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「にゃーん」
「あの師匠」
「全然見当たらないなあ。もしかして隠密系のスキルの持ち主ですか? それとも擬態できる体質の方ですか?」
祭壇のいた毛玉のような愛らしい生物がすくと起き上がった。
さっと飛び降りると足元に擦り寄ってくる。まるで自分が来訪者であると自己主張しているようにも思えたが、マーリンはその考えを全力で否定する。
「師匠、もしかしてその猫――」
「ありえません。それだけはありません」
「まだ『その猫』としか言っていません」
「ただの猫じゃないですか。偶然迷い込んできただけですよ。異世界人はどこに行ったんですかね」
「儀式の最中、部屋の扉は閉まったままでした。間違っても外からの出入りはありません」
「なるほど、ミゼ君、つまりはこう言いたいわけですね。これは何者かによる密室入れ替えトリックだと」
ミゼラブルが猫を抱き上げながら歯切れ悪そうに声をかけてくる。
「違います。お師匠様は間違いなくこの猫を召喚してしまったのです、と言いたいのです」
「……」
弟子の毒舌と受け入れがたい事実に打ちのめされて、目眩がしてきた。寄りにもよって最初に異世界から召喚したのが、ただの猫一匹だとはにわかに信じ難かった。
「….…そんな馬鹿な」
「馬鹿なのはお師匠様です」
「にゃーん」
「どこからどう見てもただの猫じゃないですか。異世界から召喚したのが猫って……異世界猫って……はっ?」
「どうしたんですか?」
マーリンはあることに気づいて祭壇に駆け寄る。台に刻まれた円環――それを構成する魔術文字を丁寧に指でなぞってみた。
一瞥しただけでは読み解けない、非常に高度で複雑怪奇な術式だったが、使用されている公式自体は非常に馴染みのあるものだと理解できた。
「まさか召喚対象の条件指定がない……性別、年齢、種族……いや対象が「何」であるかさえ乱数術式で省略されてる⁉︎」
「……お師匠様?」
「やられました……あらゆる条件が乱数術式化されています」
「らんすうじゅつしき……ですか?」
ミゼラブルが首を傾げる。
学院を通過した魔術師であれば一般的な知識であったが、一足飛びで宮廷魔術師見習いの身分になったので、知らないのも無理はなかった。
今回、弟子には弟子でこれから大事な役割がある。だから異世界召喚について一通り知識を身につけて貰うべく説明することにした。
「ミゼ君、突然ですが質問です」
「はあ」
「魔術を行使するには、必ずあるものが対価として必要になります。一体何でしょう?」
「魔力ですか?」
「正解、五点あげましょう」
「魔術の初歩の初歩ですよね」
「そして魔術がより高度であればある程、その代償である魔力の消費は大きくなります」
例えば召喚術。
これはどこかにいる、だれかを呼び出す魔術だ。
本来なら召喚対象者の指定する【条件】――場所や、種族、年齢、性別などを術式に組み込むことが可能となる。つまり呼び出したい相手をある程度、選別することができるのだ。
だがその条件を重ねれば重ねる程に魔術は高度に――その対価は指数関数的に跳ね上がってしまう。
ただでさえ高い代償を必要とする召喚魔術だが、望み通りの人物を呼び出すよう条件を組み込んだ場合、魔力をどれだけ積んでも足りなくなるだろう。
「ただある術式を用いることでその負担が格段に軽減できます」
「それが乱数術式?」
「ただこれは諸刃の剣です」
「どういうことですか?」
「乱数術式は敢えて【条件】を放棄する術式なのです」
条件を放棄する――つまり不規則かつ等確率な方法を採用する事で、対価を軽減させている術式なのである。
「簡単に言うと召喚であれば召喚対象がランダムになります」
「ランダム……つまり誰が召喚されるか分からないという事ですか?」
「いえ恐ろしいことにこの【異世界召喚の祭壇】は「何」が召喚されるかすら完全運任せです」
「だから猫が来たんですね」
王の命令は軍勢の編成である。
だから望むのは戦線を立て直す為に有効な人材――一騎当千の実力を持った兵士、或いは未知の戦術戦略を使いこなせる軍師に限られる。
だがこれから召喚する者が条件に当てはまるとは限らない。
マーリンが当初の懸念していたのは、『全く戦争に役に立たないような――例えば絵画の才能に優れていたり、衣料の染色技術に長けた者が現れるかもしれない』という事だったが、現実は更に過酷だった。
乱数術式に関してはマーリンもなす術はなかった。
魔導具の裏をかこうにもこの術式は、神経質を通り越して芸術的なまでの配置されている。
余計な魔術文字を一文字でも継ぎ足せば代償が跳ね上がる、どころか装置そのものが機能しなくなる恐れがあった。
将来的には書き換えは可能だろうが、一朝一夕でできる仕事ではない。
「あ、でもお師匠様なら異世界召喚も簡単ですよね。たくさん呼べばいつか当たりを引けるんじゃないんですか?」
「そうも簡単にいきません。問題はまだあるんです」
「問題ですか」
「乱数術式を用いても尚、異世界召喚魔術には莫大な対価を必要とします」
「どれくらいなんですか?」
「一回につき、【魔戯貨】三枚です」
【魔戯貨】とは希少な鉱物だ。
大山脈などの炭鉱深くで採掘されるそれは神話時代の高純度魔力が長い時間をかけて凝縮して鉱物化したもの。
古来より魔術行使における魔力の代用として利用できた為、その名称が与えられていた。
また霊薬などの高度な魔法薬に不可欠な素材でもあり、言うまでもなく非常に価値がある為、市場では宝石よりも遥かに高額で取引されていた。
「魔戯貨が三枚! お、お茶受けが買い放題じゃないですか。ていうか死ぬまでティータイムしながら暮らせますよ」
つまり異世界召喚を行うには莫大な資金が必要となる。問題点のひとつは、代償が大き過ぎるので容易に失敗できないことだ。
ここ十数年間、儀式が行われなかった理由の一端もまた大山脈の採掘場が魔族の進行によって奪われた事による【魔戯貨】の欠如が関係している程だ。
「ブタ陛下からはそれなりの数を賜っています」
マーリンは胸元から巾着袋を取り出し見せた。じゃらりと音がするその中には淡く虹色に光る結晶体が、無造作に何十個も詰め込まれていた。
宮廷魔術師風情に与えられた予算としては破格の部類。これを見ると王国の混迷っぷりがよく理解できた。
「ひいふうみい……二十八個もある……。こ、これだけあれば何十回生まれ変わってもお茶菓子が死ぬほど買えます」
「君は茶菓子が好きだなあ。ただ異世界召喚するには後九回分が良いところです」
「つまりどんな人物がやってくるかはランダムなのに、たった九回で結果を出さなくてはいけないのですね」
祭壇の力を借りて、与えられた残り九回機会のうちに軍勢の一員に相応しい――武力を持った兵、或いは戦術に長けた軍師の類を呼び出さなくてはならない。
そうして小鬼に占拠された砦を奪還できなければ、王国に明日はないのだ。
マーリンは天を仰ぎ、暫くの間、最初に使ってしまった魔石三つ分で得た猫の有効な使い道について考えてみる事にした。
たが魔術史を百年早めるような研究を幾つも行ってきたマーリンの頭脳を持ってしても、抱き枕にしてストレスを解消する以外の用途は浮かばない。
まあ深く考えても取り戻せないのだから仕方がない。それよりも前向きに、残された後九回分の結果に期待して、召喚に励んだ方がいいと思うようにした。
「はあ……さて召喚を再開しましょうか」