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祭壇から溢れてくる霧のようなものが広がり、次第に晴れてくると向こう側に薄っすらと人影が見える。
「お師匠様、見て下さい。どうやら猫ではありません」
「そのようですね」
マーリンは拳をぐっと握りしめ、まず第一段階の成功を噛み締めた。
祭壇に降臨したのは小動物の類などではない。まだ靄が晴れておらずその容姿までは確認できなかったが、間違いなく人間。ついに異世界人を召喚できたのだ。
「だがまだ油断する事はできない」
何故ならマーリンが、王国が必要としているのは軍勢の一員だ。
英雄――今危機的状況にある戦局を覆せるだけの戦力の持ち主でなければならない。
ここでもし超絶に美しい壺を焼く陶芸家や、超絶に美味しい洋菓子を焼く菓子職人が登場しても意味がない。
だから今すぐにでもその能力を見極める必要があった。
「ミゼ君……鑑定を」
「もうやってます」
ミゼラブルが霧の向こうをじっと見つめている。やがてその双眸に不思議な光が宿り、魔術文字のようなものが浮き上がってくる。
【鑑定眼】――それこそが魔術師として未熟なミゼラブルが宮廷魔術師団に所属し、更にはこの計画に組み込まれた理由だ。
看破の魔眼とも呼ばれるそれは見つめた対象の情報を取得する能力。例えば自身すら知り得ない能力や適性、健康状態、素性などを知り得ることが可能だった。
「素晴らしい。十点あげよう。見るのはとりあえず階位と特典だけでいい」
「はい……お待ち下さい。【鑑定眼】よ、眼に映る者の真実を暴け」
「階位は?」
階位とは、鑑定眼で確認できる人材の総合的な資質を大まかに五段階で評価した指標だ。
最低はC級。『体制に影響を与えない平凡な能力とありふれた技能の持ち主』で王国における国民の大半がこれに該当した。
次点はUC級。一万人に一人程度の割合で存在する『ひとつの街、地域に多大な発展をもたらす存在』だ。
ただ彼らも非凡という領域から多少外れた程度で、歴史や戦局に大きな影響を与える可能性が極めて低い。
手引書によれば、異世界人は非常に資質に優れた者たちばかりで、先の二つの級が召喚されてくる場合は稀らしい。
これまでの記録によれば、召喚されてくる殆どがR級の人材――即ち『ひとつの国家、或いは大陸の発展に大きく貢献しうる存在』であるそうだ。
最高評価のSSR級――長い歴史を辿っても数名しかいない『世界を救う、或いは大きな繁栄をもたらす存在』まではいかなくとも、マーリンとしてはR級以上であって欲しかった。
「ええと……SR級⁉︎」
「素晴らしい。もうこれ以上言うことはない」
感無量だ。二番目に評価の高いところであるSR級もまた『単身で人類の歴史を良い方向に変えうる存在』であり、その出現率は極めて稀だと言われていた。
まさか召喚十回目にしてそんな人物を呼び出せるとは思わなかった。間違いなく軍勢の一員足りうる人材であり、単身でも要塞の奪還に臨めるはずだ。
「【特典】は?」
問うたのは異世界人が持ち得るユニークスキルだ。
ミゼの鑑定眼は見た相手の級だけではなくその能力すら看破できた。
「あっ……【幻獣使い(ビーストマスター)】です」
ミゼラブルの説明によると、幻獣――竜種や巨人、妖精など非常に強力で希少な上位魔獣を無条件で操ることができ、更にはその身体能力を何十倍にも向上させるという能力であるらしい。
マーリンは高まる期待に胸を躍らせた。
「よし……」
マーリンはフードを脱ぎ捨てて、前に進みでる。勿論、霧が晴れたらすぐさま交渉する心積もりだ。
まずは相手を落ち着かせ、今の状況を説明し、もてなしおだて調子に乗らせ、懐柔し、こちらで提供した贅の極みを尽くした生活に慣れて貰った後に、済し崩しに軍勢の一員として加える。それが軍勢計画の大まかな流れだ。
もう後はない。
ここで交渉に成功できなければ、手持ちの【魔戯貨】がない以上、もはや異世界人は呼ぶ事ができず、マーリンの首は物理的に飛ぶし、国は滅びる。
