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「私たちが生まれる遥か昔ーーこの国はまだ死にかけた鼠のように小さく貧しかったそうです」
取り立てて目立った産業もなく地理的に優位にあるわけでもなく常に崩壊の危機に晒されていた。何れ大国の餌になるのを待つだけの弱小国だった。
「だが鼠はいつまでも生き長らえました」
「……」
乱世を駆け抜け、世紀の大飢饉を乗り越え、魔族の侵攻を食い止め、穀倉を少しずつ蝕むように領土を広げ、気がつくと国は巨大な竜へと成長していた。
「すべては大賢者と呼ばれる一人の魔術師が編み出した魔術による恩恵です」
【異世界召喚の儀】ーーそれは時間と空間の両方を操り、ここではないどこかの人々を呼び出す究極の魔術。
召喚された異世界人たちは、こちらの常識を覆す能力、知識、技術を有していた。
王国はそれを取り入れる事で産業や文化を発展させることで成り上がった。
【軍勢】もまたその成果の一端だ。
大侵攻ーー魔族の脅威を食い止めるべく創設させた異世界人からなる軍隊だ。十数名にも満たない彼らが何万もの魔族軍勢を撤退させ国を救った歴史は今でも語り継がれ、子供なら誰もが知るお伽話になっている。
「ここが唯一、その究極の魔術を可能にする場所であり、大賢者ダンケルクの遺した禁断の大魔導具。その名もーー」
「【異世界召喚の祭壇】ですね」
弟子のミゼラブルが緊張した面持ちで言葉を引き継いだ。
ちなみにこの奇妙な名称の由来は不明だ。一説によれば異世界における遊戯類から採用しているらしいが真偽は定かではない。
扉を潜った先にあったのは何もない部屋だった。
あるのは冷たい石造りの壁と天井、それから寝台のように中央がせり上がっている床だ。
だが目を凝らしよく観察してみると、壁の至る場所に奇妙な模様ーー古代の魔術文字が刻み込まれていた。
それが他の魔導具等とは比べものにならない程強力で、ひとつ扱いを誤れば、戦局どころか国の、いや世界の命運すらも左右しかねない代物であることは一目見て分かった。
「感無量です。魔術史を紐解けば至る場所に名前の載る大賢者ダンケルク。そんな方の遺した究極の魔導具をこんな間近で見れるなんて」
「そういう憧れの視線を師匠にも向けてくれれば嬉しいんだけどなあ」
「僕は神聖な祭壇に平気であぐらをかく師匠に侮蔑の眼差しを向けています」
「調べ物ですよ。何せ十数年間は使用すらされていないらしいオンボロらしいですから」
「まともに動くのですか?」
「……ふむどうでしょう。ダンケルクが召されてからはろくに扱えなかったと聞いています」
更に言えば異世界召喚は究極と言っていい程の難易度の魔術だ。
前回召喚を行った時は王国中の腕利き魔術師百名が七日七晩かけて呪文詠唱したそうだ。
「起動するだけでも、生贄として千人分の乙女の魂が必要らしいですね」
「千人の乙女の魂」
「これは集めてくるのに骨が折れそうだなあ。まずは御触れを出してもらって人を集めてから」
「そんなの駄目じゃないですか」
ミゼラブルが顔を真っ青にしながら、オロオロとしている。
実際、異世界召喚を行う程の魔導具ともなればその程度の代償は必要になるのだろう。
これが何故、呪われた魔導具ばかりが保管された開かずの間の最奥部に存在しているのかは推して知るべしと言ったところか。
「まあ私も世の女性から嫌われるのは本意ではありません」
マーリンは首を左右に振って軽く準備体操をすると、印を組み、詠唱を始める。
「……『汝、未だ名を知らぬ異邦の民よ』」
マーリンは偉大な師の下で死ぬような扱きを受けた結果、全系統の魔術を達人の域にまで上達させた自分なら、どんな難易度の魔術でも十回中十回とも成功させる自信があった。
この腕で駄目であれば、もはやこの国で成功できる者など一人も存在しないだろう。
「『我が救いを求める声を聞き給え……さあ運命の糸を手繰り、今異界の門より我が元に現われ出でよ』」
詠唱完了と同時に祭壇上で次元が歪み、ズズ……と空気を振動させながら何かが具現化し始める。
次第にはっきりと実体を持ち始めたそれは巨大な匣だった。
荘厳な飾り付けが施されたその立方体は聖人の遺骸が納められた棺のようでもあったが、正面に備え付けられた操舵のような装置と、硝子造りの外壁から覗く無数の宝玉がそうではないと告げていた。
「【異世界召喚の祭壇】が起動しました」
何処からともなくそんな抑揚のないアナウンスが聞こえてくる。
「は?」
「更に召喚」
マーリンの言葉と共に、匣の操舵がぐるりと一回転してガシャと音が響いた。
その動作に連動するように箱型の魔導具が微かに揺れ、下部にある排出口から宝玉がひとつポーンと落ちてくる。
そして眩しい輝きを放つ白銀の球体が祭壇の上で弾けて割れる。
次の瞬間ーー空間が酩酊感に似た微かな揺れを伝播したかと思うと、凄まじい光の洪水を生み出し、目の前を真っ白に染めた。
「【異世界召喚】が成功しました」
「……よし!」
十数年間まともに行使された例のない最高難易度の魔術であったが、どうやら成功したらしい。魔石を無駄にせずに済んで良かったと思いながら、マーリンは薄っすらと瞼を開いた。
「……」
「どうしたんですかミゼ君。何故、馬鹿みたいな阿保面を馬鹿みたいにさせて呆けているんですか」
「おい。……いやだって今、召喚できたって言いませんでした?」
「できましたが何か?」
「起動だけでも千人分の魂が必要って……」
「代用として私の血液を数滴とそのほか色々使いましたので何とかなりました」
「……」
「どうしました?」
何故かミゼラブルは疲れ切った表情で首を振っている。うちの弟子は一体、何が不服なのだろう。
「さて召喚はできました。次は確認です。どんな人物かを見極めるのはミゼ君のお仕事ですよ?」
「そ、そうでした」
とはいえ肝心の召喚対象がどこにも見当たらない。
呼び出した手応えはあったはずなのに一体どこへ消失したのか。
視線をさ迷わせ、最初に目にしたのは祭壇上にいたそれだった。
茶黒白の柔らかそうな毛並みを纏ったその小さな生き物はごろごろと寝転んでいたが、ふいにこちらと目が合うと起き上がり鳴き声をあげてくる。
「異世界人はどこに……」
マーリンはその生物の存在を一端見なかった事にすると、目当ての人物を再び探した。
何故いない。
見る限りこの部屋にはマーリン自身と弟子のミゼラブルしか見当たらないのか。
召喚が成功した以上、何処かに異世界人がいるはずなのだが一体何処に隠れているのだろう。