああ。俺は屋敷に詰める時間が長いから、お前の方が当てもあるだろう」
「ふむ、そうですね……では、この屋敷で働いてもらうことにいたしましょう」
「ちょっと待て。なんでそうなる。ここは男所帯だぞ」
いずれは人を入れるつもりだが、今のところ、屋敷にいる女性はミラママと呼ばせたがる中年のお茶目なメイドがいるだけだ。
「だからですよ。ミランダさんに若い娘を入れてくれと、せっつかれてたところだったので」
「理由は?」
「男所帯だと身嗜みが緩むし、臭うし、風紀が乱れるとのことです」
「うっ、それは否定できない……」
同年代の独身配下が多いイムズベルは、持て余した屋敷を寮代わりに使わせている。
イムズベルの周辺はともかく、寮扱いの一角は桃色の雑誌が堂々飛び交うこともしばしばだ。
「安心なさいませ、私が責任を持って指導いたします!」
そこへ、ババンっと入ってきたのが、噂のミラママことミランダだった。
「旦那様は、どんと構えてお任せくださいませ」
いつもはベル様と呼ぶくせに、こういう風に切り替わる時は、たいていイムズベルの分が悪かった。
「後ほど、成果をお見せしますので、お楽しみに」
案の定、迫力の笑みで異論を挟ませなかったミランダは、碗力でもってパルテノを一人で引きずっていった。
「はあ。ロダン。一応、街での働き口を探しとけよ」
「務まらないと思っているのか?」
「わからないから、どう転んでも困らないようにしてやるんだろ」
「へえ、優しいじゃん」
「逆に聞くが、あの格好と経緯を聞いて、無下にできると思うのか」
「だったな。でも、責任とか訴えてくるから、てっきり、押しかけ女房かと思っちゃったよ」
「おい、待て。そう思ったのなら追い返せ」
「欲のない奴だな。でも、そういう意味じゃあ、彼女はうちの屋敷の理想かもだぞ。結婚願望はないらしいし、何よりミラママが張り切ってる」
「かもな」
軽く笑ったイムズベルは、温くなったお茶を一気飲みすると、仕事の続きに意識を向けた。
* * *
「あの……」
とある部屋に放り込まれたパルテノは、肩をばしっと掴まれて困惑していた。
「私はミランダ。ミラママと呼んで。あなたは?」
「パルテノと申します。その、不器用なので向いてないかもしれませんが、よろしくお願いします」
「まあまあ、そんなに緊張しないで。それに、パルテノちゃんの仕事は、家事じゃないから大丈夫」
「え?」
「男爵家なら最低限の教養は入っているんだろうし、その見た目なら、社交界のデビューはしているでしょ」
「一応、十七なので。でも、その、本当にちょっと済ませた程度ですけど」
「それで充分。うちのやんちゃ坊主共は仲間内だけで気楽に過ごしてきたせいか、どうにも乱雑なのが目に余ってね。このままだと心配だから、付き合い方を教えてやってちょうだいな」
「残念ながら、そういうのは、あんまり得意じゃないんですけど」
「大丈夫、大丈夫。密室で二人きりになりさえしなきゃ問題なし。しつこいのが出たら、このミラママに任せなさい」
「ええ、そういうことじゃあ……」
いーからいーからと気持ちよく笑うミラママは、それから有無を言わさずパルテノをお風呂に連れ込み、あれこれと着せ替えて楽しんでいた。
この後、パルテノが屋敷の天使としてちやほやされ、静かなる争奪戦が繰り広げられるようになると、ミラママの思惑通りに風紀が正されることになる。
ちなみに、そこそこ鈍ちんなイムズベルは、配下に持て囃されているパルテノにやきもきする姿が度々目撃されるも、誰一人として教えてあげる親切心は持ち合わせていなかったせいで参戦するのは一番遅かったとか。
・知らなくても困らない、こぼれ設定。
やんちゃ坊主なイムズベルの配下は、学園時代に集まっていた貴族や大店の三男坊以下です。
後継ぎでもなく、騎士や婿養子になる気概もない、官吏を目指すも派閥には関わりたくない、ないない尽くしの地味なはみ出しものの気楽な集団でした。
ちなみに、イムズベルは侯爵家ながら五男として放っとかれて育ってます。
で、卒業後の進路が決まっていないのを見かねた恩師に管理者がいなくなった土地を転がしてみないかと唆されて、なんでか伯爵になってしまったので、同じく予定のない仲間を巻き込みました。
・応援ありがとうございます☆の追加情報
パルテノには美人な姉がいます。
羽振りがよいとの噂は、彼女目当ての貢ぎ物があるからです。
貰えるものは貰う主義なので、家族ぐるみでちゃっかり受けとりますが、昔、危ないめに遭っているので条件付きは拒否してます。
代わりに、手書きの礼状がもれなく貰えるので、定期的な収入源になっているとかいないとか。