「初めまして異世界人の方、ようこそ我が王国へいらっしゃい――え!?」
マーリンはだ指紋がなくなるくらいの揉み手をしながら近づいて行くが、やがて霧が晴れようやく姿を現した異世界人を確認し、ゆっくりと膝から崩れ落ちてしまった。
暫くの間、何も言うことができなかった。隣にいるミゼラブルもまた同じように顎をあんぐりと開けて固まっている。
何も問題はないはずだった。
【異世界召喚の儀】に成功し、呼び出した者が猫ではなくまともな人間族で、戦闘職に適性があり、SR級という破格の階位の持ち主、これ以上何を望むだろうか。
だが文句ないはずの状況を覆し、御破算にする有様がそこにあった。
「そ……そんな馬鹿な」
「お腹すいたの」
その異世界人は身の丈がミゼラブルの半分もなく、上目遣いで、小首を傾げ、親指をくわえ、もう片方の手にはクマの人形をぶら下げて――つまりはまだ十にも満たない子供だったのである。
◆
「ねこねこねこちゃーん……もぎゅもぎゅんーっ♪」
「……くっ」
異世界召喚によって現れたのは幼い子供だった。
年齢はまだ四、五歳だろう。
急に見知らぬ場所にやってきたにも関わらず、物怖じした様子はない。
近くにいた猫を人形のように抱きしめながら、与えた焼き菓子を頬張っている。その姿はどう見てもSR級にも、【猛獣使い】には見えなかった。
良いところ子猫使いである。
「くっ……くっ……」
だがまさかいくら資質があるとは言え、こんな幼い子を戦場に送り出す真似できない。
第一、送り出したところで、敵味方の区別もつかない時点で、使い物にならないではないか。
手元にある【魔戯貨】は残りひとつ。
高度な魔術を行使できる魔力を有しているとは言え、非常に燃費の悪い異世界召喚魔術をもう一度行うには十分ではない。
このままでは軍勢を編成するどころか、砦の奪還を果たすこともできず、魔族の侵攻を食い止めることもできず、王国が滅びるのも時間の問題だ。
「くっ……くっくっはーっはっはっ」
「お……お師匠様、大丈夫ですか?」
ミゼラブルは心配して呼びかけてくる。
この危機的状況に発狂でもしたのかと勘違いしているようだが、笑いが止められず誤解が解けない。
「今回のことでよーく分かった。もうはっきりと理解できました」
「えっと一体何が分かったんです?」
「この世の真理です」
「は、はい?」
マーリンは自分の運命が、境遇がどういうものなのか鮮明に自覚できた事に対して、激しい怒りと喜びを感じ、フードの奥で滂沱した。
幾ら探しても見つからない四つ葉のクローバーを諦め、図書館にこもり古文書の山と格闘しながら、自力で霊薬の調合を見つけ出そうとしていたあの頃と同じ心境だ。
「いいですか。この世には神はいません。いてもろくでもない疫病神ばかりです。ならばどうするか」
「どうするんですか?」
「こうするんです」
◆
「あんの馬鹿弟子め……そいつは大減点じゃ」
宮廷魔術師顧問ガンダルフールは大臣宛の報告書をしたためながらズキズキと痛む胃腸を押さえながら唸っていた。
【窃視】で引き続きマーリンの動向を伺っていたがまさかこういう展開になってしまうとは。
ただ異世界召喚でただの猫を九匹呼び出しただの、ようやく呼び出せた人間が幼気な子供だっただの、【魔戯貨】を使い果たしただの、とは大臣には口が裂けても報告できない。
戦線を立て直せないまま、刻一刻と近づいて行く王国の崩壊に手をこまねいているわけにもいかない。
だからかもはやマーリンを止める手などありはしないのだ。
「はあ……仕方あるまい……一旦ああなってしまった弟子を止める術などない」
呼び起こすのは災厄か厄災か。
何れにせよガンダルフールですら手を焼いたくらいに程だ。きっと目的は果たされるだろうがろくな結末を迎えない違いない。お目付役のミゼラブルは可哀想だが、まあ災難だったと思って諦めて貰うしかあるまい。
ガンダルフールはやれやれと大きな溜息をついてから報告書を破り捨てると、これから書く顛末書作成の準備を始める事にした。