聖夜市
同日21:30読み返して誤字が有ったところ、文章がおかしいと感じた所を直しました。大意は変わっていません。
それからの1週間、魔法学校内はそわそわとした空気に満ちていた。
市の飾り付けや出店に思いを馳せる者、家の出店を手伝うのが面倒、と言いつつ顔が綻んでいる者、また、教授陣まで心ここに在らずというのが見え隠れしていて。
エリーから聖夜市の話を聞いて浮足立っていた陽平は、逆に落ち着いていくのを感じた。
みんな、大丈夫かこれ。
古語のエッダ・レラーリ教授もその一人だった。
「うふ、ふ、皆、明日からの聖夜市、楽しみにしてらしてね!とびっきり可愛くて幻想的な魔法を掛けるから!」
レラーリ教授は普段無いくらいのハイテンションだ。
淡い赤茶色のふわふわとしたセミロングの髪をピンクのリボンでハーフアップにした姿が特徴の彼女は、普段それほど賑やかな人間ではない。
落ち着いていて言葉遣いも上品。ネガティブな割に良く喋る呪文学・魔法基礎のグレーテル・ツァウバー教授と良く一緒に居て、諫めている姿の方が印象的だ。
そんな教授のハイテンションに、生徒らは若干戸惑いを見せているが、それに気付かない教授は楽しそうに授業を進める。
語源や成り立ちを交えるなど教え方が上手なので、すぐに教室は授業に集中していくが、やはりどこか違和感が有った。
と言うか、自分でそんなにハードルを上げてしまっていいのか、と陽平は少々心配してしまった。
数学オタクで固そうな魔法円・呪文陣・数学のマンフレート教授でさえ少々ふわふわしている始末。
そんなこんなで聖夜市開幕の日が来た。
せっかくなので初日に観に行くことにしたエリーと陽平は、開催時間より少し早めに中央広場に到着した。
既に大勢の人が集まり、ど真ん中にそびえるツリーを注視していた。
ツリーの両脇には、ずらりと屋台が列を作り、食器類や聖夜の飾り付け用の小物、人形、ぬいぐるみ、そして美味しそうな軽食類や酒が並ぶ。
中央広場前の庁舎の荘厳な雰囲気や、周囲に立ち並ぶドイツ風の可愛らしい家々と相まって、異国情緒溢れ、既に魔法がかかっているようだ。
アガタ教授との事もあって、本日エリーはキルシュの変身はしていない。豊かで艶やかな長い金髪を首に一巻きし、その上から白い毛皮のコートを着込んでいる。白い毛皮は多分、陽平を襲った大狼と同じ種類だろう、継ぎ目が無く、自分で作ったのか非常にシンプルだが、それがエリーの美貌とスタイルを強調し、神々しく、実に目を引く。
ツリーに集中していた視線の一部が、広場に入ったエリーに向く。
ツリーに近づくにつれ、それはどんどん多くなっていった。
「やっぱり、“黒い森の魔女”が出てきたらまずかったかしら。」
心なし悲しそうなエリーに、この人は何を頓珍漢なことを、と陽平は呆気にとられる。
「いやいや、エリーがあんまりにも美しいから見てしまうんですよ。」
「うわあ、何それ、照れる。ありがとう。」
エリーに返され陽平は気付く。自分は今何を言った。面と向かって美しいだなんて。
かあ、と顔全体に熱が集まるのを感じた。
「あは、ヨーヘイ顔真っ赤。言った方が私より照れてるじゃない。」
揶揄うエリーに、どんどん熱が広がって、全身熱くなる。
「ほら、もうすぐ点灯式ですからツリーを見てくださいよ!」
まだクスクスと笑うエリーを促し、陽平もツリーを見上げた。
タイミングよく、広場全体に庁舎の鐘が鳴り響き、鉄琴の、星が降る様なきらきらとした音が曲を紡いでいく。
それに合わせ、屋台の明かりが一斉に消え、ツリーに白く細かい光が降り注いでいく。
そうして、ぽ、ぽ、と、ツリーの裾の方から、その近くをゆらゆらと浮遊する、黄金で装飾された大小色とりどりのガラス玉に火が灯っていく。
