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◆
「……マーリンの奴め」
宮廷魔術師団顧問であるガンダルフール老は眉間を抑えながら頭痛を堪えていた。
少し心配になって【窃視】の魔術で、弟子たちの様子を観察していたのだが、覗かなければ良かったと後悔していた。
初日にして祭壇を起動させ、あの厄介な契約を更新できたのは予想以上の成果。見事だったと言う他ない。
だがまさか儀式自体に成功しておきながら、呼び出せたのが猫一匹だとは思わなかった……。
「どうかしたかねガンダルフール殿?」
「いえいえ何でもありませんとも大臣閣下」
鼠顔の大臣がこちらを覗き込んできたので、慌てて【窃視】を解除して、にっこりと笑顔をつくって応じる。
「それで例の異世界人召喚の計画の進捗はどうだね?」
「お……概ね順調。既に起動に至った様ですぞ」
宮廷魔術師顧問ガンダルフール蓄えた白髭をなでながら、宣った。
嘘ではない。
召喚に至るまでに最短でも数百日以上の時を要すると見積もっていたのだから吉報以外の何ものでもない。その先で転けたと言っていないだけで虚偽報告ではない。断じてだ。
「おお素晴らしい。それじゃ何よりだ」
その言葉とは裏腹に大臣の顔色が優れない。
いやな予感がした。
「それで何かありましたか?」
「ちと問題が起きてな」
ガンダルフールは「問題」という言葉にギクリとしたが表情に出さないように努力した。
まさか猫を呼び出した件についてだろうか。国宝とも言われる魔戯貨を三つも浪費してあんなツマランものを呼び出したのが露見すれば大事になる。だが起こったのはたった今しがたの事なのでバレるはずはない。
「内密の情報だがな、大樹海の南東――瘴気の森周辺で醜豚鬼の軍勢が目撃されたそうだ」
「いやはやてっきり猫の件かと」
「猫とは何だね?」
「げふんげふんごほん……失礼なんでもありません。それは一大事ですな」
瘴気の森は、先日陥落した【赤銅の砦】がある街道を抜けた先にある。魔族が醜鬼豚たちを使って、都へ侵攻しようとしているのは間違いなかった。
「彼奴等がやってくる前に何としても砦を取り戻す必要がある。だから無理は承知で計画を前倒して欲しいのだ」
「前倒しは可能でしょう。すでに担当の魔術師が召喚の儀式に取り掛かっております」
「何とまだ半日も経っておらんぞ」
「あやつにはそれだけの技量があります」
「ふむ、さすがは百舌の魔術師ガンダルフールの愛弟子だけのことはある」
百舌はガンダルフールの戦場での異名だ。かつて大侵攻時代に空中戦場を駆け抜け、百を超える呪文で、数十隻の空中魔導戦艦を撃墜した戦績を讃えられたもので、今となっては宮廷魔術師団にすら知る者も少ない。
久し振りに百舌と呼ばれてガンダルフールも悪い気はしなかった。
「あやつめの実力は折り紙付きです。大船に乗ったつもりでおられると良い。早ければ一両日中には英雄を召喚するでしょう。わっはっはっは」
その言葉に嘘偽りはない。
あの弟子――マーリンの腕が確かなのは過大評価ではなく歴とした事実。それこそ百舌という通り名など霞むほどに、弟子の魔術的才覚だけは優れていた。
ただガンダルフールはつい調子に乗って豪語したのを後悔していた。
「……」
彼の頭にはある懸念が浮かんでいた。
今回の軍勢再編計画における要――異世界召喚には、実は魔術以外の「ある素養」が求められるのを思い出したのだ。
あの魔導具――【異世界召喚の祭壇】の魔術回路は乱数術式によって構成されているが故に、どういう異世界人がやってくるかは呼び出すまで分からない。
ランダム――つまり端的に言えばそれは運次第なのである。
そして弟子であるマーリンにはある致命的な欠点があった。
「ま、まあ大船は言い過ぎかもしれません。小船に乗ったつもりでお待ち下さい」
マーリンが魔導具を再起動させた以上、その権限を簡単に別の者に委ねることは容易くない。何より宮廷魔術師団内で、マーリン以外に儀式を成功できそうな腕前の魔術師に心当たりがなかった。最盛期のガンダルフールであるなら兎も角、年老いた今あれを行うのは至難の技だ。
「え……ガンダルフール殿、今何と?」
「はははは大臣殿、すぐに良い結果を御報告致しますぞ。それでは失礼」
ガンダルフールは適当に誤魔化しながら、退室する。
心配で胃が痛くなってきたが、「まあ残り九回も召喚できるのだから、幾ら何でも挽回できるはず」と己に言い聞かせ、懸念については忘れることにした。
