師匠と疫病
王国の新年は、穏やかである様に見えた。
しかし、角月に入ろうという頃、隣国で感染症が広がり始めた。
南方との交易のあるいくつかの領土でポツポツと症状を訴える者が出始めた程度のものから爆発的に広がっていく。
唐突な下痢・嘔吐に始まり、白色の水様便を多量に排泄、声も出せなくなり意識消失、干からびて死ぬ、との情報が大陸を駆け巡る。
誰かが井戸に毒を入れたとの噂が広がり、暴行・殺人まで発生。
王都では、遠国で最初の患者が出た頃から、春月に開始予定だった上水道整備をすぐさま開始し、お抱え魔法師から国内の建設業従事者まで総出で半月で全戸に張り巡らす事に成功した。予定に無かった浄水装置も含めて、である。
数名の空間魔法使いが建設場所の家々を地面ごと持ちあげ、その間に設置する様子は壮観で、王都は最初危機感よりもお祭りの様な空気が漂っていた。
感染症対策として石鹸による手洗い・食物の十分な加熱処理を奨励し、城壁外の王国領地には井戸に設置する浄水魔法装置と下水終末処理装置を給付、領主らに設置を義務付け、対策ガイドラインを出した。
王国に入ってくる人・モノに対し、各領地の検問にて例外なく全て医療・衛生関連の魔法使いが浄化する。
しかし、王国を囲うようにして感染症が広がり、大陸での被害にぽっかり穴が開いた様になると、その空気も一変した。
まず、隣国産である石鹸に疑いの目がかかる。疫病が流行っている国から来たのだ、これにも毒が入っているのではと。石鹸の買い控えが起こり、家庭内での手洗いも減っているのではとの予測から、毎晩お抱え魔法使いが領土内を回って家々を丸ごと浄化するのに駆り出され、国が疲弊し始める。
さらに、他国では被害の出ていないこの王国による呪いによって、今回の被害が引き起こされているのではという妄想がまことしやかに囁かれるようになり、周辺諸国から不穏な動きが出始めたのだ。
これには王国上層部も焦り、今回の被害が毒や呪いなどでは無く、疫病なのだと情報を共有、自国での対策を余すことなく伝え、必要とあらば魔法使いを派遣する旨を周辺諸国に訴えた。
すると今度は、それによって他国より優位に立つ気で今回の事件を引き起こしたのだ、と妄想が加速していく。
戦争などする人的余力も無いであろうに、周辺諸国が殺気立ってくると、王国内も不安が広がっていく。
また、国内外で、今回疫病を起こした死神は黒の森の魔女である、という噂まで立ち始め、休暇が明けて魔法学校に通い出したキルシュや陽平にまで白い目が向けられるようになったのだ。
「ほんとに周り全部滅ぼしてやろうかしら。」
最初は、何を馬鹿な事をと噂を面白がっていたエリーも、城下町に居る家族まで白い目で見られているであろう空気に参ってしまっていた。
「何を言ってるんです、エリーにそんなこと出来る訳ないでしょう。他の国に居るのも人間ですよ。子どもも居ますよ。」
苦い顔をして黙り込むエリーに、陽平はグリューワインを差し出した。
落ち込んだり憤ったりと負の感情を漏らし続ける様子を見ていた陽平には、先ほどのエリーの発言が冗談のみから来るものでは無い事を知っていた。
今のエリーは危うい。
元々心の優しいエリーは、自分よりも家族や自国を気にしている。
水道税からエリー達に支払われるはずだった毎月の収入も、急ピッチの工事や衛生に割かれる出費の大きさから王国の負担が大きいようで、滞っている。
当たり前の様に、エリーの商品は売れない。
疫病の収束も見えない。
2人に沈黙が落ちる。
「……滅ぼしましょうか。」
「……は?」
「病気の原因を。」
にやり、陽平が笑った。
その日、2人は隣接した一国の上空に居た。
エリーの両親の家には、壁にでかでかと“この家の者に危害を加えた者は、例外なく黒の森の魔女が見つけ出す”と魔法で書いてきた。文字が読めなくとも、目に入った瞬間意味を理解できるようになっている。これで、不安なく遠方へ出てこられた。
2人は全身防護服という出で立ちだ。陽平がデザインや機能を伝えエリーと制作したもので、現代のものと遜色ないかそれ以上の効果だろう。
今回の疫病が陽平の世界の物と同じであれば経口感染の経路を塞げば良いが、同じかどうかなど調べようもない。念には念を。
全身を包む大仰な白い衣装は恐怖感を掻き立てるらしい。
現代、その機能や重要性が知れていても不安を煽り、ホラー・スプラッタ作品でも出てくるくらいだ、この世界では尚更だろう。知っているからこその恐怖というのも有るだろうが。
民衆は逃げまどい、屋内へ避難する。
魔法使いを含めた軍隊が集い、2人に攻撃を仕掛ける。
矢などは到底届かない高さで、かすりもせずに弧を描いて落下し、落下先の仲間に危害を加えるのみだ。
辛うじて届く魔法も、エリーが軽く手を振るだけで消滅する。
「ほんと、嫌になっちゃうわねえ。」
「そうですね。早く済ませましょう。俺たちはここに助けるために来たんだから。」