いや、密閉されている中に灯っているのだ、蝋燭の火の様に見えるが、あれは魔法で光っているのかもしれない。
徐々に天辺まで明かりが昇っていくと、ガラス玉が吸い寄せられてツリーを彩り、今度は天辺から裾に向けて光り輝く幅広のレースが螺旋を描くようにするすると降りていく。続いて、天辺に結ばれた紐から光が伝っていったかと思うと、その先にある中央付近の屋台の屋根から端に向け、波紋の様に市全体に光が広がった。
わあっ!と大きな歓声に包まれた広場で、活気溢れる市が開幕した。
陽平も、ほう、とため息をついた。なんと幻想的な光景だろうか。
これまでクリスマスも仕事が入っていたし(独り身と言う事で、大抵シフトを押し付けられていたのだ)、イルミネーションにもさほど魅力を感じていなかったものだから、こんなにしっかりと見たことも無かったし、魔法を最大限に活用した演出に見惚れるばかりだった。
「いやあ、幻想的だったわねえ……点灯式を見るなんていつぶりかしら。ちょっと近寄って良い?」
エリーに声を掛けられ、陽平は意識を戻すと首肯する。
ツリーに近寄ると、脇に石板が有り、レラーリ教授とツァウバー教授、マンフレート教授、水魔法のライナー・ケラー教授の名前が連なっていた。
マンフレート教授の名前に驚く。正直、あの教授とこの雰囲気が全く結びつかない。
声に出ていたのか、エリーが、多分、ツリー周囲の魔法作用範囲や市全体への点灯の際の計算を担当したのだろうとの事だった。市自体は魔法でなくランタンによる明かりが利用されているので、それと魔法の連携もそうであろうと。
水魔法は最初の白い光の演出だろうか。きらきらとツリーに積もった光は、輝く雪だったのだ。
自らハードルを上げただけはある、と陽平は納得する。ばっちり唸らされた。
と、“Schweben(浮け)!”と子どもの声が聞こえ、ツリーの飾りが一斉にぶわっ!と広がって戻った。
2人が目を丸くしていると、“Schneefall(降雪)!”と響き、きらきらと雪が降り出した。
おおお、と歓声が上がり、声が聞こえた方に近寄ると、石板に幾つかの簡単な単語と、それに対応して発動する魔法の説明が書かれていた。
文字が読めない者の為か、レラーリ教授の鈴を転がす様な声によるナレーションが流れている。
確かにこれは幻想的で、興奮するし楽しい。しかし、なんだかテーマパークや観光地の安っぽいそれを思い出して、陽平は少々笑いだしそうになった。
「おお、考えるわねー!市を廻って、人が少し掃けた頃にまた来てみましょ!」
エリーが声を掛けると、パッと陽平の手を取って歩き出した。
反射的に陽平が手を引く。
「何?」
2人の手は繋がったままだ。
呼び止められたと思ったエリーが振り向くのを見て、陽平の手に汗が滲む。
焦れば焦るほど汗がひどくなっていく気がする。
「いや、ちょっと……」
「ちょっと、何?」
エリーは露ほども気にしていないようで、きょとんとした顔をする。
「手、その、元の国ではあんまり……」
「ああ、あはは、照れてるの?こんなの普通でしょう、はぐれるといけないからこのまま廻るわよ。」
エリーに引かれて人込みを進む。
それも有るし、汗、エリーは気持ち悪くないのだろうか、と陽平はエリーを伺う。
別に、陽平はコミュニケーションやスキンシップに抵抗がある人間ではない。患者に触れる時もなんとも思わない。ただ、こうして好意を持った人間に触れる時、瞬間的に浮かぶ言葉があるのだ。
“ほんと気持ち悪い、鏡を見ろよ”
陽平に向けて発された言葉ではない。顔も知らない相手に向けて、いつも妹が口にしていた言葉だ。
妹には潔癖のきらいがある様で、特に男が妹に触れる事に抵抗を示していた。
