単純で幼稚な妄想
なんとなく俺TUEEEってのが分かってきた。何度も取り上げてるけど変遷がある。以前はゲームバランスを整えてる作品が大半で、最強無双なんてそう無いと書いてきた。実際そうだ。その場で強いが、そこから様々な魔法やスキルを獲得するとしよう。その後の主人公に前の自分は勝てるか?というと勝てないんだ。
その場シーン時系列での最強であって、古いオフラインRPGで最初地域の制約がありスライムしか遭遇しないようになっている。魔王はスタートの地域に来ない。魔王の近くにいる精鋭のモンスターも来ない。それらが来たら主人公はこんなのクリア無理の無理ゲーになってしまう。常に勝ち続ける主人公は戦うべき相手を作り手によってコントロールされている。
それで納得してたら、ありふれ、転スラって上位も上位のずば抜けた上位の作品のアニメ化を見た。転スラ最初から違和感があったが、イフリートの時の熱耐性を獲得しましたを見て。あれこれ私勘違いしてると悟った。これ言い訳のしようもなく批判されてる俺TUEEEそのものだとわかった。つまらなかったわけじゃないが、このイフリート戦だけはもやもやした気持ちが残った。
そしてありふれだ。初期のざまぁ的転落の部分以外、まあ本当に楽勝で、強さよりも気になったのは、錬金術師という戦闘向きじゃないスキルのためここがリミッターが壊れるととんでもないものになってしまう。錬金術で車出来ました。錬金術でバイクできました。それめちゃくちゃ便利な職業じゃないかと…。
確か俺TUEEEではないが、これある意味俺TUEEEにつながってると感じた。いわゆる俺SUGEEEである。そのすごさななんて安直な。過去に鍋に材料をとにかくぶち込むと様々な道具が簡単にできるアトリエシリーズという錬金術のアニメを見たことがある。錬金術が安直に使われる恐れがあるのはありふれがスタートではないが、どのみちなんだこのひどいインスタント性はってその時思ったが、材料を集めていただけまし。車創るのに材料あったかな?
なろうの俺TUEEEなんだか怪しくなってきました。こりゃ嫌われるわと確信が出来た。そこで私俺TUEEEあんまり楽しくなくて、外の人達が批判してる視点と同じで私は旨くバランスのいい作品を探しあててきただけとなる。180度ぐらい立場が変わってしまった。
これで終わらなかったのはそれでも私やはり外の人よりはある程度楽しんでる。いくつかはゲームバランスと言えない作品も面白いと評価してるなと思い直して最近探っているという事になる。
何が面白いか?じゃなくて何が嫌われてるのか?こっちでアプローチしてみようかと思って今回書くことにした。転スラとありふれは過度なご都合主義だ。そこは私も苦手な部分なのですぐにわかる。だが他にも多分何かがある。
圧倒的な暴力を持っていてそれを行使する楽しさだと思う。ただこれだけだと強いって言葉がしっくりこない。自分が強いと自覚することが重要じゃないか?と思う。そこが圧倒的な部分にかかるんだと思う。後はなろうによくある周りのキャラの反応が唖然という感じのものが多くなる点。常に主人公の強さに対して称賛を与えてくれるとなる。
ただこれは補助で、メインは読者が自覚できるか?にある。最強は負けない点じゃない。強さの自覚をするためだとわかってきた。
圧倒的な暴力を持っていてそれを行使する楽しさを想像する。ここになろうの俺TUEEEの本質があると思う。もっと言えば強い自分を妄想するんだ。そこに行使する相手として憎い敵の存在がある。暴力を行使したくて仕方ない相手。後はこれを延々と連続していけばいい。飽きることはとりあえず考えないでほしい。それを考えて私は失敗した面があるから。
何故これが嫌われるか?というと、これは主人公を他者としてみてるんじゃない。自分がその立場である妄想に笑みを浮かべるようなものになる。多分これだと思う。まずこの状態に入らないとなろう作品は面白くない。次に同化した場合、誰かが作った作品をみるのじゃなくて、同じような妄想をして楽しむ。
それ自体を延々と繰り返す事への拒否感のようなものがある。これは分からない。なぜこれを嫌うのか?は分からない。でも嫌う人が多いのは確かなんだ。これが誰でも楽しいなら妄想ばかりしていればいい。それで幸せに生きられる。他人の著作など見る必要がない。この根本的な妄想自体自分でやったとしてもそれを繰り返す人ばかりじゃないのは、それを繰り返すことを良しとしない人多いからとなる。
分からないと書いたのは、なろうに限らすどんな作品もこういった部分を持ってるからだ。では問題は違うところにあるのじゃないか?となる。やはり過度なご都合主義とシンプルすぎるゆえの幼稚さになる。目的とする結果が直結してしまうような妄想にシンプルすぎるとなりやすい。そしてそれは子供がやりやすい。よって幼稚なものになりがちになる。
なろうの本質を抉り出すためなぜ嫌われるのか?書いてみたが、もう一歩踏み込み切れなかった。
これだけ書いて申し訳ないのだが、実際はこんな作品上位にない。え?となる。根底はこれは嫌われるってシンプルさがあるのだが、修飾がやたらと旨い。何それ?となると、過程や現実的理屈じゃない、あくまで飾りの修飾なんだ。
演出っていうのかな、効果というのか、そこに児戯ではない技がある。私もどうやらこれは反応できるんだ。だから転スラやありふれもひどいご都合展開だと思っても楽しめてしまえる部分がある。
特別な強さをどう演出するか?ここがキーだなと思う。強さを見せつけるようなものじゃない。自覚できるか?の部分が重要。周りの反応が補助にすぎないのはあれは安直すぎてつまらないからだ。だからあった方がいい程度で絶対じゃない。だからなろうの主人公と他者の関係は独特なんだ。
なろうの外は読者へ訴える強さの演出で、周りの人もそういう反応をする。だけどなろうは強さを自分が実感できるか?にあって、そこが読者への訴えで、周りの人はそのための補助にすぎない。だからいきなり反応に頼るような作品は駄作なんだ。ただわざとらしいから目立ってしまうけどね。
圧倒的な力に対する自覚をどう演出するか?で転生の知識チートは分かりやすい。力じゃないが、圧倒的な文明力の差。西洋に植民地化されまくったアフリカアジアの立場が異世界の立場になる。後はこれを暴力で見せるならチート能力かと思う。
私は結局この修飾の価値を止まった俺TUEEEに反応してるようで。求める欲望に対してシンプルすぎると幼稚な妄想だとしか見えないんだ。
キーは結局修飾にある。ただ根幹部分を掘り下げきれたか?なら出来てないと思う。ああまたこのテーマ続くになってしまったとがっかりしている。今回で打ち止めいけるかな?と思っていたから。
かなり多くの作品があーしたいこーしたいって妄想の具現化が面白さになってる事が多い。そこからなろうだけが特別嫌われる何か?を分離したいのだが、うまく突っ込み切れなかった。以前これに否定的だったが、転スラとありふれは確かに圧倒的上位だが異世界スマホと変わらない…。
私もなろうには特別な外の人に嫌われる何か?があると思う。