◆
「子猫が一匹」
「にゃ〜ん」
「子猫が二匹」
「にゃ〜ん」
ミゼラブルが蒼白な顔で笑顔を向けてくる。
残念ながら何度数えても結果は変わらないようだ。
「……ええっと全部で九匹のようですね」
「九匹」
「はい、お師匠様は、王国の財産である【魔戯貨】を二十七枚も浪費して、猫九匹も召喚してしまったようです(にっこり)」
マーリンはその場にへたり込み、もう一度猫を数え直す。
戦争と関わりのない能力や知識の持ち主が現れる程度の運のなさであればまだ諦めがついた。
例えばひよこの雄と雌を一瞬で見分ける専門家みたいな人材でも、使い方によっては国益に繋がったはずだ。
だがまさか儀式に成功しておきながら、異世界人の一人も召喚できないとは思わなかった。
そもそも人ですらない幼気な小動物がこんなにもやってくるとは思わなかった。幼気過ぎるせいで怒りのやり場もなかった。
さてこの窮地を乗り越えるにはどうすればいいか。
「師匠……」
「なんですか?」
「異世界人は何故、優秀な人材ばかりなのでしょう?」
「理由の一つに彼らが我々の知りえない知識を持っているという点が挙げられます」
「成る程」
この世界とは異なる進んだ文明で生きてきた人材。
王国が成り上がってきたのは彼らの知識を取り入れる事で産業や文化を発展させることができたからだ。
「ですがそれ以上の理由として、彼らは例外なく【特典】持ちです」
「【特典】?」
「こちらに召喚される過程で得る希少な技能をそう呼びます」
原理までは分からない。次元の壁を越えることがきっかけで、元々潜在的にもっていた能力が目覚めるのだとか、大いなる存在によって与えられるからだとか諸説様々だが、兎に角彼らはこちらに招かれた【特典】として希少かつ強力な能力を得るのである。
「さてミゼ君、残りの【魔戯貨】は幾つですか?」
「四つです」
「つまりチャンスはあと一回」
分かっている事を何度も確認してしまうのは、何かの間違えであって欲しいという気持ちの表れに他ならない。猫と戯れて現実逃避したくなる自分を奮い立たせて、マーリンは杖でよろよろと立ち上がった。
「これでまた猫が出たら私たち斬首ですね(にっこり)」
「というか王国が滅びるのが早いかも」
「いっそ【魔戯貨】を持って夜逃げしたほうがマシじゃないですか?」
「……」
「お師匠様?」
「わ、我々こそが残された最後の希望。王国を裏切るわけにいかないじゃないか」
「今一瞬、迷いましたよね?」
マーリンは鬱々した気持ちで最後の儀式に取り掛かる。そして高度に省略、圧縮された呪文詠唱をこなしながら思い出していた。
そういえば昔からついていなかった。
どういうわけか運が悪かった。
正確には運試しの類が非常に苦手だった。
不幸の星の元に生まれたわけでも、日常的に不運というわけではなく、ただただ『運』というものに関わる行事に対して圧倒的に弱かった。
子供の頃から薄々おかしいとは思っていた。
寺院で受けられる信託の結果はいつでも『未曾有の悲劇が訪れる』だったし、賭博の類もどれだけ確率計算したところで百パーセントの数字がでなければ最悪の結果にしか至らなかった。
自覚に至ったのは、学院時代――錬金魔法薬の試験だ。
課題は魔法薬の作成だったが、どうしても必要素材である幸運のクローバーが見つからなかった。
学院周辺を三日三晩探し、庭園を狩り尽くしたが見つからなかったので、マーリンは実在しない植物なのではと疑った程だ。
だが試験当日、さも当たり前のように四つ葉のクローバーを持参して課題をこなすクラスメイトたちを見て、唖然とすると共に理解した。成る程、自分は幸運というものに縁がないのだと。
ちなみにこの試験で、マーリンは独学で霊薬を作成し、提出しパスしてやった。
――だから徹底的に鍛えたのだ。
マーリンは以来、運以外の能力を限界までに引き出すべく努力をし続けた。
ただただ悪運の隙間が入り込む事がないよう、確実な結果が訪れるように、運などという不確定の悪魔に嘲笑われないように、己を研鑽してきた。
だから神に祈ったことなどは一度もなかったし、そもそも運命など信じたことは無かった。
――ただ今は違う。
これが果たされなければ間違いなく王国は、国民は、何より自分の過去は救われない。だから軍勢を――英雄を呼び出さなくてはいけない。
――どうか我に……勝利の札を……!
故にアンブローズ・マーリンは生まれて初めて祈ったのだった。
◆
『【異世界召喚の儀】が完了致しました』
果たしてマーリンの最初の祈りは届いた。