陽平よりも背が高く、172㎝という長身の華奢なモデル体型に、日本美人、しかし陽平とは似ない二重の大きな目。シスコンでは無いが、正義感が有って優しい妹は、性格も良いと思う。頭まで良く、某有名私大を出て、都庁勤めだ。
そんな風だから、昔から妹はもてていて、しかし、少しでも下心を持って妹に触れようものなら、バッサリと関係を切られるのだ。頭を撫でる、腰を抱く、その程度でもうアウトだ。彼氏も何人か居たようだが、早期に妹のパーソナルスペースに踏み込んだ時点で同様の扱いを受ける。
そして、上記の言葉を添えて、陽平に愚痴を溢すのだ。
そんな訳で、これまで付き合った彼女にも、触れようとする度その言葉が浮かび、怖気づいて一歩を踏み出す事が出来ないままここまで来てしまった。
そんな呪いを簡単に破って手を引くエリーを、陽平は眩しい気持ちで見つめた。
屋台を巡り、ソーセージや揚げたジャガイモ、レバー団子のスープ等を買って食べる。
肉串の煮込みを買おうと寄った屋台に、ジークが居た。
お互いに目を丸くし、挨拶しようとしたところで、ジークがエリーに気付いた。そして、キルシュが居ないことにも。
「……キルシュはどうしたの。」
明らかに顔をしかめて、責める様にジークが陽平に問う。
「ああ、あの子ちょっと風邪ひいちゃって、冷えるといけないから家に居るわ。」
焦った陽平の代わりにエリーが答える。
「……こんばんは。挨拶もせずすみません。キルシュさんの学友のジークリンデです。あなたは?」
「私はこの子たちの親みたいなもの。エルフリーデって言います。エリーって呼んでね。」
ジークがハッとする。キルシュ姿の時に話を聞いていたのか、エリーが誰か分かったらしい。
相変わらず愛想が良いとは言えないが、キルシュによろしく、とおまけして料理を渡してくれた。
ジークの仕事を労って離れた。
陽平は、少しわだかまりを感じながら、グリューワインを2人分購入する。アルコールが入ると、ほろ酔いで気持ちがふわふわした。ワインの入った陶製の容器も返却すれば補償料が返ってくるが、せっかくなので記念に持ち帰ることにした。
木で出来ている様に大きく、飾り付けられたハート形のクッキーを幾つもぶら下げた店で、小さいものを一つ購入する。
今度は、クッキーかという様に小さく薄い木の板の透かし彫りの飾りもあり、こちらも購入した。トナカイや鳥など、繊細な意匠が美しい。
無骨で不細工な兵隊の人形が至る所に並ぶが、山間部の民族工芸らしく、送り合う風習があるとの事で、それも購入した。
魔法道具屋もいくつも出店しており、開けるたびに光の鳥が飛び出す箱等の飾り物から、簡単に火を付けられる火打石などの実用品まで様々で、一際人を集めていた。
屋台見物をする内、ジークに会った時の小さな違和感もすぐに忘れて、陽平の気分は高揚しきり、あっという間に時が過ぎていった。
「楽しかったわねー!」
ツリーの下まで戻って来て振り返ったエリーの笑顔を、市の明かりが照らした。
ああ、好きだ。この人が好きだ。
気付けば、言葉が口を突いて出た。
「好きです。親だなんて思ったことない。好きなんです。」
ぶわり、ツリーの飾りが浮いて、光った。
エリーが目を見開く。
「……ありがとう。気持ちは嬉しい。でも、いくつ離れてると思ってるの?」
「10歳でしょう、大したことない。政略結婚でもそうでなくても、逆の年齢差の夫婦ならそこらじゅうに居るじゃないですか。」
「そう……だけど。私、あなたのことそんな風に見たことない。」
ばっさりと切り捨てられ、頭が冷えていく。
雰囲気に飲まれ、アルコールに浮かされ、自分はまた失言してしまった。
「……でも、ヨーヘイと居る時間が好きなのは嘘じゃない。ちょっと、考えさせて。」
困った様に笑うエリーに、心に小さく希望が灯るのを感じた。




