平凡な日常に耐えられなかった人々
私の先祖の話です。
4代前の先祖は、新潟県西蒲原郡から北竜町に開拓者として入植した。
祖父から聞いた話では、 人力車で小学校に通ったほどの豪農だったと言う。
それがなぜ北海道まで来なければならない程没落したか。
祖父の父が飲む打つ買うの放蕩に明け暮れ 、散財してしまったからである。
そこからの開拓の体験は非常に厳しく、不運の連続のようだ。
祖父には弟がいたが二人で酪農を始めようと購入した牛が病気で、
事業を失敗し何もかもうまくいかなかった。
その子供である祖父は地元で初めて電線をひいた営業所の所長にまでなったが、
自分より若い上司とトラブルになり喧嘩して辞めている。
この人は問題が多かったが、唯一川で流された子供を救い、人命救助で表彰されている。
そのことを父が「うちの親父はたとえ殺人で捕まっても死刑を免除される。」などと自慢していた。
とにかく子供の頃は貧困でこの祖父のおかげで
危うく飢餓寸前までいったとぼやいていたらしい。
職を転々としたり一家で本州に引っ越したりと生活の苦労が絶えなかった。
対照的にそんな一家を献身的に支えたのが小学校も卒業していない祖母であった。
雪の降る真冬の道を馬そりにりんご箱を積み、各家々を回って売り歩くのだ。
小学校に入る前だった父は、かいまきのようなものを着せられて一緒に乗っていた。
馬は利口な生き物で、父が一人で乗っていて眠っていても雪の中でもちゃんと道を覚えていて家まで帰って来るのだ。
祖母は若い頃はとても美人で、 本当は祖父と結婚したくはなかったが
無理やり頼まれ貧困だったために仕方なく結婚したと聞いた。
父が高校の教員となり、ようやっとその世代で生活が安定した。
と思いきや、その長男である私は高校を途中から不登校になり絵を描き始めた。
彼にとってこれは予想外だったろう。
ちゃんと勉強してまっとうな道に進めば人生は安定するはずだった。
僕は4代前の人々がどうしてそのような行動になってしまったか時々考えた。
そのまま平凡に生きていけば特に苦労することもなく幸せな人生だったのかもしれない。
だがそれはおそらく彼らには無理な話だったのだろう。
世の中には毎日同じ安定した生き方ができない人々がいるものだ。
これは特に個人に限ったことではなく人類普遍的な性格なのかもしれない。
アフリカ大陸のような温暖な場所を離れてわざわざ寒冷地へと移り住んだ人類は、
厳しい生存条件の中で生き延びなければならなかったはずだ。
いつしかその中から厳しい環境を生き延びるために新しい発明や発見が生まれ 、
現在のような文明を築いてきたのではないかと想像する。
人間は退屈に耐えられないものだ。
自分にも同じような気質が感じられます。